権能


「おお……ええ部屋やなぁ」

「そりゃ、を汚い牢屋にご案内ってわけにはいかないだろ」


 あの後、俺――山崎丞は、両手を白い糸で拘束されたまま、馬が引く車に乗せられた。

 移動中は目隠しをされていたが、およそ半刻三十分ほど掛けて到着。


 俺を連行した男に案内された部屋は、八畳ほどの広さの板の間。真っ白な敷布の寝台の他に、椅子と書き物机と大きな開き戸の箪笥、床には毛織の絨毯が敷いてある。


 部屋にはもう一つ扉があり、中は陶板を敷き詰めた、白磁の風呂釜が置いてある風呂場だった。

 驚くことに、鶴首のような細い金属の筒――鶴口カラン、と呼ぶらしい――についた取っ手を捻れば、常に程良い暖かさの湯が流れてくるのだ。


 だがそれ以上に驚いたのは……同じ部屋に、便所と手水場ちょうずばがまとめて置いてあることだった。


 どちらも風呂釜と同じ白磁で出来ており、しかも水を流せるという。

 一応、背の高い衝立で風呂場と区切られてはいたものの、身を浄める場と御不浄とが同じ部屋にある事に、俺はしばらく呆然としてしまった。


「部屋の説明はこんな所だけど……大丈夫か?」

「おう。ありがとう。ちょっと驚いただけやから、うん」


 最初の部屋に戻って寝台の縁に腰かけ、どうにか衝撃から回復していると、書き物机の椅子を持ち出して俺と向かい合うように座った男に声を掛けられる。


「そう言えば、自己紹介まだだったな。ケネス・ソーウェル。ケネスでいいよ」

「山崎丞……じゃなかった。ススム・ヤマザキや」

「よろしく。じゃあ、ススムって呼ぶな」


 男――ケネスは、被り物を取ってにっと笑った。

 太く短い眉に、織部色の凛々しい目つき。短く刈った緑の髪が、精悍な男ぶりを引き立てている。

 彫りが深いため歳はよく分からないが、声や喋り方の落ち着き具合から、およそ二十代後半と言った所か。


「さてススム。お疲れのところ悪いんだけど、簡単な聴取だけさせてもらうな」

「それは構わんけど、その前に外してくれへん?」

「ああ、悪いね」


 ケネスがそう言うと、俺の両手に巻きついていた糸がはらりと解け、そのまま彼の背後の何もない虚空に吸い込まれるように消えていく。

 たった一本なのに緩む気配も一切なく、千切れる気もまるでしない糸だった。


「これも魔術か?」

「違うよ。これは『権能』。『守護天使』の能力だ」

「ああ。さっき局長殿が言ってた、分からん言葉のやつ」


 ケネスは顔を顰めた俺に苦笑しながら、説明を始める。


「『守護天使』ってのは、天使の一種でな。生まれた時から一人ひとりに付いているんだ」

「天使は、天におわす神様の御使い……であってるか?」

「そうそう。守護天使は天使の一種。生まれながらに全ての人に寄り添い、守護する者に善を勧めて悪を退けるよう示すのさ」


 ケネスがそう言うと、彼の背後から白い糸が再び現れた。


「そして『権能』は、守護天使がそれぞれ持っている力の事だ。主への信仰と祈りを重ねて、守護天使にそれが認められると、彼らは自分の名前を教えてくれる。名前を知ることで、彼らがそれぞれ持っている『権能』を借りられるようになるんだよ」


 ケネスは伸びて来た白い糸を丁寧に手繰り寄せ、こう言った。


「来てくれるか、『糸紡ぎの天使スピニエル


 ケネスの手繰った糸の先。彼の背中の虚空が揺らぎ、徐々に形を成していく。


 最初に現れたのは、宙に浮かぶいくつもの長い棒状の糸巻き。巻きつけられた白い糸は真珠に見まがうほどに艶めき、淡い輝きを放っている。


 光背の如く放射状に浮かぶ糸巻きに囲まれているのは多分、西洋式の糸車だ。磨き抜かれた木の土台に、からからと回る大きな車輪と、そこに巻き取られていく白い糸。


 そして――


「……光る手が、浮いてる――?」


 目を離せなくなるほどの神々しさを纏った、白く輝く滑らかな手。

 』が、からから、からからと糸車を回し続けている。


「守護天使の名前を知り、権能を借り受けられる事――これが魔術統制局への唯一にして絶対の配属条件。逆に言うなら、これさえ出来れば、身分性別関係なくウチで働けるってわけ」


 ケネスの説明が終わると同時に、仮初の姿で現れたケネスの守護天使――『糸の天使スピニエル』は、解けるようにすうっと虚空へ姿を消した。


 俺はその光景に思わずほう、と感嘆の溜息と共に両手を合わせて一礼する。


「? 何してんだ、それ」

「ああ。俺の国では、神様とかその御使いの方にご挨拶する時はこうすんねん」


 およそ有り得ないことが目の前で起きているにもかかわらず、不思議と恐怖は感じない。寧ろこの世界へ来てから、一番心が安らいでいる気さえする。


 ――なるほど、これは魔術とちゃうわ。


 守護天使は、一人一人に付いている神の御使い。権能は、俺の世界でいう所の験力げんりき法力ほうりきの類だ。

 僧侶や山伏が厳しい修行の末に、神仏の加護を得たのと同じように、ケネスは守護天使から権能を借り受けているのだろう。


「え、いいのか? 他の国、ってか別の世界の御使いに挨拶って……」

「? 駄目なんか?」

「いや……お前の信仰で、それは許されるのかって話」

「別にええんと違う? 神も仏も御使いも、有難いもんなのに変わりはないやろ」


 鰯のかしらも信心から。有難いと思ったのなら、好きに崇めばよかろうなのだ。


「ほな、さっきの合意書も魔術でなく、局長殿の守護天使の権能か」

「そ。オーキュラス局長の守護天使『法の天使ラウエル』。滅茶苦茶だぜ、ありゃ」


 曰く、法の天使ラウエルの権能は、実在する法の具現化。

 相手が法を犯した事が明らかな場合、即座に相手を拘束し、罪に応じた罰を与えるという。


「例えば、暴力を振るおうとしたら暴行罪が適応されて、その場ですぐに拘束されるんだよ。因みに人数も距離も関係なし」

「うわあ、無法な……」


 いや、法の裁きだから無法ではないのだろうか。

 ともかく、ガベルが第一支局局長という肩書を持ちながら現場に出ていた理由に、納得が行った。

 権能が完全に制圧向きだ。抵抗すれば即拘束できるなど、捕物の現場でこれ以上に有難いことはない。


「だから、ススムが武器捨てて投降したのは大正解だぜ。あの場面でよくやるよホント」

「そらあそこで白布共と一緒に逃げたら、お尋ね者の仲間入りやし……あ、だから合意書か」


 荒事に訴えれば権能で即制圧。しかし俺は無抵抗で投降した。

 協力的な態度はとっているが、魔術を取り締まる立場上、魔術で召喚された異世界人を野放しには出来ない。

 だからこそ多少の危険を負っても、権能で作った合意書で抑えておく必要があったという事か。


「つまり魔術統制局は、守護天使の権能で魔術師や秘密結社を取り締まるんやな」

「そ。大ブリタニカ連合帝国女王の名の下、国の安寧を脅かす魔術師たちと戦うのが俺たちの御役目さ」


 大ブリタニカ連合帝国。ケネス曰く、ブリタニカという一つの島にある四つの国がここエンゲラントの女王を盟主とした大同盟を組んで成り立っているそうだ。


 魔術統制局は各国の国主の下にそれぞれ作られ、第一支局は此処――エンゲラント王国首都ロンディノスを管轄としているらしい。


「さて、一通りススムの分かんない事は説明したから――次はこっちから色々聞かせてくれよな」



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