連行


 まるで、くろがねのような男だった。


 黒い軍装の上から黒の長い外套を纏った、背の高いすらりと引き締まった細身の身体。

 軍装の一部であろう被り物の下から覗く、短いが艶やかな黒髪。

 西洋人らしい白い肌。鼻筋の通った高い鼻に、引き結ばれた唇。


 そして、目。

 彫りの深い目元の影から、鷹の如き鋭さの、轟々と燃える炎を思わせる赤い眼が、じろりと俺を見下ろした。


「これは君がやったのかね」


 すぐ目の前に立った男は、周りに転がる白布たちを一瞥し俺――山崎丞にそう尋ねる。


「そうや」

「私もこうするかね?」

「いいや」


 俺は持っていた杖を捨て、空になった両手を肩の高さに上げた。


「争う気はない。話、聞いてもらえるか?」

「……聞こうか」


 一先ず、強引に捕えられる様子はない。内心でほのかに安堵しつつ、俺は男に説明する。


「まず、俺はこことは違う世――こいつ等が『異世界』って呼んどる所で生きとった。んで、死んでからこいつ等に魔術で無理矢理、生き返らせられたんや」


 男は何も言わず、じっと俺を見ている。続けても良い、と判断し俺は言った。


「信じてもらえるか分からんけど……俺、アンタらと同業やねん。国に仇なす不逞ふていの輩を取り締まる側」


 その言葉で、男の赤い眼が品定めするようにすがめられる。気圧されそうになるのを堪え、俺は簡潔に伝えた。


「悪党に与する気はない。そちらさんの判断に全て従う。せやから、荒っぽいのは堪忍してくれんか?」


 異世界から来た人間が、あれこれ理屈を並べても聞き入れてもらうのは難しいと考え、要求だけを端的に述べるに留める。後は、向こうがどう出るか。


 少しの沈黙の後、男は俺に尋ねた。


「その言葉に嘘はないと誓えるか?」

「――まことの一字に誓って」


 誠。俺の全てを預けた一文字。神や仏や祖先より、この一文字を裏切る方が俺には余程恐ろしい。


「……マコト、とは?」


 胡乱な顔をした男の反応に、あれ? と思わず首を傾げる。


「言葉、通じてるんと違うの?」

「通じている。おそらく『マコト』は、君の国特有の単語なのだろう。他の単語に言い換えることは出来るかね?」

「ええーっとなぁ~……どう言えばいいんやぁ……?」


 首を捻って唸りながら、俺は何とか説明を試みる。


「まず『誠』は、俺の居た組織が掲げていた理念や。誠意とか、誠実とか、忠誠とか、あー……」


 思いついた言葉を片っ端から言ってみるが、どうもしっくりこない。

 何せ今挙げた言葉の全ての意味を含むが故の『誠』だ。どうしても言葉が足りていない。


 これら全ての意味を含んで、かつこの男に伝わる言葉――……いや待て。


 相手は日本ひのもとの人間ではない。なら、日本の言葉にこだわる必要はないのではないか?


 俺は朧げな記憶から、どうにか昔学んだ英語を引っ張り出して答えた。



「――Honestオネスト、って言うたら通じるか?」



 しばしの沈黙が、俺と男の間に流れる。


 気まずい。あまりにも気まずい。何だ、俺の英語が拙すぎて呆れられたか? そもそも英語も異世界の言葉だから通じてないのか?


 ――……せめて何か反応してくれ!


 内心でそう焦っていると、やがて男は深く息を吐いて、こう言った。


「君、名前は?」

「山崎丞……あ、こっちだと名前が先で、家名が後か? なら、ススム・ヤマザキや」

「結構。ススム・ヤマザキだな」


 すると男は、おもむろに右手を上げて何事かを唱えた。


「【申請:契約法に基づく合意形成】」


 男の手に、ぼんやりと光る一枚の紙が現れる。

 またか。また魔術とやらなのか。


 紙はひらり、と男の手を離れ宙に浮いたかと思うと、その上にじわりと文字が浮かび上がった。


 これは……英語、だろうか。紙に浮かび上がった単語のいくつかに見覚えがある。

 だとしたら、さっきのも通じていたと信じたい。


 男は浮いていた書面を手に取り、こちらに差し出した。


「君からは、投降と引き換えに身の安全の保障を。こちらからは、身の安全の保障と引き換えに指示に従う事を要求する。これで良いかね?」


「こいつら引き渡した分は勘定してくれへんのか?」

「なるほど。追加の要求を認めよう」


「……ほな、勾留中の待遇を良くしてくれ。スフィトスの裔の一味でなく、協力者としての扱いにして欲しい」


 これも『身の安全の保障』に含まれるかもしれない内容だが、統制局とやらが『魔術を取り締まる組織』である以上、魔術によって異世界から蘇らされた俺の立場は、あまりよろしくない気がする。


 この条件で、せめて俺への接し方が少しでもマシになることを期待しておこう。


「分かった」


 男がそう言うと、先程までの文面が書き変えられた。

 出来上がった書面を受け取った俺は、しっかりと目を通す。



《合意書》

 一滴の血を約因として、各人はエンゲラント法に基づき、定められた期間の間、以下の条項を順守することを定める。

 ・ススム・ヤマザキ(以下、申請者)の身柄は魔術統制局第一支局局長ガベル・W・オーキュラス(以下、承諾者)預かりとなる。

 ・承諾者は、秘密結社『スフィトスの裔』の打倒及び引き渡しと無抵抗の投降を以て、申請者の身柄の安全および協力者として遇することを保証する。

 ・申請者は、上記の保証がなされる限り、承諾者の指示に従い行動する。

 ・上記の合意は、申請者の身柄が承諾者の監督下に置かれている限り有効とする。

 ・この合意が双方の同意なく一方的に破られた場合、約因を支払った上で条件を追加もしくは変更し、新たな合意を得る事が出来る。



 知らない単語があるにも関わらず、文章の意味が自ずと理解できていた。ケルヴが『異世界人は魂で言葉を理解する』と言っていたのは、この事か。

 便利な反面、気味が悪い。


 そして――ガベル・W・オーキュラス。

 どうやらこれが、目の前の男の名前のようだ。


 魔術統制局第一支局局長の肩書や、この場で俺の待遇を決めてしまえることから察するに、かなり上の立場だろう。


 ――それだけの立場の人間が捕物の現場に踏み込むのは、こっちじゃ当然なんやろか?


 何にせよ、まずはこの合意書の確認だ。本題から逸れかけた思考を戻し、俺はガベルに尋ねた。


「最初に書いてある『約因』てのは何や?」

「合意が守られなかった場合に支払う対価だ。合意を守る意思を示すための定型文だと思ってくれていい」


「約因の支払いっていうのは?」

「合意が明確に破られたことを確認した上で、破った側に文字通り。そして破った側に新たに制約を課した上で再度合意を取り付けることが出来る」


 ただし、とガベルは言った。


「私が再度の合意を成すに値しないと判断した場合、合意はその場で速やかに破棄される。意味は分かるかね?」

「……一滴どころで済まさへんってことか」


 つまり俺が何かしでかしたら、もっとキツイ縛りを付けられるということ。信用を完全に損ねてしまった場合は、俺の命を以て約因の支払いに替える。


 そして――合意書を読む限り、逆も然り。


「ええのか? これ、あんたもこの合意が当てはまるのやろ?」

「問題はない。仮に私が合意を破ったとしても、約因をどの程度支払うかの裁量は私にあるし、そもそもこの合意書は私の『守護天使』の『権能』で作ったものだ」

「また分からん言葉出て来た……」

「そうか。では、その辺りも含めて局で改めて話をしよう。内容に異議がないならここにサインと血判を」


 そう言ってガベルは懐から西洋式の矢立携帯筆記具らしきものを取り出してさらさらと合意書にかきつけ、自分の指を噛んで血判を捺す。

 そしてガベルから筆記具を受け取り、ガベルの名前の下に羅馬ローマ字で自分の名前を書き血判を捺すと、合意書はぼう、と光って二枚に分かれた。


 本当に魔術とやらはどうなっているんだと呆れながら、俺とガベルで一枚ずつそれを受け取ると、合意書が目の前ですっと消えてしまった。


「え、ちょ、消えたぞ!?」

「問題はない。君が必要だと念じればすぐに実体化する。常に持ち歩くのも不便だろう」


 ガベルに視線で促され、俺は恐る恐る『合意書が見たい』と念じてみる。


「……無法が過ぎるやろ……」


 何事もなかったかのように俺の手に現れた合意書が再び消えたのを確認すると、ガベルは言った。


「すまないが、念のため局に着くまでは拘束させてもらう――ケネス!」

「了解です」

「え、うお!?」


 別の男の声が聞こえたかと思うと、ガベルの背後の暗闇から白い糸が突如伸びてきて、俺の両手首を身体の前で括った。


「エルマー、灯りを」

「はい!」


 続いて若い男の声がしたかと思えば、消えていた壁の松明が再び一斉に火を灯す。


「な……!?」


 思わず声を上げて驚いてしまった。

 照らし出された通路には、揃いの軍装を纏った三人の男が、控えていたのだ。


 ――いやおかしいやろ? 何でガベルが見えてたのに、この距離でこいつ等に気付けへんねん!?


 夜目が随分利くようになっていたにもかかわらず、三人の存在に全く気付けなかった衝撃で固まっている俺を余所に、ガベルは手際よく指示を出していく。


「レイフ、後の指揮を任せる。エルマーと共に捜索を続けろ。私とケネスは先に彼を連れて局へと戻る」

「拝命いたしました」


 三人目の男が胸に手を当てて軽く頭を下げると、ガベルは俺の方を振り返って言った。


「では、ヤマザキ。これより君を魔術統制局第一支局へと連行する」


 ああそうだ、とガベルは思い出したように付け加えた。


「“Honest”は形容詞であって名詞ではない。正しくは“Honesty”だ。発音はよかったぞ」


 ガベルの言葉に、他の三人から微かに失笑が漏れる。


 ――うん。せやろな。こいつ等すぐ後ろで聞いてたもんな。


「……ご親切にどうも」


 俺は引き攣った笑顔でどうにかそう返して、両手を糸束で縛られたまま地下通路を後にした。



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