第一章

召喚


 ゆらゆらと、心地よいまどろみの中に居た。

 痛みもなく、苦しみもなく、何もかもから解き放たれた、ただただ穏やかな何処か。


「――……、――……、……」


 ――……? 何や?


 声が聞こえる。誰に、呼びかけているのだろうか?


「……て、……い、……」


 声が聞こえる。俺に、呼びかけているのか?


「……い、…す…て、……」


 少しずつ、声が明瞭になっていく。

 男だ。若い男。どうしようもなく切羽詰まった懇願の声。そして――……


「――たすけて、おねがい」


 そう、はっきりと認識した瞬間。


 蝶。


 薄紫の美しい蝶が、すぐ隣を羽ばたいた刹那。

 俺は凄まじい力で後ろに引っ張られた。


 ――何や!?? 何が起きてるんや!??


 悲鳴も動揺も置き去りに、ぐんぐんと後ろに引っ張られていく。

 不意に目の前が色づき、朧げな像を結んだ。


 死体。死体。死体死体死体。腹を撃たれ、手足を失くし。治した傍から力尽き、皆、皆死んでいく。


 それが終わったと思えば、今度は緊張した面持ちで剣を握り、慣れぬ銃を手に戦に臨もうとした仲間たちの顔が流れていく。


 ――ああ、これ。俺が死ぬ前の光景や。


 走馬灯の逆回し。俺の生前の記憶を、次から次へと遡っていく。

 長州での潜入捜査、散らかった宴席、松本先生の講義、伊東先生への指導――新選組の、皆との思い出。


 引っ張られていく。流れていく。全てから遠ざかり、置き去りにされていく。


 ――嫌や、嫌や! 置いて行かんといて!!


 必死の叫びも空しく、俺は記憶をひたすらに通り過ぎていく。

 新選組に入る前の日常、棒術の稽古、顔なじみへの往診、厳しくも穏やかな両親、静かに微笑む白無垢の妻……


『――――、――――……』


 先程とは別の声がする。読経のようだが、聞き取れない……日ノ本の言葉では、ない。


『――――、――――!』


 魂を冒涜するかの如き不快極まる韻律が、絶え間なく耳元に流れ続け、徐々に音量を上げていく――近づいていく。


 ――嫌や、行かん! 帰してくれ! 俺をあそこに帰してくれ!!


『――――! ――――!!』


 何人もの声が重なり、頭が割れそうな大音声が響き渡る。思考と音が混ざりあい、このまま気でもふれてしまうのかと思った時。


 ドンッ!!!!! ――と凄まじい衝撃が走ると同時に、全身がこれまでにない痛みに襲われた。


「――っ、あ゛あ゛ア゛あァぁあ゛!!!!!」


 骨が。肉が。肌が。音を立てて軋み、捻じ曲がる。筆舌を尽くしがたき激痛に、俺は喉を引きちぎれんばかりに叫び続けた。


 ――痛い、苦しい、辛い、死ぬ、死ぬ!! 死んでしまう!!!!!


 不意に、永遠にも思える間の苦痛が、ふっと途絶えた。途端に全身を強い脱力感が襲い、ぼやけた視界が徐々に明るくなっていく。


「――……ッハ! ハァ、ハァ、ハァ…………」


 乱れた息を整える俺の目に真っ先に飛び込んで来たのは、こちらを見下ろす白い布を被った一人の人間。周りを見渡せば、同じように白布を被り手に杖を持った連中が横たわる俺をぐるりと取り囲んでいる。


 白布は手に持っていた長い杖を掲げ、こう叫んだ。


「――おめでとう、同志諸君! 召喚は成功だ! これでまた、我々は魔術の復興に一歩近づいた!」


 杖を持った若い男の言葉に、周りの白布どもも杖を掲げて歓声を上げる。


「万歳! 万歳! 魔術の未来に幸あれ! スフィトスのすえに栄光あれ!」

「「「スフィトスの裔に栄光あれ!!」」」


 召喚、魔術、なんちゃらの裔――……


「――……はあぁあ???」


 俺――山崎丞は、訳の分からない光景に間抜けな声を上げる事しか出来なかった。


「ああ、申し訳ございません。喜びのあまり、つい。何処かお身体に異常はありませんか?」


 最初に目に入った白布の男――おそらくこの郎党の頭目だろう――に促されるまま、俺は自分の身体を見下ろす。


 黒の薄衣の羽織に淡黄の小袖、焦茶の裁付たっつけ袴と足袋草履。隠密で探索する時によく着ていた装いだ。頭目の男が柄付きの手鏡を差し出して来たので、少し逡巡してから受け取って覗き込む。


 黒の総髪に色白で面長の顔。短い眉に、笑顔と間違えられる糸目。細い鼻に薄い唇。見慣れた俺の顔。会ってもすぐに忘れる凡庸な男の顔が、鏡の中から不安げにこちらを見つめ返している。


 ――何ちゅう顔しとるんや俺は。新選組の監察が、こんな顔しとる場合やないやろ。


 自分の狼狽ぶりを目の当たりにして、却って冷静になった俺は、深呼吸してまずは辺りを見渡した。


 天井に描かれた真っ赤な満月。その周りに、見たことのない獣や、星を繋げたものらしき図像が並んでいる。床に目を落とせば、俺を中心に描かれた不気味な文様の円陣。以前松本先生に見せられた魔術書とやらでちらと見かけたものに似ていた。


 広々とした何もない十間約10m四方部屋を照らすのは、怪しげな文様が描かれた壁にぐるりと沿って焚かれた篝火。窓はない。地下か。

 俺の正面、背後、右手の三か所に西洋式の開き戸。左手には祭壇だろうか。これまた西洋の香炉や燭台が並ぶ、不気味な図像が彫られた賽銭箱ほどの大きさの木の台のへりには、見慣れてしまった赤黒い染みがこびりつく。


 それらを背に俺を囲む黒布は、頭目も含めて全部で十三人。外や屋内に見張りが居るとして、最低でも二十人はいると見ておこう。


「大丈夫ですか? 立てますか?」


 そこまで考えた時、気づかわし気な声と共に、白布の頭目の手が差し出された。


 ――ここからは、こいつから情報取らなあかんか。


 これ以上、独力での状況判断は難しい。俺は手を取らずに自力で立ち上がって、頭目の方に向き直った。


「まず、あんたたちは何者で、此処はどこなんや?」

「ああ。これは申し遅れました」


 俺の質問に、頭目はおもむろに被っていた布を外す。

 老人の如き真っ白な髪に銀灰の瞳を持つ、異様に整った顔の若い異人の男が深々と頭を下げて言った。


「私は秘密結社『スフィトスの裔』首都第二支部にて、長より智天使ケルヴの位を拝命しております」


 分からん言葉を増やすな。

 文句を言いたいのを堪え、俺はふと疑問に思ったことを尋ねた。


「ええと、ケルヴさん? あんた異国の人やろ? 随分と日ノ本の言葉が巧いなあ」

「いいえ。私には、貴方様が大変流暢に帝国語をお話になっているように聞こえますよ。いささか訛りが独特ではありますがね」

「は???」


 一体どういうことなのか。俺は日ノ本の言葉しか話していないし、ケルヴと名乗った男の言葉は日ノ本の言葉にしか聞こえない。混乱している俺に、ケルヴは人の好さそうな笑みを浮かべて答える。


「異世界の方は、魂で言葉を理解するのですよ」

「いせかい?」

「はい。貴方様の魂を、こことは異なる世界より呼び出させていただきました」


 あまりの言葉に、俺は目元を覆って天を仰いだ。


 こことは違う世界から呼び出した――あの世から、国を越えて俺の魂を呼び出したという事か?


 俺は死んだ。それは間違いない。となると……こいつらは、死者を蘇らせた?


 目元を覆っていた手を離し、そのまま目の前で握ったり開いたりを何度か繰り返してから、深く溜息を吐いて下を向いた。床に描かれた不気味な文様が目に入る。


 ――いや、違う。ただ生き返らせただけと違う。


 異国では魔術は眉唾物。俺が生きたでは、いくら技術が進んだ異国でも死者を蘇らせることなんて出来はしない。

 そんな事が出来るなら、医学も医者も必要ないのだから。


 魔術。死者の魂を呼び出し、蘇らせる魔術。

 それによって俺は、これまで生きていた世とは別の世で生き返ってしまった。


 ――……ふざけんなや。


 自分の命を他人に好き勝手された不快感。死者に対する冒涜。腹の底からただただ純粋な怒りが湧いてくる。


 俺の魂は、断じてこいつらのものではない。俺が全てを預けたのは――。


 ――……落ち着け。今は状況を知るのが先や。


 気を静めるために、もう一度深呼吸をした。黴と生臭い鉄の臭いがする空気を思い切り吐き出せば、嫌が応にも頭が冷える。


 まだ状況が呑み込み切れていない。下手を打てばどうなるか分からない。

 自分の感情は一旦脇に置き、自らの身に起きた事実だけを受け止め、次の質問へ進む。


「何のために俺を生き返らせたんや? 俺に何をやらせよう言うんや?」

「はい。貴方様には、魔術の復興のためにご協力いただきたいのです!」

「魔術の、復興?」


 はい、とケルヴは目を輝かせて頷く。


「この世界で我々魔術師は、弾圧の憂き目に遭っております。統制局の目を逃れるために、秘密結社という形での地下活動を余儀なくされているのです」


「弾圧……御禁制、ちゅうことか? 国から禁じられている?」

「はい。それまでの魔術師のたゆまぬ努力を踏みにじる、不当な弾圧です」


 並々ならぬ怒りを込めた声で、ケルヴは端正な顔を歪めて吐き捨てた。


 察するに、秘密結社とは今のまつりごとに不満を持ち、新たな世の政を唱える同盟のことか。『秘密』とつくからには、公に認められてはいまい。

 俺の世で言う所の、水戸天狗党とか土佐勤王党が一番近いか。


「我ら『スフィトスの裔』は、錬金術の大家ファウスト博士と、博士がかつて召喚した美女ヘレネーの間に生まれた、魔術師スフィトスの偉業を後世に残すべく活動しております。

 昨今の弾圧によって魔術の偉業が歴史の闇に葬られるのを阻止するべく、こうして日夜魔術の復興に向けた研究を行っているのです」


「俺を生き返らせたのも、その研究とやらの一環か」

「はい。本当に、お越しいただきありがとうございます。おかげでまた一つ、新たな偉業がなされました」


 何となく、状況が分かってきた。


 まずこの国では、魔術が禁じられている。秘密結社『スフィトスの裔』のの活動目的は『開祖の偉業を後世に残すこと』。


 真の目的は、魔術の弾圧御禁制の取りやめ。成されぬ場合は、現政局の失脚あるいは打倒。過激派であれば国家転覆も視野に入るだろうか。


 もう少し踏み込んで聞く必要がある。そう判断して次の質問をしようとした時だった。


 ドン! と大きな音を立てて俺の右手にあった開き戸が乱暴に開き、白布を被った人間が文字通り転がり込んできた。


 開け放たれた戸の向こうからは、悲鳴と怒号と――戦闘音。


「何事ですか!」


 厳しい声のケルヴに、転がり込んできた白布は悲痛の面持ちでこう叫んだ。



「お逃げ下さい――統制局です!!!」



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