【BL】煌鉄のオネスト
鳩藍@『誓星のデュオ』コミカライズ連載中
回想 慶応元年
あれはたしか、
京都守護職・
当時の俺は将軍
「松本先生。これ、何ですか?」
「ああ、それか。長崎に居た頃、
講義の場所は書庫の奥。文字の手習い本から歌集・歴史書・兵法書、果ては英語の語学書まで、分野を問わず数多の巻物や綴本がひしめく中で、文机を挟んで向かい合う俺と松本先生の間に置かれたのは、先生がかつて長崎で手に入れた西洋医学書の写しの数々。
その中に一冊だけ、どうも様相が異なる書が混じっていたのだ。
「『ぐりもわある』――こちらの言葉に訳すと『魔術書』と呼ばれるものらしい」
「まじゅつしょ、ですか」
聞き慣れない言葉に怪訝な顔をする俺の前で、松本先生は魔術書とやらを無造作にめくっていく。
「魔術は、こちらで言う妖術みたいなものだ。医学書とは毛色が違うが、なかなか面白いよ」
先生は咳ばらいを一つして、つらつらと説明を始めた。
「我が国では大昔、怪我や病の治療は
曰く、神の住まう天より遣わされた天使とやらが、本来は人に伝えてはならぬ神の知恵を伝えたものが『魔術』と呼ばれているらしい。
「学問の発達した現在では、そうしたものは眉唾物とされている。だが、全部が全部ただの
得体の知れない物の怪の絵や、不気味な文様の羅列を横目に、松本先生はある箇所でめくるのを止め、開いたままこちらに見せる。
「魔術の中でも『錬金術』という分野は興味深くてね」
魔術書の丁度中ほど。開かれた箇所を覗き込めば、よく分からない器具が雑多に立ち並ぶ部屋で調薬をしていると思しき人物の絵が描かれていた。
「元は卑金属から金を作るために、鉱物が如何にして成り立ち、如何に変質するかを研究されていたが、次第に地上にある万物の成り立ちを究める学問となった――そこから長じて、人体の成り立ちや性質を研究し、やがてはあらゆる怪我や病を癒す『えりくさあ』なる万能の霊薬を求めるようになっていったのだよ」
「へえ、霊薬。もし本当に作れたら、医者がいらんようなりますなあ」
「はっはっは! 君でもそんなつまらん冗談を言うことがあるのだな」
口元に笑みを浮かべる松本先生だったが、目が全く笑ってない。
「その『えりくさあ』とやらを製造する過程で、既にある薬の薬効を更に強めたり、薬効がある鉱石を新たに発見したりと、興味深くはあるんだが……それ以外は荒唐無稽なものばかりさ。『えいてる』なる無形の
先生は皮肉気に口元を歪めたまま、ぞんざいに本を閉じた。
「ま、内容の真偽はともかく! 元は
わざとらしいほど明るい表情で差し出された魔術書に、俺は両手を膝に置いたまま
「先生、
「はっはっはっはっは! 何を言ってるんだ山崎君! 師匠の厚意は素直に受け取っておき給え! さあ、遠慮なく!」
「えええぇえ……」
俺――山崎
どうやら買ったはいいが持て余している怪しげな本を、講義にかこつけ体よく屯所に置いていく気だったようだ。
「はぁ……ほな、ありがたく頂戴しますぅ……」
「人の親切をそんな辛気臭い面で受け取るんじゃないよ。折角の美男が台無しだぞ」
結局、先生に押し切られてしまった俺は手の中の魔術書を一瞥し、溜息を吐きながらそれを脇に置いた。
――うん、まあ一応高価で希少な洋書やし。語学の勉強くらいには役に立つ……よな?
「何、医学の勉強の役には立たなくとも、君なら本職の話のタネにでも出来るんじゃないかい?」
「酒のアテには丁度良いのと違いますかな」
「なら書庫より
はっはっは! と今度は二人で声を揃えて笑った後に、俺は言った。
「それと先生。俺の今の本職は医者ですよ」
「おや。隠密は辞めてしまうのかい? 君が一番古株なのだろう?」
松本先生の言葉に俺は思わず苦笑する。
「一応肩書は
不逞浪士の探索と、隊内の不穏分子の調査を兼ねた諸士調役兼監察。その最初の一人が俺であるという自負はあるものの、隊士も増えた今となっては、自分にしか出来ない務めではなくなった。
「幕府と長州が睨み合ってる現状、いつ戦力として俺たちにお呼びが掛かるかもわかりません。そこで怪我人が出てから、医者だ治療だと騒いでも無意味です。なら今から万が一に備えた体制を、古参の人間が率先して作って行かなあかんでしょう。それが出来るのは、ここで唯一先生の教えを授かれた俺だけですから」
元々俺は町のしがない
松本先生から西洋医学を学び、医師としてその知識と技術を仲間のために活かす。
それが出来るのが俺しかいないと言うのであれば、是非もない。
「なるほど。名実ともに、山崎君は『新選組の医者』になるのだね」
満足げな顔で頷いた松本先生に、俺は居住まいを正して頭を下げた。
また一人良き弟子を得た、と思ってもらえているなら嬉しい事だ。
「それに諸士調役の方は、頼れる参謀殿が仕切ってくれはりますから」
「参謀殿? ああ、ひょっとして近藤君が言っていた例の――」
丁度その時、書庫の障子がすらりと開いた。
「山崎さーん、いらっしゃいますかー? こちらの書の続きは……あっ」
入って来たのは、色白で背の高い、左目に泣き黒子のある利発な顔立ちの色男。
どうやら、講義中とは知らずに声を掛けてきたらしい。俺と松本先生を見て気まずい表情のまま固まった男を、俺は手招きして隣に座らせる。
「お疲れさんです、伊東先生」
「お疲れ様です、山崎さん。申し訳ありません。講義の最中にお邪魔してしまって」
恐縮しきった色男――新選組参謀・伊東甲子太郎の手には、三巻ある英語の語学書の二巻目があった。
さしずめ、俺が続きを持っていないか尋ねに来たと言った所か。
「構いませんよ。丁度休憩しようと思っていましたからね」
余所行きの態度で鷹揚に頷いた松本先生に視線で促され、俺は伊東先生を紹介した。
「松本先生。こちら、この度新選組の参謀となられました伊東甲子太郎殿です」
「伊東甲子太郎と申します。松本先生のご高名はかねがね伺っております」
改めて頭を下げた伊東先生の声はやや硬い。普段幹部として堂々たる振る舞いを見せる伊東先生であっても、やはり松本先生の前では緊張するものなのか。
「はっはっは! そう固くならんで下さい。近藤君からも、君は有望な若者であると聞いています。折角です、もし良ければ少しお話していきませんか?」
「良いのですか⁉ ご迷惑でないのならば、是非お話を伺わせて下さい!」
――あ、違うわ。これ話聞きたくて辛抱
間髪入れずに即答した伊東先生は、満面の笑みで勢いよく顔を上げた。溌溂とした松葉色の瞳が、普段以上に活き活きと輝いている。
元より好奇心旺盛で、日頃から異国の情勢に関心が高い伊東先生だ。この食いつきぶりを見るに、長崎で実際に阿蘭陀人と接していた松本先生と話したくてしょうがなかったのだろう。
「ほな、一休みがてら茶でも貰って一服しましょか」
「山崎さん、なら僕が――」
「馬鹿言わんで下さい先生。アンタはもう俺の上役でしょうが」
「あ、そうでした……世話役だった山崎さんが部下ってのは、どうもまだ慣れませんね」
慌てて立ち上がろうとした伊東先生は、照れ臭そうに笑って座りなおす。
彼が入隊して間もない頃に、俺が彼の世話役として色々と面倒を見ていた。伊東先生がいずれ新選組で知略を担う幹部として諸士調役兼監察方と連携する事を見越し、俺が指導係になったのだ。
村塾の教授だった経験もある伊東先生は教えたことをすぐ理解し、瞬く間に幹部としての実力をつけていった。彼自身も町人生まれの俺を見下すこともなく――文人肌の先生にとって武闘派の幹部より俺の方が話しやすい、という一面もあるだろうが――先達として立ててくれたため、指導に苦労することはなかった。
おかげで諸士調役兼監察方との関係は良好。集めた情報を恙なく共有できるようになり、隊士たちからの人望も厚い。世話役でなくなった俺とも暇があれば書の貸し借りや語学の勉強を共にするほどに、今も慕ってくれるのはありがたい。
ただ、参謀となった以上は、俺に指示を出すことにも慣れてもらわなければ、他の隊士に示しが付かない。
――とは言え、俺も素直で可愛い弟分って気分が抜けへんのよなあ。
「俺らしか居ませんからいいですけど、他の隊士の前では気を付けて下さいね」
「はい。気を付けます」
「はっはっは! 山崎君、ついでに茶菓子も頼むよ」
しれっとした俺のお小言に苦笑する二つ年下の参謀殿と、松本先生の注文を背中で聞きながら、書庫を後にして厨へ向かう。
そうして茶と菓子を手に戻ってから、俺たち三人は書庫の奥で異国情勢と国の行く末を思う存分論じる事となった。
攘夷と国防、それに伴う新選組の在り方。ああでもないこうでもないと議論に花を咲かせる内に、俺の頭からはあの魔導書の事などすっかり抜け落ちてしまっていた――。
――……その魔術を、死後になって己の身で味わうことになるまでは。
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