キノン領国の森(3)
子爵と五人の愛人たち、そしてウィリアとゲントは、さらわれたアカネ嬢を救出するため館を出た。
子爵が言った。
「山の中腹に巨大バチの巣がある。普段は危険なので近づかないが、アカネのためだ! 行くしかない!」
一同は山の中を走った。
少し走ると、巨大バチの巣のところに着いた。
斜面に穴があり、それが巣のようだ。穴の周囲に、体長一メートル程度のハチがぶんぶん舞っている。
子爵の足が止まった。
「……」
「あ、あの、子爵?」
ウィリアが顔をのぞき込んだ。
表情が固まっている。飛んでいる巨大バチを見て、急に恐怖感が湧いてきたようだ。足が進まない。
愛人の一人が言った。
「わたしにまかせてください!」
ローブを着ている女性だった。魔法使いのようだ。前に進み、手を穴の方に向ける。低い声で呪文をとなえた。
手から火が放たれ、周囲に飛んでいるハチたちを焼き払った。
「よ、よくやった、マデリー! よし! 突入するぞ!」
子爵は先頭を切って、穴の中に入った。
「わーっ!!」
入ったとたん、悲鳴を上げた。穴の中に入った子爵は下に落ちて見えなくなった。
「子爵!」
ウィリアがかけよった。
穴の中を見ると、下にむかう坂になっている。滑り落ちたらしい。
仕方なく、ウィリアもその坂を滑り降りた。五人の愛人、そしてゲントもそれに続く。
途中、左右に分岐するところがあり、どっちに行くべきかわからなくなった。しかし時間はない。
「わたしはこっちに行きます!」
ウィリアが左側の穴を下った。
「私たちはこちらに行きましょう」
愛人たちは別の方の穴を選んだ。
後ろから来たゲントは、ウィリアの行った方を選んだ。
かなり長い坂を下りた。
穴の側面に人がはりついていた。子爵だった。ウィリアが声をかけた。
「子爵!」
側面に張り付いていた子爵は驚いてウィリアの方を見た。
「あっ!? ウィリアさん!? 声を出さないで!」
「え?」
少し先にハチが集まっていた部屋があった。声に反応して、多数のハチが寄ってきた。
「ひ、ひええ!」
子爵は頭を抱えてうずくまった。
ウィリアは襲ってきたハチを斬り倒した。胸と腹が切り離されたハチの死体が周囲に散らばった。
さらに襲ってきた。
ウィリアはそれらも倒す。
一部が子爵に向かった。ウィリアは子爵を守って、多数のハチを斬った。
「子爵! 剣を持っているでしょう!? 使ってください!」
子爵は腰にはいていた剣を抜き、左右に振り回した。
「わわわ、来るな! 来るなー!」
だけどハチには効いていない。襲ってくるものはウィリアが斬った。
「横に振ってどうするんですか! ウチワじゃないんだから! 剣の刃の方に振ってください!」
子爵は泣きそうな顔で言った。
「ボ、ボクは文民で、武器とか戦いとかはまるでダメなんだ」
「なんで付いてきたのですか!?」
「だって、女の子がピンチの時に、助けに行かないなんてかっこ悪いし」
「それはそうですけど!」
そのときゲントが坂を下りてきた。
「ウィリア!」
「ゲントさん!」
ゲントはさりげなく風魔法を使い、襲ってくるハチたちを倒した。
ウィリアの負担が軽減され、進むことができるようになった。穴はまだ先に続いている。
子爵が二人に言った。
「よ、よし、先に進むぞ!」
「はあ」
子爵が剣を片手に、穴の先に走っていった。
巨大バチがまた一匹飛んできた。
子爵は頭をかかえてうずくまる。ハチはウィリアが斬った。
はっきり言って足手まといにしかならないが、子爵と一緒にウィリアとゲントは進んだ。
進むと、やや広い部屋に出た。周囲の土壁にくぼみが掘られてあり、その中に巨大イモムシや野犬などが眠っていた。
それぞれの表面に、握りこぶしぐらいの丸い玉が、粘液でくっついていた。ハチの卵のようだ。
ゲントが言った。
「なるほど。こいつらの幼虫は肉食だ。狩った獣や魔物を眠らせて、孵化した幼虫の餌にするつもりなんだ……」
子爵が青い顔になった。
「アカネは……」
「急ぎましょう!」
さらに進むと、穴の奥に別の部屋が見えた。
三人で入ってみる。
天井が高い。
ウィリアは、殺気を感じた。
上の方から、何かが向かってくる。
ひときわ大きな巨大バチだった。
人間より大きいそれは、子爵の脳天をめがけて急降下した。ウィリアはそれが達する寸前に、飛び上がって斬った。
巨大バチは二つに分かれて床に落ちた。切断された腹部がひくひく動いて、針を出し入れしていた。
周囲を見渡す。先程と同じように壁面にくぼみが掘られていたが、先の部屋のよりも大きい。中には、クマやイノシシなど、大型の動物が眠っていた。
中のひとつに人間がいた。アカネだった。眠っていて、胸に大きな白い卵が粘液ではりついている。
「アカネ!」
子爵がかけよった。くぼみの中から出す。
張り付いていた卵を、ウィリアが剣の先ではがした。卵は床に落ちて割れた。
「アカネ! アカネ!」
子爵が揺り動かすが、意識はない。
ゲントが近寄った。
「毒にやられて眠っているようです。気付け薬を与えてみましょう」
ゲントは小瓶を取り出し、眠っているアカネの口に当てて流し込んだ。瓶の中身は実は水で、同時に治癒魔法をかける。治癒師と気付かれないための小芝居である。
少しして、アカネの目が開いた。
「……あ……」
「アカネ!」
「あっ……子爵さま……! 助けに来てくれたのですね!」
「アカネ! よかった!」
「子爵さま!!」
子爵とアカネは抱き合って喜び合った。
ノールト村でも見たような状況だが、今回ウィリアとゲントは、やや冷めた目で抱き合う二人を見ていた。
「感動的な光景、なんでしょうね」
「うん、たぶん」
全員が巨大バチの巣穴から出てきた。
刺されて毒を受けた者も何人かいた。ゲントが毒消しを飲ませて治療した。
暗くなりかけていた。一行は館まで歩く。
「しかし……」
子爵が口を開いた。
「魔物が強くなっているとは聞いていたけど……人間より大きなハチが出現するようでは、これから山林管理はどうしたらいいんだ……」
後ろに続く愛人たちも、それを聞いて不安な顔になった。なにしろ自分たちの仕事である。
ゲントが子爵の横に寄って、言った。
「子爵さま、僕は薬売りですが、魔法用具も扱っています。魔物よけのお守りがありますが、買いませんか? ひとつ千ギーンです」
子爵が難しい顔をした。
「魔物よけか……。まあ、貴重な物だから千ギーンでも高くはないだろうけど、魔法用具というのは見定めが難しいからねえ。本物だったら欲しいけど」
「本物だったら買ってくれるんですね?」
「うん。買う」
「では、森の中で効き目を試してみましょう。館に帰ったら荷物から取ってきますので、少し待っていてください」
館の直前の森。ゲントが部屋に戻って、荷物からいくつか品物を取り出してきた。
厳重な封がされている品物を子爵に見せた。
「これが魔物よけのお守りです。開けてみますよ……」
ゲントは封をはがした。中からお守りが現れた。
そのとたん、周囲でザワザワと音がした。森の木、茂み、土の中に隠れていた巨大イモムシやクモやムカデなどが出てきて、お守りから遠ざかるようにその場から離れていった。
ウィリアの近くの茂みからも、巨大ムカデが這い出てきた。
「きゃっ!!」
思わず悲鳴を上げてしまった。
ゲントが言う。
「半年ぐらいすると魔力が薄れるけど、聖魔法が使える僧侶とかなら補充ができるはずです。三個ほどありますが、買いますか?」
「か、買う! ぜんぶくれ!」
「まいどあり……」
ゲントは子爵にお辞儀をした。
子爵はゲントを見た。
「……ところでキミ、以前、どっかで見た気がするんだが、気のせいかな?」
「あ、いや、キノン領国の都で、お祭りのとき店を出したことがあります。子爵さまもいらしたから、そこで見たんじゃないんですか?」
「そうかな……。まあ、そうか」
改めて歓迎会が行われ、一同は少し冷めた料理を食べた。
二人は部屋へ戻った。
ウィリアが風呂に入る。ゲントは部屋の隅で本を読んだ。
ウィリアは絹のパジャマを着て脱衣所から出てきた。温泉を引いているのでお湯が潤沢に出る。すっかり暖まったようだ。
「いいお湯でした。ゲントさんもどうぞ」
「あ、ああ」
ゲントも風呂に入った。暖まる。風呂を出る。
ゲントが出たとき、ウィリアは部屋の中央にある円形のベッドに横たわっていた。
「ゲントさん、今日はけっこう魔力を使ったでしょう? 手をつないで寝ましょう」
ウィリアはベッドの中央で、体を横にしてこちらを見ている。
まだ温泉の温もりが残っているらしく、肌が桜色に上気している。
絹のパジャマは柔らかい。体の線が出る。横向きになった姿を見れば、肩からの曲線が腰回りでくぼんで、ゆるやかに臀部が盛り上がり、すらりとした足まで続いていた。
そして大きなふかふかのベッドから、肌(注:手のひら)を触れあわそうと誘っている。
「……」
ゲントは再度旅人服を着て、ドアに向かった。
「……ちょっと外に行ってくる」
ウィリアはいぶかしげな顔をした。
「え? 何でですか? 薬草採集なら、今日はもういいじゃないですか」
「……いや……あの……魔法的に、なんというか、ややこしい作業があるので、ちょっとだけ行ってくる……すぐ戻るから……」
「はあ……」
「ただいま」
少ししてゲントが戻ってきた。賢者のような目をしていた。
その夜、ウィリアとゲントは手をつなぎながら眠った。
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