ノールト村(1)

 ウィリアの注文した服ができあがるまで一週間ほどかかった。その間、ゲントは宿で薬の調合などをしていた。

 ウィリアは、魔物狩りに行くほか、市民向けの図書館に入って魔物図鑑や参考書を読んだ。公女としての教育に魔物学は含まれていない。ウィリアのその方面の知識は断片的なものであった。鬼火イグニスで大変な目に遭ったのを契機として、知識を確実にしようというのである。

 本を読み込んで、魔物の種類、能力、分布などを一通り頭に入れた。注意すべき特殊能力を持つ魔物、剣が効きにくい魔物などを覚えた。

 そしてもう一つ、追っている「黒水晶」が、どのような魔であるかも知りたかった。

 直接書いてある本などないが、魔界について記述した本があった。

 それによると、この地上とは異なる世界として「魔界」が存在し、そこから来る種類の魔物がいる。魔物専門家はそれらを「真魔しんま」と言っている。

 「真魔」は、人間の姿をとることもある。また、人間に取り付くこともある。その力は強大で、歴史上たびたび現れた「魔王」はすべて「真魔」であるという。

 黒水晶も「真魔」かもしれない。ウィリアはそう思った。




 新しい服を手に入れ、ウィリアとゲントは街を後にした。街道を歩く。

「魔物狩りはあまりできませんでしたが、勉強をし直しました。有意義な時間でした」

「それはよかった。僕の方も、薬の仕入れや調合ができた」

 田舎の道を進む。道の脇に森がある。

 森の中から、声が聞こえた。

「たすけてくれーっ!」

 ウィリアとゲントははっとなって、声のした方に向かった。森の中、少し入ったところのようだ。

 小さな沼があり、その周辺に鬼火イグニスが飛んでいた。旅姿の男性が十数体の鬼火に囲まれていた。先日ウィリアが襲われたようなやつだ。

「よし、まかせ……」

 ゲントが風魔法を放とうとした。しかしウィリアがとどめた。

「ここはわたしにさせてください!」

 ウィリアは剣を持って鬼火に向かっていった。鬼火に剣はほとんど効かない。だがウィリアは、剣をすばやく、左右と上下に振りながら何度も斬った。鬼火は消滅した。他の鬼火も同様に片付けられた。

 ウィリアはふうと息をついた。

「鬼火は、炎のエレメントと怨念が複合した存在とありました。聖印剣……、剣で聖印を結ぶことで怨念を浄化し、消滅させることができるとも」

 ゲントは感心して、拍手した。

「さすがだ。読んだだけでできる人はそういない」

 鬼火に襲われていた男性はウィリアに頭を下げた。荷物を持っている。

「ありがとうございました。危ないところでした。あなた方は?」

「修行中の剣士です。これからノールト村へ行くところです」

「おお、そうですか。私もそちらに帰る途中でした。村でまたお会いしたいと思います。すみませんが、急ぎのなので、では!」

 男は荷物を大事そうに抱えながら、村へ走って行った。




 道の脇に森が続いている。泊まる予定のノールト村に近づいてきた。村の門が見えてきた。

 門の前に人がいた。

「あ、あれは……。ゲントさん、ちょっと待って」

「ん?」

 村の門の前には、二人いた。皮鎧を着た男と若い娘で、抱き合ってキスしている。堅く抱き合って、あまり周りが見えていないようだ。

 ウィリアはゲントの服をつかんで、森の中へ入り込んだ。

「終わるまで隠れていましょう」

「ああ、邪魔しちゃ悪いものね」

「……だけど……昼に往来でキスするなんて……はしたない」

「いいじゃないの。恋人なんだろう」

「恋人だって、つつしみはあるべきだと思います」

「キスぐらいいいだろう。恋人が行う神聖な行為だ。美しいじゃないか」

「恋人が行う神聖な行為、ですか」

「そうだよ」

「わたしは、あなたとしかしたことがないですけどね」

「え……? そうなの!? ……あー……ごめん」

「まあ、いいんですけどね。別に」

 少し待った。

 のぞいてみると、男ひとりだけになっていた。森から出て進む。

 門の前にいた皮鎧の男は村戦士らしかった。まだ若く、精悍な風貌をしている。

「ようこそノールト村へ。御用はなんですか」

「修行の旅をしています。今夜の宿を借りたいのです」

「わかりました。どうぞ」




 小さな村で、建物がぽつぽつと建っている。

 宿へ入ると、そこの主人と、さきほど鬼火から助けた男が話していた。

「あっ! この人ですよ! 助けてくれたのは! やあ、先ほどはどうも!」

 助けられた男は二人に礼を言った。

「無事でなによりです。……ご主人、一晩の宿をお借りしたいのですが。修行中の剣士とその従者です」

「はい。お部屋は用意できます。あの、剣士さま、お急ぎの旅ですか?」

 宿の主人がウィリアに訊ねてきた。

「いいえ。魔物狩りを目的にしているので、特に急いではおりません」

「それならば明日一日、村の警備をお願いできませんでしょうか? 五十ギーン程度ですが、お礼も出します。宿代も無料にします」

「一日? どういうことですか?」

「実はですね、明日、結婚式があるんですよ。うちの娘のエマが……」

「それは、おめでとうございます」

「ありがとうございます。で、その相手が、村で一人の戦士で、ゴウと言います。村門の前に立ってたので、見たと思います」

「ああ、鎧を着た……」

「それとの結婚式なんですが、彼が新郎となると、警備役がいません。まあこの辺は特に何が起こるわけでもないのですが、その日だけ警備がゆるくなるのも不安でして……。代わりにやっていただければ……」

「わかりました。お役に立てるなら、やらせていただきます」




 部屋に入ると、若い娘がベッドメイクをしていた。

「あ! 剣士さまですね。先程は、商人のマテルさんを助けていただいたそうで、ありがとうございます」

 ついさっき、村戦士とキスをしていた娘のようだ。笑顔のかわいい女性だった。

「明日結婚なさるエマさんですね? おめでとうございます」

「ありがとうございます」

 エマという娘は、すこし頬を赤くした。

「マテルさんは、私の結婚衣装を持ってきてくれたんですよ。休憩したところを魔物に襲われたみたいで……。おかげで無事届き、衣装合わせもできました。剣士さまのおかげです」

 娘は幸せそうな顔をしていた。

 娘が出て行くと、ウィリアは部屋にあった椅子にもたれて、窓から村の風景を見ていた。なにやら、元気がなかった。

「ウィリア、どうしたの?」

 ゲントが訊ねた。

「……結婚か……」

 ため息をついた。

「……わたしも、したかったな……」

「したかったなって、すればいいじゃないか。ゼナガルドに帰れば、お付きの者がいい相手を見つけてくれるだろう」

「こんな汚れた体で、子供を産めない女と結婚してくれる人なんていないでしょう」

「またそれを言う。子供を産めないなんてまだ決まったわけじゃないし、汚れた体って、そんなの誰も気にしないよ?」

「本音では気にするでしょう?」

「気にしないって」

「気にしますよ。あなただって、もし結婚するとなれば、処女の方がいいんでしょう?」

「……そんなことはない」

「いま、言い淀みましたよね?」

「淀んでないよ」

「いいえ、淀みました」

「しつこいな。正直言って、他の条件が完全に同じで、処女かそうでないかとなれば、処女の方がいいよ。だけど、条件が完全に同じことなんてないんだから、全体でいえば誤差みたいなもんだ」

「そう言って結局、処女と結婚するんじゃないんですか?」

「しないって。第一、僕は結婚はしない。それこそ、こんなフラフラ旅をしてる男と結婚しようなんて女性はいない。君は帰るところがあるんだから、帰って結婚相手を探せばいいんだ」

「また帰れと言うんですね。ゲントさんは、わたしと旅を続けたいと言っていましたよね。あれはウソだったんですか?」

「嘘じゃない。個人的には、君と一緒に旅ができればとても助かる。だけどそれが一領国の政体に優先するとは思ってない。君が帰れば喜ぶ人がたくさんいるんだから、帰った方がいいと思う」

「わたしが帰った方が丸く収まるのは、充分わかっています。だけど帰ることはできません。以前、もう言わないと言いましたよね? そのことに関しては、触れないでおいてください」

「わかったよ。……ほんとにかたくななんだから……」

 ゲントは眉をひそめた。

「森に、魔物狩りに行ってきます」

 ウィリアは剣を持って部屋を出た。


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