I'm proud of you!
崔 梨遙(再)
1話完結:2500字
名古屋の広告代理店に在籍していた時、同じ歳の先輩がいた。先輩の名は神藤(しんどう)、男性だ。会社の男性で1人だけ茶髪だった。先輩は目立っていた。目立っていたのは髪の毛だけではない。僕と同じ営業職だったが、売り上げも常に社内トップクラスだった。先輩は仕事のできる男だった。
だが、先輩はアルバイトだった。“正社員になって縛られるのは嫌だ、自由なフリーターがいい!”というのが口癖だった。だが、管理職を除けば営業の実力トップの先輩、よく仕事についても教えてくれた。
その広告代理店は、中小企業だからかろくに研修もしてくれなかった。3日間、最低限の商品知識などを教わったが、直接営業に関することは教えてくれなかった。なのに、4日目には外に出されて飛び込み営業をさせられた。最初は名刺の獲得を目標とされた。100社、100人以上の名刺をもらってくるように言われた。
初日は96枚だった。18時を過ぎ、オフィスの明かりが消えていったので、“今日はもうダメだ、退社時間だし”と思って帰社したら、上司から1時間半の説教をされた。
「100枚獲得するのが今日のお前のノルマだったんだ、未達成のまま、どうして帰ってきたんだ? ノルマを達成する習慣が必要なんだ、未達成のまま帰ってくるなど言語道断だ!」
僕は正直、腹が立った。見返してやりたいと思った。
「明日はどうするんだ? 今日と同じ結果では困るぞ。工夫しろ、何か考えろ」
「明日、朝のミーティングは欠席させてください」
「何をするんだ?」
「朝9時から名刺獲得のために動きます。朝のミーティングを欠席させてもらえるなら、30分から1時間、今日よりも長く活動できます」
「よし、明日の朝のミーティングは出なくていいぞ」
「崔君」
先輩が近寄って来た。
「相手に申し訳無いとか、迷惑じゃないかな? とか思っちゃダメだよ。心苦しいけど、図々しく回らないと100枚をとるのはしんどいから。僕なんか、ドアを閉められるときに足を挟んだり、“ここにいる全員の名刺をください”とか言って回ったりしたんだよ。明日はもう少し積極的に動こうね、頑張って!」
僕は頷いた。
翌日、僕は146枚の名刺を獲得して6時に帰った。
「これだけのフットワークがあるなら、名刺獲得の練習はもういいよ」
結果的には、1週間の予定だった名刺獲得の研修は2日で終わった。新規開拓営業で、引き継ぐお客さんもいなかったので、最初の3週間はお客さんがいなかった。飛び込みをする、翌日に昨日獲得した名刺の相手に電話をしてアポをとる。そんなことを繰り返していた。
そして、3週間目で初受注。1つのオフィスに2社入っていて、2社同時に受注した。しかも2週ずつ。初受注が2社4件の同時受注というのは珍しく、僕はちょっとだけ認められた。
その後は順調、2ヶ月もすると、忙しくて毎日終電か会社に泊まり込みだった。泊まり込んだ日は、夜中から始発まで仮眠をとって、始発で帰ってシャワーを浴びて着替えてまた出社。先輩と一緒に会社に残ることが多く、先輩と話が出来ることが多くなった。僕にとっては学ぶことが多かった。
例えば、企画書の書き方の基本も先輩が教えてくれた。上司からは、
「企画書を書け」
と言われるようになったのだが、書き方は教えてくれなかった。全てにおいて、
「考えろ!」
「わからんのか?」
という言葉だけ。後は“やる気”や“意識”と“気合い”でなんとかしろという会社だった。要するに、体育会系の会社だったのだ。
勿論、定着率は悪い。給料も最初の1年は安かった。当時で月給は総支給で19万円、いろいろ引かれて手取りは15万円くらい。6万円の家賃を支払っていたら、毎月赤字だった。貯金が削られていった。モチベーションを維持するのも難しい。同世代のスタッフが多くて楽しかったのと、広告に携わることが楽しかったから続けていたのだ。
企画書の話に戻るが、先輩は“マーケットはこう、ターゲットはこう、御社はこう、だからこう、という流れで書くとやりやすいよ”と教えてくれた。僕はその書き方で書けるようになった。本当に助かった。
人の心理から考えられた営業トークも先輩が教えてくれた。ちゃんとした会社なら研修で教えてもらえることを、僕は教わっていなかった。だから先輩のアドバイスはありがたかった。僕が困っていたら話しかけてくれる、忙しいのに周囲を見てくれている、そんな先輩を僕は尊敬するようになっていた。
やがて、先輩と時々飲みに行くようになった。それから、一人暮らしの僕の部屋にも何度か来てくれた。
僕の部屋にはエレキベースとエレキギター、アコースティックギターがあった。先輩はアコースティックギターを手に取ると弾き語りを始めた。ギターも歌も上手かった。僕はギターや歌が上手い人を無条件に尊敬する。先輩は、以前、デビュー直前まで上りつめたバンドのメンバーだったのだ。仕事以外でも、僕は先輩を尊敬するようになった。
或る日、先輩が水墨画の画集を持っていた。その時、“何故、水墨画なのか?”と聞いてみると、先輩は色盲だということだった。そういえば先輩は時々ペンをとって、
「これ、赤? 青?」
と聞いてくることがあった。先輩は黒と白とグレーだけの世界にいるということだった。それで、色盲でも関係無く楽しめる水墨画が好きということだった。
僕は当時、時々絵を描いていた。先輩に見てほしくて、黒と白だけで描くようにした。それを先輩に見せたら喜んでくれた。
やがて、貯金が尽きて会社を辞めなくてはならなくなり、僕は大阪の大手の広告代理店に転職した。
先輩は、ぶっちぎりの売り上げ社内ギネス記録を作り転職、バリバリのキャリアウーマンと結婚、そして幾つかの商品を取り扱うフリーの営業マンになり、どんどん高見へと上っていた。先輩はいつも輝いていて眩しい。
僕が名古屋から離れたことで、1年に1回とか2年に1回くらいしか会えなくなったが、それでも僕のことを友達と呼んでくれた。僕は先輩の友達になれたことを誇りに思う。そして、先輩の成功が自分のことのように嬉しい。
友達とは、こういうものだと思う。
I'm proud of you! 崔 梨遙(再) @sairiyousai
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