第27話 剣の天に至りて 3
呆けたように空を眺めていた。
これが見納めになるやもしれぬ、そんな想いを抱いたからか。
ガラ・ラ・レッドフォートはともあれ、冒険者たちの一人として三十人ばかりいる集団に加わった。とはいえ
なのでフルフェイスの兜を被ることにした。試合、という名の殺し合いが始まるまでは、大人しくしていれば目を付けられることもないだろう。
周囲の冒険者たちは、ほとんどがガラの知らぬ者たちだった。
何しろ命懸けの依頼であると同時、まず達成できない難易度だ。だから、まともな冒険者はこの依頼をそもそも引き受けない。
依頼はこれだけである。そしてそれだけに、達成は不可能だ。
更に言うなら、この依頼は決して命の保証はされていない。
冒険者たちは自分たち愛用の武器を使ってもいい、と言われている。
そして、
手加減することはない。
ルーファスは本気で斬り合うし、情け容赦なく命を奪う。
ただ、斬り合って敗北を認めて命があれば見逃すだけだ。
大抵の剣士は知っている。敗北を認める余裕などあるはずがない。
斬り合って、降参の声を口に出すことすらできずに死ぬ。
それがほとんどの冒険者に訪れるであろう結末である。
もちろん、見返りは大きい。
万が一、万が一、一太刀浴びせて更に命を長らえることができれば。
依頼達成には繋がらずとも、
ただ、幾つものハードルを越えなければならない上に、代償は高確率で己の命。
だから、賢い冒険者は絶対にこの依頼を受けない。
自信のない冒険者もこの依頼を受けない。
受けるのは、向こう見ずな冒険者、捨て鉢な冒険者、この依頼に命を賭すことで、何か報われるものがある冒険者、つまり……大多数の冒険者たちである。
相手は魔獣ではなく、ただの人間。ただの、剣に熟達した人間。
ならば、幸運があるかもしれない。
紛れがあるかもしれない。
そう思い、命をチップとしてゲームに臨む者たちは後を絶たない。
もっとも、そんな彼らの命は速やかに絶たれるのもまた事実だが。
§
その宴席でエレニアムは、普段の簡易なローブ姿ではなく瀟洒なドレス姿で立っていた。
一介の冒険者ではなく王位継承第五位、エレニアム・セレフィアード王女として招待された彼女は、既にスピーチは済ませている。
「前侯爵はとても悲しい悲運で不幸な事故でした。伯爵には幸運がありますように」(意訳)
何たる空虚なスピーチか。エレニアムはこっそり「あの侯爵とその息子はクソ溜めのクソカスでまあ死んで当然、皆が喜ぶ私も喜ぶまさにざまぁカンカンでした」というスピーチも考えたが、自主的に没にした。
ふと、粗野な匂いがした。懐かしい、というにはあまりに日常的な汗と、血と、鉄の匂い。ああ、これは―――冒険者のそれだ。
「ふ、臭うな。糞溜めか?」
先ほど自分を口説いてきた若い貴族子息がそんなことを呟いていた。
許せん。後で踊りに誘って足の甲を粉砕してやる。
エレニアムがそんな算段を整えている時、一人の男が彼女の傍を通過した。
鉄兜を不格好に身に付けた、大柄の男だ。
――視線が絡む。エレニアムの目が驚きに見開かれる。
男は軽く手を掲げて、黙ってくれるようにと目線を送る――エレニアムは頷く。
エレニアムは当然驚いたが。男も当然驚いた。
しかし同時に納得もする。彼女の魔術の腕は一代で突然現れたものではなく、王侯貴族の血を引くのもまた理由の一つなのか、と。
剣術などと異なり、魔術は特に血統が重要視されやすい。一代で突然異常な技量を持つ者もいるが、大抵は貴族として魔術を嗜んでいる者から傑出した人間が出てきて魔術師となる道を選ぶ。
……しかし、まさか冒険者を選ぶとは。
これは秘密にしておくべき事柄なのだろうか、などとガラは考えて苦笑する。
今から、
そんなどうでもいい事を考えている自分が、妙におかしかった。
§
伯爵邸、宴席。
使用人たちがテキパキと真ん中のテーブルを片付け始めた。元より広い部屋である。貴族たちもこれから
グラスを片手に、部屋の奥へと避難を開始した。
頃合いを見て、広く空いたスペースに男が進み出る。
テクステリーを領地として得て、支配権を得た貴族――ジャラシダン伯爵である。
「私の叙任式に立ち会ってくださった
ジャラシダン伯爵のスピーチに招かれた貴族たちが拍手する。
伯爵と交代するように、穏やかな笑みを浮かべた男が進み出た。
「では一人ずつ。後悔のないように。手加減はしない」
穏やかな声で、ルーファスは死の宣告を行った。
ガラは鉄兜を被ったまま、一歩を踏み出そうとして。
「俺が先だ!」
あっさり先を越された。
大柄な
直撃すれば破壊力は絶大で、ルーファスといえども死は避けられまい。
加えてもう一点、大柄な体躯と前に構えた斧のせいで頭部がガードされている。あれでは頭部を斬って即死させようにも、その前に腕と斧の柄を斬ることになり、結果として頭部を斬るより先に斧が上段から襲いかかる。
ゆらり、とルーファスが揺れた。
貴族たちの目にも追えるほどに緩やかな、されど滑らかな動きで。
喩えるならば、風に舞う布のようにふわふわとしたそれ。
だが、戦斧男は風のように通り過ぎたルーファスを目で追おうともしない。
立ち止まって、ぼんやりとしているようにしか見えなかった。
「……え?」
男の異変に、目の前にいた貴族が気付いた。
顎だ。
顎からだらだらと血が流れている。しばらくして戦斧男は崩れ落ちた。
まるで魂を失ったように。……いや、命を失っているのだから『ように』ではなく、そのものなのだが。
ルーファスは通り抜けざま、戦斧男が反応するより先にただ刀を突き上げた。
その動作が尋常じゃなく迅く、そして滑らかだったために通り過ぎたようにしか見えなかっただけである。
刃は下から顎を貫き、脳にまで到達した。
その時点で戦斧男は死んでいる。
あまりに素早すぎて、男がしばらくその事に気付かなかったほどに。
「次」
「私だ!」
それを身体強化という
だが、あまりにも悪手である。
ルーファスは失望のため息をついた。
未熟な技量を魔術で補う。それもまた一つの手段であるが、ありきたりだ。
そも、なぜ
それは簡潔な理由がある。
使い慣れない
軌道のブレは違和感となり、違和感は必殺の志を惑わせる。
どうしても
もっとも、前者はともかくとして後者は強化に耐え切れずに肉体が崩壊するのが関の山だろうが。
いずれにせよ、この
「
ルーファスは自身の国の言葉で、その剣を蔑んだ。
半円を描いた名刀は柔らかに突進してきた双剣士の首を刎ねた。
技術。
技術が、一段階……いや、五段階ほど冒険者たちとは違う。
次だ、と考えていた男が怯んだ。
二人が死んだことは不思議ではない。
だが、その技の領域があまりに上だった。
行けば死ぬ。
彼の刃の届く場所は即ち死地でしかない。
次は、誰が、
ルーファスはやはりこうなったか、とため息をつく。いつも、二人か三人を斬ったところで、相手が怯み出す。
だから、次に言うべきことは『一斉に掛かってこい』だ。
その言葉を発しようとした瞬間、何かが投擲された。
大した速度ではないので、あっさりと両断する。
顔を覆い隠す鉄兜だった。周囲の貴族がざわつく。自分の技ではなく、投げた相手へ向かっての戸惑いめいたものが感じられる。
ルーファスはそちらに目を向けた。
――ついに、来たか。
堂々とした体躯、濃緑色の肌、精悍な眼差しは透明な殺意に満ちている。
かつて相対したことがあった。その時は、まったくもって楽に殺せるであろう相手だったはずなのに。
たった二年、たった二年で、これほど人間は悪辣に成長を遂げるものか。
既に三十も半ばに差し掛かったルーファスは、彼の若々しさが少し恨めしかった。
「
「蜥蜴がどうしてここに?」
「おい、いくら冒険者でも、この場に相応しくはない。追い出せ」
幾人かの
途端、どさどさと倒れ込む貴族たち。
「伯爵。気分が悪くなられた方がいるようです。どうぞ手当を」
「あ、ああ……貴方たちは、その、」
「続けます」
ルーファスの断固とした口調。冒険者たちもその迫力に一歩下がる。伯爵もこれ幸いと、失神した貴族たちを別室で手当てすると言って運んでいく。
もう邪魔をする者はいない。ただただ、見守るだけ。
そうして、ガラ・ラ・レッドフォートはその一歩を踏み出した。
§
二年はあまりに短かった気がする。
だが、短いながらも充実した時間だったことは間違いない。
その一歩は強くもなく、かといって弱くもなく。
ごく自然に、ありふれた歩みだった。
目の前に、剣気の城塞が如き人間がいるというのに。
ガラの一歩は何とも自然だった。
ルーファスが口を開く。
「――君が居ることに驚異と歓喜を感じている」
「二年経ったんだ。いつ来てもおかしくないはずだが」
「私と約束を交わして、正しく実行する人間はそう多くなくてね」
この二人、因縁がある。
貴族も、冒険者も、それが
その因縁は途方もないように見えるし、些事のようにも思えた。
全てを知るのは、当事者の二人だけ。
「君は、俺を殺してくれるかな?」
「私は、貴方を倒す」
その言葉に、どれほどの想いが籠められていたのか。
「……ルーファス・アクィナス。流派、我流」
手には
「ガラ・ラ・レッドフォート。流派、
手には無銘・苗刀。
人斬り捨て鬼に成り
我が身惜しむことならざりけると
是全てただ一刀の為
いざ
尋常に
「――――――勝負」
剣の頂点に、今、一介の
§
自身の技を我流、とルーファス・アクィナスは称したが、厳密には事実と異なる。
様々な流派から技を学び、修めたのは確かなのだ。
北辰一刀流、薬丸自顕流、柳生新陰流といった
ある程度の高みに達すると、するりと道場から逐電する。
技を盗み、奥義を強奪し、秘技をものにしてから、道場から抜けるのだ。なのに彼は道場主たちから一度たりとも責められることはなかった。
彼の態度があまりに柔らかだったせいか。
それともあるいは、その才能があまりに眩しくて――どこまでいけるのか、見てみたいと思ってしまったからなのか。
ルーファスは過たず天才だった。
彼は一つ一つ、小技から奥義に至るまで多流派の技から一つ一つ、自分に合ったものを選択した。
本来なら、そんなことは有り得ない。
一人の人間が学び修めるのは一つの流派。
そしてそのために、合う技であろうが合わない技であろうが、肉体の方を変換するのが、常道というものだ。
合わない技を合うようにする。
そのための修練であり、そのための鍛錬だ。
されどルーファスは違う道を行く。
あらゆる流派のあらゆる技から、自分の肉体に適したものを選び出す。
そうすることで、彼はあらゆる技を得意技とした。
全ての技に伸びがあり、違和感がなく、全力を投じることができる。
剣士にとっての完成形。
それ即ち【完剣】ルーファス・アクィナスである。
ならば。
ならば、ガラ・ラ・レッドフォートはどうなのか?
ガラ・ラ・レッドフォートは
そして迷うことなく、その鞘を捨てる。
より、あの逸話を理解している者は違う。
あの逸話で大切なことは、武蔵の「鞘を捨てたな、小次郎。臆したか」という弾劾であり、鞘を捨てたかどうかなどはどうでもいいのだ。
何なら、敵手――佐々木小次郎がもし鞘を捨てなかった場合、武蔵はこう言っただろう。「なぜ鞘を捨てぬのか。決死の覚悟がないと見える」と。
精神の動揺こそが要である。
だからこの逸話を知っている者に、動揺はない。
ガラもまた当然知っているし、ルーファスもそれを理解している。
つまり、ガラは決死の覚悟。
相手を殺すか、自分が死ぬか、そのどちらかなのだ、と。
まずは一手。
ガラは無意味になるかもしれぬ一手を、ものにした。
§
互いに摺り足でゆっくりと近付いていく。ルーファスもガラも、身を守るための鎧を装着してはいない。
ルーファスは宴席用の礼服、ガラはいつも通りのゆったりとした着流しである。
つまり共に一撃当てれば片が付く。
通常、ルーファスもガラも冒険に赴く際は軽鎧を身につける。革製でかつ動きを極力阻害しない、そして重要な急所には金属を貼り付けて補強したものを。
だが今回それはない。つけたところで無意味な相手なのだから。
言葉はない。絡め手を考えるのであれば、会話のやりとりで精神の動揺を突くこともできるはずだが。
しかし、ガラはその絡め手が可能なほどルーファスを知る訳ではない。
情報を得る伝手もないのだから。
一方のルーファスもまた、別の理由でその絡め手は不可能だった。
ここは貴族たちが集まる衆人環視の中であり、冒険者たちもいる。
その状況で、いかにも卑怯な振る舞いをするのは
情報不足と名誉の維持、動機は異なるが互いに無言で戦わざるを得ないのは共通している。
それでも、冒険者や貴族の何人かは理解していた。
この二人には因縁があり、宿命があった。
殺し合うことが、必然と思えるほどに。
踏み込みはほぼ同時。
互いに必殺を期しての
常道の技ではあるが、ルーファスが放ったそれはガラのものより数段鋭い。
ガラの膂力が僅かに軌道を逸らし、皮膚を掠めた。
滲み出る血に、貴族たちが安堵したような息を吐く。
だが、ルーファスはいつもと変わらぬ微笑と共に告げた。
「腕を上げたな……」
相討ちである。
ガラの
周囲がどよめいた。
掠り傷ではあるが、傷を負わせたという事実。
ガラの評価はただの珍しい
「でも、ここまでだ」「ここまでだな」
一部の、
所詮は、ここまでだと。
当事者を除けば、ガラの勝利を信じて願っている者はこの場に一人。
エレニアム・セレフィアードのみだろう。
だが彼女ですら予想だにしない結末を、この戦いは迎えることになる。
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