第28話 主人公≠英雄

 小舟に乗り換えたオルティスはアルバートと共に、まだ闇に侵食されていない入り江から上陸を果たす。


「兄上、どこへ向かうのですか?」

「闇魔導士に対抗する唯一の手段を手に入れるっ」

「そんなものがあるのですか」

「……あるっ」


 オルティスは間道を使い、北に向かって急ぎ、目的地に到着した。

 そこは森の中にひっそりとたたずむ、古代のダンジョン。

 周囲の情景もゲームで見たまま。


「こんな場所にまだ未踏破のダンジョンが……」


 アルバートが驚きに声をこぼす。

 ダンジョンを踏破し、危険を除去するのも騎士団の大切な任務の一つで、騎士団は誰よりダンジョンに精通している。

 その自分が知らないダンジョンがあるのは驚いて当然だ。


「行こう」

「待って下さい」


 右腕を掴まれた。


「ここに何があるというのですか」

「言っただろ。闇魔導士と戦う手段だ」

「……具体的には?」

「光の剣と呼ばれる、伝承の剣。かつて闇を払った光の聖騎士がここに封じた」

「それも、闇魔導士に関する文献にあったのですか?」

「そうだ」


 ゲームのストーリー通りにいけば、さまざまな場所を巡り、ようやく分かる場所だ。

 その過程をすっとばしてしまっているが、仕方がない。

 今は時間がない。

 アルバートの美形がかすかに歪む。


「? どうした?」

「いいえ……。行きましょう」


 ここでのイベントは、主人公とすでに恋人同士になっている攻略キャラが一緒に探索し、最奥にある光の剣を手に入れる、というもの。

 果たしてここに来るパートナーが、本来はモブ中のモブであるオルティスであっていいのかという疑念はあるが、仕方がない。


「私が先に行きます。兄上は離れないようにしてください」

「すまない」

「ただの役割分担なのですから、申し訳なく思わないでください。兄上を守るのは弟の務めです」


 アルバートは口元に笑みを浮かべながら言った。


「逆だと思うんだけどな」

「ブラッドリー家では逆なんです。私の命を救ってくれたのですから。その恩を返し終わるまでは、私が兄上を守るんです」


 アルバートを先頭に、地下へと階段を下りていく。

 足を踏み入れた瞬間、闇に沈んでいた回廊に光が灯った。


(ゲームと同じだ)


「これは……?」

「たしか、文献には光の魔法とあったな」


 光も闇もどちらも今は喪われた魔法の残滓だ。

 長い歳月を経て、ダンジョンのあちこちを木の根が浸食している。


「罠があるから気を付けろ。俺の言うとおりに動いてくれ」

「それなら、こうしたほうがいいですね」


 アルバートが左腕で、ぐいっとオルティスを抱きしめてきた。


「お、おい……っ!?」

「こっちのほうがいざという時に、すぐに回避できるから、兄上も安全でしょう」

「……まあ、そうだな」


 たしかに反射神経も運動神経もアルバートの足元にも及ばない。

 というわけで、抱きしめられながらのダンジョン踏破が始まった。


(情けなさ過ぎるけど、しょうがない……)


 ダンジョンのあちらこちらには、侵入者を確実に排除する為の仕掛けが設置されていた。

 しかし全クリ済みのオルティスからしたら、どれもこれも回避出来てしまうようなものばかり。

 楽勝だ。

 オルティスの知識と、アルバートの常人離れした運動神経。

 二人にかかれば、あっという間に最深部へ行き着く。

 オルティスはようやくそこで、下ろしてもらう。


「光の剣はこの奥にある。だからもう離してくれていいからな」

「分かりました」


 アルバートが両腕で固く閉ざされた石造りの扉を押せば、ゴゴゴゴゴ……とゆっくり、扉が開いていく。

 扉の向こうには二十畳ほどの部屋があり、中央部には古ぼけた剣が突き刺さっている。


「あれが、光の――」


 その時、どこからともなく不快な音が響きわたった。

 あまりの騒音に、オルティスたちは耳を押さえる。

 ──異物を検知。守護者を召喚。異物を排除せよ。


【村の古老「資格無き者が立ち入れば、守護者がただちに目覚めるだろう。注意せよ──」】


 ゲーム内で、このダンジョンの存在を教えてくれた人物の台詞がオルティスの頭の中に思い浮かぶ。

 ゲーム中、主人公と攻略キャラの組み合わせでは何事も起こらなかったのに。


(やっぱり、悪役令息は異物だったのかよっ!)


 部屋の中に巨大な召喚陣がどこからともなく生まれたかと思えば、石造りの巨大な兵士──守護者が召喚された。

 この守護者は光の魔法の加護を受け、並大抵の代物ではない。

 ゲーム中ではラスボスを倒した後に特別バトルとして戦える裏ボスで、ラスボスの何倍も強く、プレイヤーを阿鼻叫喚に叩き落とした曰く付き。


 グオォォォォォォォォォォオ!


 守護者はまっすぐ、オルティスに狙いを定めて襲いかかる。


(こんなところで諦められるか!)


「アル! 俺が囮になってこいつを惹き付ける! その間に、光の剣を抜け……!」


 光の剣は勇者の資質を持つ者にしか抜けないのだ。

 勇者の資質、それはつまり主人公を意味する。

 駆けだそうとしたその時、青白いオーラの塊が守護者めがけ襲いかかれば、守護者は呆気なく粉々にくだけた。


「……ま、マジ、か……」


 たった一撃で、ゲーム中最強の敵と呼ばれた守護者をあっさり倒してしまった。


(さすがは主人公と言うべきか……)


 やかましかった音声も、不快な音もぴたりとやんだ。


「兄上、お怪我は?」


 本人は自分がどれだけすごいことをやり遂げたかの自覚もないらしく、けろっとした顔でオルティスを心配してくる。


「へ、平気だ。た、助かったよ……」

「良かったです。それじゃあ、剣を抜きましょうか」

「そ、そうだな」


 アルバートに続いて恐る恐る部屋に足を踏み入れたが、何も起こらなかったのでほっと胸を撫で下ろす。

 アルバートが光の剣の元に歩み寄り、そして立ち止まった。


(何をしてるんだ?)


 もう何の障害もないはずなのに、アルバートは光の剣に手を伸ばそうとしない。


「アル? 何をして……」


 アルバートが不意に体ごと振り返った。


「質問があります」

「後で答えてやる。それよりも早く剣を……」

「嫌です。答えてくれるまで触れません」

「い、嫌って……この国の存亡がかかってるんだぞ!?」

「だからなんですか? 私には関係ありません。こんな国のことなんて」

「突然どうしたんだよ」


 アルバートが一歩一歩近づいてくる。

 言葉にはできないような、鬼気迫るものを覚えたオルティスは自然と後じさり、壁際にまで追い詰められてしまう。

 やがてアルバートは両腕を壁につくと、オルティスの逃げ場を完全に封じた。

 突然どうしたんだと、オルティスは戸惑ってしまう。

 澄み切った青い眼差しから、目を離せない。


「私にとって大切なのは兄上であって、この国ではありませんから」

「でもお前は副団長になったんだ。それはこの国を守りたいっていう気持ちがあるからだろ?」

「私が功績を挙げたら、兄上が褒めてくださると思えばこそ、です。褒められたいし、自慢の弟でいたかったんです。だからこの国が、いいえ、この世界が闇魔導士の手に落ちたとしても、兄上と一緒にいられるなら、それはそれで構わないんです」


 こんな主人公がいていいのかと、オルティスは戸惑う。


(ゲーム中ではこんなに屈折してなかったはずだぞ!?)


「分かった。何が聞きたい? 俺で分かることなら何でも答えてやるっ」

「兄上にしか答えられませんよ。このダンジョンや光の剣のことをどこで知ったのですか?」

「言っただろ。図書館だ。偶然見つけた古文書で……」

「私はそんなに、信用できませんか?」


 その声に滲む切ない響きに、はっとさせられた。

 さっきまで怜悧だったはずの表情が、苦しげに歪んでいる。


「な、何を言ってるんだ」

「私も闇への知識をつけなければならないと、宰相府の図書館に問い合わせをしたんです。しかしそんな蔵書はない、そう言われました。どうして昨日今日、宰相になられたばかりの兄上に、ベテランの司書さえ存在を知らない本を偶然にも、探し当てることができたんですか?」


 責めているのではないことは分かっている。

 アルバートは、オルティスから嘘をつかれたことに傷ついているのだ。

 すぐには返答できず、言葉に詰まってしまう。


「兄上への想いを受けいれてくださらなくても構いませんでした。これはあくまで私の勝手な感情ですから……。でも私たちはこの世でたった二人の兄弟。信頼関係があったと思っていたのは、私だけなのですか?」

「違うっ」

「では、なぜ嘘を?」


 やっぱりそこにくると、言葉が出ない。

 なんと説明すればいい?

 全てを正直に話して、理解できるのか?

 この世界が、これまで生きてきた人生が全てゲームの中の出来事だなんて。

 オルティスの正気が疑われかねない。


「私はどうでもいいですが、兄上はこの国が滅びてもいいとは思われていませんよね」


 まさしく脅迫。

 そしてアルバート相手に、適当な嘘は通用しない。むしろもっと怒らせ、悲しませてしまう。


「……お前は絶対、信じられない」

「兄上の言葉を疑うわけがありません」

「これはそういう問題じゃなくて」

「教えて下さい」


 飢えた肉食獣のように、アルバートは迫ってきた。

 本能的に、「食われる!」と思ってしまうほどの迫力で、心臓がバクバクと激しく鼓動する。


「……この世界は、俺が前世でプレイしていたゲームの世界なんだよ」


 オルティスは、とてもアルバートの目を見られないまま、あらいざらい話す。

 ふざけているんですか、と詰められるのが不安で、とてもアルバートの目を見られなかった。

 話せば話すほど、説明すればするほど、我ながら自分の言葉が胡散臭くなる。

 何をどうしたら信じられるのだろうか。


「──というわけだ。信じられないだろ? でもこれはお前を馬鹿にしてる訳でも、煙に巻こうとしている訳でもない。本当のことなんだよ……」

「兄上、顔を上げて下さい」


 頭の上から声が降ってくる。その声からは感情が読み取れない。


「兄上」


 オルティスは観念して顔を上げた。

 そこにはアルバートの無表情があった。


「たしかに信じられない話ですね。この世界が架空の世界で、私がその主人公。兄上は本当ならとうの昔に死んでいるはずの悪役だなんて……」

「でも本当のことで……」

「兄上ほど優秀な人が主人公でないことが驚きですよ」

「そ、そこかよっ!」


 思わず突っ込んでしまう。どれだけこの義弟は、兄馬鹿なんだ。


(嬉しいけど……)


「でも、それなら兄上の不可解な行動も理解できます。団長との仲を疑ったり、大して親しくもない部下と私をくっつけさせようとしたのか。攻略キャラですか……面白い概念ですね。説明を聞いて安心しました」

「へ?」

「この胸にある、兄上を想う気持ちは、その遊戯のせいではなく、私だけのものだということですよね?」

「……そういうことになるな。俺が生き残ってること自体、普通の状況じゃないからな」

「誰かに押しつけられた感情ではない……それだけで私には十分です」

「信じる……のか?」

「まぐれで、こんな場所を見つけられるはずもありませんから。──兄上が正直に答えてくれた以上は、私もすべきことをしなければなりませんね」


 アルバートが聖剣の元へ近づき、光の剣へ手を伸ばす。

 刹那、バチッと目には見えない壁に阻まれたように火花が散った。


(え……?)


「…………」


 アルバートは自分の手をしげしげと眺めれば、

「弾かれてしまいましたが」

 そうこともなげに言った。


「はあああああ!? あ、ありえない……こ、ここは主人公の見せ場だぞ! 世界を救いたいという想いを胸に秘めた主人公が…………………………」

『私には関係ありません。こんな国のことなんて』


 そう、アルバートははっきりとそう言い切った。


(ま、まさか? さっきの守護者が現れたのは、アルを異物と認識した、から……? って、いやいや! あり得ないだろ! 俺は悪役令息だし、転生者だし! アル以外に誰が剣を抜けるって言うんだ!?)


 ごくりと、オルティスは唾を飲み込んだ。


「お前、ほ、本当に世界なんてどうでもいいと思ってるのか?」

「私が守りたいのは、兄上だけですから」

「俺はこんなに世界を守りたいって思っているのに!?」


 推しが生きた世界。この世界に入り浸りたいというほどやりこんだゲーム世界。

 それが闇に飲み込まれ、ここで息づく人たちが死に瀕している。

 救いたいと思うこの気持ちが、アルバートにない……?


「兄上は光の聖戦士への祈りを欠かしてはいませんよね。それに、このダンジョンへ急ぐほど、世界を救いたいと思っておられる」


 しかしアルバートが弾かれたということは、オルティスがチャレンジするしかない。

 まさかという言葉を飲み込みながらも、剣の台座に向かって進んでいく。

 弾かれたらどうする。

 そうなったら世界は終わる。

 資格を持つ人間が世界に存在しなくなるということだから。

 固い唾をゴクリと飲み込み、恐る恐る手を伸ばす。

 手は、弾かれなかった。柄をしっかりと握り締める。


(……さ、触れた)


 しかしこれだけではまだ分からない。

 資格がなければ、剣は抜けないはず。

 するり、いともたやすく、抜けた。


「…………」


 台座から抜けた刹那、刀身からかび臭い地下ダンジョンにはあまりに不釣り合いな、清浄な空気が吹き抜ける。


(あぁ、すご……っ)


 一発であの剣に不思議な力が宿っていると分かった。


「兄上……」


 刀身に自分の顔を映り込ませれば、額に、幾何学模様が複雑に絡み合った紋様が浮かんでいた。それは光の聖騎士の紋章。

 ゲーム中では、アルバートの額に浮かび上がっていたもの。


「やはり、兄上こそ主人公だということですね。しかし見たところ、ただの剣にしか見えませんが、本当に闇を払えるのですか?」

「そのはず。たしか、ゲーム中だとこうして叫んでいたんだ。──清らかなる光よ!」

 オルティスはゲーム上で、主人公がそうしていたように剣をかかげ叫んだ。


 パアアアアアアアアアア!


 清らかなる光が部屋を照らし出した。


(使えるのかよっ!)


 ツッコミを心の中でするしかなかった。


「さあ、闇魔導士をさっさと倒しに行きましょう、兄上」

「そ、そうだな」


 アルバートの背中を慌てて追いかけた。

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