第26話 潜伏

「なぜ仕事が進まないっ」


 宰相府の執務室で、サイラスの激昂する声が響きわたった。


「も、申し訳ありません。部下どもの尻を叩いているのですが……あの庶民どもの仕事が遅いせいで」


 子爵は口ごもる。


「もういい。下がれ。さっさと仕事を進めろっ」

「は、はぃっ」


 オルティスはどうやって政策を速やかに実行してきたのか。

 役人の数を増やした様子もないのに。

 それだけではない。

 食糧の高騰で、一部の民が暴動を起こしてもいた。騎士団や衛兵隊を動員してどうにか鎮圧したが、人々の不満は日に日に高まっていく。

 貴族たちに買いだめしている食料品の放出を命じてもいるが、のらりくらりと言い訳ばかりで埒があかなかった。

 と、サイラスが苛立っていると、王からの使者がやってくる。


「宰相閣下。陛下がお呼びでございます」

「分かった。すぐに行く」


(この忙しい時に……)


 しかし遅れるとうるさい。

 サイラスは王の私室へ急ぐ。


「サイラスでございます、陛下」

「黒魔道士の行方は?」

「未だ」

「で、オルティスたちはどうだ。捕まったか?」

「……未だ」

「早くしろ! 黒色化が東部だけにとどまらず南部にも広がりつつあるんだぞ! オルティスたちを罷免すれば、全てうまくいくと言ったのはお前だぞ!? 一体何をしているのだ!」

「申し訳ございません」

「まったく。こんなことだったらオルティスたちの罷免などしなければよかった! サイラス、このままではお前の立場も危ういと知れっ!」


 国王は苛々しながら吐き捨てた。


「全力を尽くしておりますので、お待ち下さい」


 舌打ちをし、「下がれ」と告げられ、退出した。

 衛兵隊に命じ探し回らせているが、未だ手がかり一つも掴めない。

 公爵領にも捜索の手を伸ばしたが、空振りに終わった。


(まさか国外へ脱出した? いいや、国境線は一番に封鎖した。さすがに国外に出るのは難しいはず)


 そんなことを考えながら歩いていると、向かいから王太子のガブリエルが歩いて来る。


「これは殿下」


 サイラスはうやうやしく頭を下げた。


「父上に呼ばれたか」

「は」

「手間取っているようだな」

「オルティスたちならば全力を尽くして捜索中でございますので、早晩、朗報をお届けできるかと」

「そのこともあるが……宰相府の仕事のことだ。オルティスが宰相だった頃に比べると、政策の立案が遅いのではないか?」

「ご心配は無用です」

「ふむ……。オルティスは貴族どもの怠惰を暴いたことが最も大きい功績と言えるな。部下の手綱はしっかり締めておけ。甘やかせばつけあがるぞ」

「殿下。それ以上は我々、議会派への侮辱です」

「そうか。そういうつもりではなかった。では頑張れ」


 ガブリエルは小さく肩をすくめると、立ち去っていく。

 サイラスは大きく息を吐き出し、宰相府に戻る。

 部屋に戻ると、本を机の上に引っ張り出す。


「……どういうことだ。黒色化を止めるよう、言ったはずだぞ。なぜ止まらない……いや、それどころか、黒色化が広がり続けている!? これでは民の不安が強まるばかりだっ! もう十分だっ!」


 ――ハハハハ……。


「何がおかしいっ!?」


 ――何を怒っている? 民のことなどどうでもいいだろう。お前さえいれば、この国は安泰だ。我が闇の力があり、お前の抜きんでた才覚がある。それより、いつまであの豚のような男をのさばらせておくつもりだ。

「……国王陛下だ」


 ――下らぬことだ。優れた力と頭脳を持つお前が、あの豚を前にすると、ただ頭を下げるだけの凡人に成り果ててしまう……。


「凡人だとっ。ふざけるなっ。私は、優秀だ……っ!」


 ――そうだな。私にはよく分かっている。だがここにはそれを分からない人間があまりに多すぎる。豚をふくめ、そろそろ思い知らせてやるべきではないか? お前の力がどれほど優れているか、明晰な頭脳がどれほどこの国に欠かせないか、を。


「何を愚かなことを……」


 しかし声が、頭の中を浸食してくる。

 その声が、サイラス自身の思考と絡み合い、混ざっていく。

 明瞭だった理性が、黒い淀みの中に沈み、絡め取られる。


「あぁ……まさに、その通りかもしれない、な……いや、駄目だ。それでは謀反ではないか。そんなことをするわけには、いかない。私は国王の臣下で……ぁあああああ……!」


 頭が割れそうなくらい痛む。

 思わず片膝を付き、その拍子で机の上のものを床に落としてしまう。

 痛みのあまり、サイラスの意識はとんだ。



 アズス滞在から十日。

 オルティスは日がな一日何もすることがないのは手持ち無沙汰なので、フォグマンに頼んで、経理の仕事を手伝わせてもらっていた。

 フォグマンはその間もオルティスの指示で都の貴族たち向けに、ワインや魚の塩漬けを貴族に売り、多額の利益を稼ぐ一方、その利益で外国商人相手に日持ちする食料品の買い付けを行ってくれていた。

 そんなある日、オルティスとアルバートはフォグマンから呼ばれた。

 そこには騎士団員の一人、グラムの姿があった。


「お久しぶりです、宰相閣下、副団長。お二人とも、お元気そうで何よりです」

「グラムこそ、元気そうで良かった。都の情勢を知らせに来てくれたんだろ?」

「はい。都は……というより、国は今、大変なことになっています。ここ一週間近く、サイラスが病欠と称して自宅に引きこもっているせいで、宰相府が機能不全に陥っているんです。それだけでなく、食糧高騰で民の暴動が国の各地で発生しています。衛兵隊や騎士団が出動し、どうにか抑えている状況ですが……」

「陛下は何を?」

「サイラスは何をしている、と団長たちに怒鳴り散らしている毎日だそうです。議会派貴族もサイラスがいないせいでどうしたらいいのか分からないどころか、食料品の買い占めを行っている貴族の邸宅が民に襲われ、大変みたいです。で、団長が陛下に、オルティス様を許されては、という提案をしたところ、王太子殿下も賛同し、だいぶその気になっているそうでございます」


 アルバートが盛大に舌打ちをする。


「勝手に職を剥奪しただけなく、衛兵隊をけしかけておいて、今度は許す? どうしようもないな」

「まあそう言うなよ」

「兄上はそれでいいのですか?」

「罪人として逃げ続けるよりましだろ。陛下がちゃらんぽらんなのも今にはじまったことではないし……」


 もちろんオルティスも打ち出の小槌よろしく便利な道具として終わるつもりはない。

 国王にはつけを払ってもらうつもりだ。

 あんなくだらない国王がこのまま即位し続ければ、オルティスが愛したこのゲーム世界が、めちゃくちゃになってしまう。

 そんなことは絶対にあってはならない。


「黒色化のほう……闇魔導士の行方に関しては?」

「騎士団に特別部隊を作り、行方を探しているのですが、今のところ明確な手がかりは……」

「何か分かったら知らせてくれ」

「はっ」


 ゲーム中では闇魔導士はラスボスとして主人公のアルバートたちの目の前に現れるもので、潜伏してはいない。

 だが闇に見入られれば、いつまでもじっとしていられるはずもない。

 闇は破壊を、混沌を望むもの。

 オルティスは嫌な予感を捨てきれないまま、王都への帰還がうまくいくよう騎士団長宛に手紙を書き、グラムに託した。

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