GENTLE THOUGHTS (その1)
シュウは森の中の円形の空き地に一人で立っていた。
足元にはフェアリーリングを構成していたと思われるキノコの残骸があった。
里に侵入されない様に、転送終了と共に廃棄されたのだろう。
「セラ、出てきていいぞ」
周囲に魔獣や罠の類がないことを確認し、腕時計に憑依しているセラに呼び掛けた。
腕時計からセラが実体化し、周囲を物珍しそうに見まわす。
「これが外の世界?里の森と違って随分騒がしいのね。それに光と影が濃いわ。くらくらしそう」
「なにはともあれ下界デビューおめでとう、セラ」
「これからどうするの?」
彼女はひとしきり周囲を探索し、好奇心を満足させたようだ。
「とりあえず今は安全だと思う。アルカンへ戻りたいところだが、しかし困ったな、今いる位置が全然わからん」
そもそもシュウは森の地理に疎い。
「わたしが周囲を探ってみようか」
セラが風魔法の気配探知を広範囲に展開した。
精神を集中して探っていると、何かが引っ掛かった。
「人の気配があるわ。どうするシュウ?」
「お、ラッキー、行ってみようぜ。どっちだ」
「こっちの方」
セラの指し示す方向に二人は進んだ。
シュウは内心不安でいっぱいだったが、セラが怖がるといけないと空元気を出していた。
人の気配がする方向に行くといったものの、考えてみれば”宵闇の森”に人がいるとは思えない。
ハンターかもしれないが、奴らはそもそもこんな森の深部にまで入るはずがない。
じゃあどんな奴らだろう?いや待て、人とは限らない。擬態している可能性もある。そうすれば馬鹿なエサが仲間だと思って向こうからやってきたところを一飲み・・・。
そんなシュウの気も知らず、セラは初めて見る外の様子にすっかりピクニック気分だった。
昼なお暗い”宵闇の森”の中、セラの気配察知は正確だった。
途中魔獣の気配を拾うと安全に避けながらも目標を見失いこともなく進む。
時間感覚も怪しくなり、どれぐらい歩いたかわからなくなった二人の目の前に、森が開け1軒の家が現れた。
危険極まりない”宵闇の森”に家を建てて住むやつがいる?ありえない。いっそ幻覚のほうがましだ。一体だれが、何の目的で・・・。
あまりの衝撃に思考が痺れ、危険な場所にもかかわらずその場にシュウは呆然と立ち尽くすばかりだった。
一方そんなことはどこ吹く風と、セラは好奇心全開で目の前の光景に目を奪われている。
棒立ちになっているシュウの背中をバンバン叩き、質問を連発する。
「なんて綺麗な家なの!きれいな花で埋っている花壇も素敵、お花の名前はなんていうのかな?あそこは何で地面がむき出しなの?何か植物が生えているみたいだけど、なんであんなに行儀よく一列に並んでいるのかな?お利口さんなのかな?ねえねえ、シュウってばぁ・・・」
ようやく驚きから回復したシュウは、セラの終わりのない質問を何とか止めることに成功した。
「こら、バカ、そんな大きな声出すな。気付かれるだろ。ちょっと静かにしてろ」
セラの口を塞ぎつつも家に目を走らせる。
よかった、何も動きはない。
改めて目の前の光景を調べる。
平屋で板葺きの切妻屋根、壁は板張りだ。
壁の張り方は近寄ってよく見ないと言い切れないが、ごく当たり前の簓子下見板張りだろう。
窓は上げ戸で、今は上げられている。
ガラスなど使わない素通しの明り取りだ。
虫や害獣はいいんだろうかと、少々気になった。
郷愁を掻き立てる、穏やかな一軒家だ。
決して広くない家の前庭には色とりどりの花が咲き乱れている花壇や、菜園もある。
森との境界は胸の高さの板塀が囲んでいる。
バックヤードにも何かあるようだ。
板塀に沿って周囲を回ってみる。
横から見ると、バックヤードには物置小屋と畜舎らしきものが見える。
鶏と牛らしき家畜の鳴き声が聞こえてくる。 屋根の煙突からは煙が立ち上っており、住人の存在が窺われる。
絵にかいたようなのどかな雰囲気で、タイトルをつけるならば「どこにでもある田園の中のごく普通の農家」といったところか。
ただし、ここが”宵闇の森”の真っただ中ということを除けばだが・・・。
一見しただけではわからないが、敷地全体が清浄な気配に満たされていて、その場にいるだけで心が安らぎ疲労が回復していくようだ。
邪なモノは近寄ることさえ許されない。
”宵闇の森”に在って、魔獣の襲撃を許さない理由はそのあたりにありそうだ。
そこは癒しと安らぎに満ちた場所だった。
「家があったな」
ようやくシュウが口を開いたが、出てきた言葉は見たそのままだっや。
「気配は家の中に感じるわ」
「こんなところに住んでいるのはいったいどんなヤツだろうな」
「清浄な気配に満ちているから悪い人じゃなさそうだけど」
「どうしようか?行くか、行かないか」
「どのみち迷子なんだから、行って道を聞くしかないじゃない?」
「おっしゃる通りで。じゃ行くか」
「行きましょう」
二人は塀と同じ造りの簡素な片開きの戸を押して中に入った。
戸には鍵はかけられておらず、その理由は不用心か自信かは判断はつかなかった。
玄関に向かって花壇へ緩やかな曲線を描くアプローチを進む。
咲き誇る花の香りが気分を浮き立たせてくれる。
あっけなく玄関に着いたが、二人は開けるのか声をかけるのか、心の準備ができていなかった。
シュウはままよ、と玄関の扉をノックする。
奥の方から返事の声が聞こえ、ほどなく扉が開かれた。
「どなたかいねぇ。
開かれた扉の向こうには、ニコニコと人のよさそうな微笑みを浮かべたぽっちゃりした小柄のエルフの女性が立っていた。
「うちはエイミーいいますけん。あなたたちは?」
「俺はシュウです」
「わ、私はセラリアム、セラでいいわ」
緊張気味のセラ。なにせ他人と話すのは2人目だから無理もない。
「立ち話もなんだけん、上って
何のためらいもなく2人を招き入れた。
「お邪魔します」
「わ、わたしもお邪魔します」
エイミーに促されるまま家の中に入った。
中に入ってすぐ広い土間になっていた。
土間は正面右手と直角に左奥に伸びている。
右の土間の奥は引き戸があり、半分開いているその奥には竈が見える。
床には薪が積んであるので、ここが炊事場なのだろう。
竈の横には野菜が積まれたテーブルがあり、その先には勝手口らしき扉が見えた。
土間で囲われた奥には一段上がった板張りの床があった。
中央部分には火が焚けるように囲炉裏が切ってある。
囲炉裏からは煙が薄く立ち昇り、天井の煙出しに吸い込まれていく。
囲炉裏の向こう側で胡坐をかいて座っていた人物が立ち上がると、板の間の端にきて口を開いた。
「
囲炉裏の奥にこの家のご主人夫婦、右手にシュウとセラが座っている。
皆丸く平らな織物の敷物を敷いて、板の間に直に座っていた。
「何も無いですが、お茶
そう言って主人が、自分の前に置いてあった盃を何倍にも拡大したような形で白地に花をつけた枝の絵があしらわれている茶器に、緑色の粉を入れ囲炉裏に掛けてあった鉄瓶から柄杓で湯を汲み、竹の先を細く裂いて膨らませたような器具で小気味よい音をさせてかき回し、シュウの前に置いた。
茶器の隣にはエイミーさんがお茶請けの丸いお菓子の乗った皿を置く。
「いただきます」
一礼してシュウはまずお菓子に手を付けた。
穀物の粉でつくられた薄い皮の中に甘い豆の餡が入った、饅頭に似た素朴な味のお菓子は、食べるとほっこりとした気持ちになる。
続いて飲んだお茶は、セラの髪の色にも似た濃い緑色の香りが高く味わい深いもので、お菓子の甘さをすっきりと洗い流してくれる。
セラははた目にも酷く緊張しているのが見て取れた。
「
見かねてエイミーさんが声を掛けた。
その優しい声色に張っていた気が緩んだのか、ようやく笑顔を見せたセラは、シュウの見よう見まねでお菓子を食べる。
「おいしい」
と顔を綻ばせ、お茶の香りの高さにうっとりし、苦さに目を白黒させつつ最後まで飲み切り
「ごちそうさまでした」
と手を合わせた。
2人が落ち着いたのを見てとった主人は
「
とぺこりと頭を下げた。
「俺はシュウ、ヒト族です」
「私はセラ、妖精族よ」
軽くお辞儀をして二人は挨拶を返す。
「あんたは妖精族かね。ヒト族と妖精族、ほんに珍しい組み合わせだけん、驚いたわ。
シュウはセラを見ると、セラが小さく頷いた。
「・・・俺たちは、妖精族の里からこの森の中に出てきたんだけど、出た位置に全く覚えがなくて。散々道に迷って途方に暮れていたところ、セラがこの家を見つけたんです」
少し逡巡したが、この二人からは全く悪意が感じられなかったので、経緯を正直に打ち明けた。
「
「ああ、
「いやそこまでご厚意に甘える訳にはいきません」と慌ててシュウが辞退すると
「
「
二人して嬉しそうに勧めてくれるので、なんだか断るのも悪い気になり、結局一晩世話になることになった。
晩御飯の献立は、エイミーさんが焼いたパンに庭で取れた野菜のサラダ、マカタさんが森で採ってきたキノコのシチューだった。
セラは里にいた時のように、マナを環境から直接摂取するには”宵闇の森”の深部は濃度は十分だった。
そのため彼女は不足分は食物から補う必要はなかったが、エイミーさんの作る食事自体に興味津々だった。
エイミーさんを質問攻めにし、興味が満たされてようやく食事に手を付けた。
「へー、このパンっていうの、香ばしいいい香りね。皮がぱりぱりして歯ごたえが楽しいし、中は柔らかくて噛んでいると後から甘味や酸味が出てきてとてもおいしいわ。サワー種っていうのおかげかしら。サラダもいいわね。歯応えがあって口の中で香りが広がって。かかってるドレッシングていうの、ちょうどいい塩加減になってるわ。それにこのシチューが最高ね。いろいろな野菜やキノコが入っていて、ミルクっていうの?の甘味が全部によく合ってまとめているわ。もういくらでも食べられちゃう」
「
食べ終わって片づけをしているエイミーさんとセラはなんだか本当の親子みたいに見えて、シュウはなんだか嬉しくなった。
二人が片づけをしている間、シュウはマカタさんから森のことを教えてもらっていた。
マカタさんは、広げた地図に決して立ち入ってはならない迷いの森、キマイラ、グリフォン、ケルベロスのテリトリーなどを書き込んでいく。
それはギルドでアイリスさんからから受けた説明よりはるかに詳細で具体的な高精度の内容だった。
変わった印が複数マッピングされているのを見つけ聞いてみる。
マカタさんは真剣な口調で
「この印はフェアリーリング。次転送されたら
「わかりました。約束は絶対に守ります」
「ところでこの線は?」森の中を縦横に走る線が何本も書かれていた。
「
セラとエイミーさんが片付け終わって戻ってきた。
「
「
この家の風呂は、長方形で木造りの、大人が優に3人は足が伸ばせてゆったり入れる大きさのものだった。
マカタさんに使い方を教わって先に入る。
脱衣場からエイミーさんが声をかけてきた。
「湯加減は
「ちょうどいいです。ありがとうございます」
「お父さんのお古で
シュウが上がると、セラが入る番だったが、初めてのお風呂なので何が何やら全くわからない。
結局エイミーさんが一緒に入って彼女の世話をしてくれることになった。
「すっごく気持ち良かった。初めて入ったけどお風呂って最高ね
セラはすごい上機嫌だ。
エイミーさんに貸してもらった寝間着も気に入ってるみたいだ。
「エイミーさん色々教えてくれてありがとう。わたし、すっかりお風呂が大好きになっちゃった」
彼女の後から姿を見せたエイミーさんに抱き着いてお礼を言う。
「
「また一緒に入りましょうね」
それから囲炉裏を囲んでマカタさん秘蔵の蜂蜜酒を飲みながら、アルカンや妖精の里の様子など四方山話に花を咲かせた。
里を出る時から緊張が続いていたのだろう、セラは二人の人柄や初めて飲む蜂蜜酒の酔いも合わさっていつの間にかシュウにもたれて寝息を立てていた。
客間らしい部屋に、エイミーさんが夜具を敷いてくれたので、二人に礼を言って先に休ませてもらう。
二つ並べられた夜具の片方に、起こさないようそっとセラを寝かせて、もう片方に潜り込む。
夜具の温かさにすぐに眠気が襲ってきた。
寝入る前にセラの方を見ると、小さな寝息を立てて気持ちよさそうに眠っていた。
「いい夢見なよ。おやすみ」
小さく笑うとシュウも眠りに落ちていった。
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