第16話 襲撃は夜明けとともに(後編)
ラムウィンドスとアーネストのやりとりを聞いていた女兵士二人は、黙りこくってしまっていた。
常識の気配すら感じられない。
なお、女兵士たちの手は、すでに剣の柄を掴んでいる。悲壮な決意が、その表情に浮かんでいる。
総司令官、師団長、姫付きの選りすぐりの剣士。
いずれも戦の勘に長けた人材が揃っているがゆえの、一触即発の空気。
アーネストはその張り詰めた緊張感に気づかなかったように「ううううん」と唸り声を上げた。
「総長が負けるとは思ってないわ。けど、本気で切りかかって負けたら姫さまかわいそうやん。せめて寝起きやなくて、ちゃんとした場で相手すべきやわ。それが女の子に、いや人に対しての最低限の礼儀っちゅうもんやとオレは思うで。不意打ち、カンジ悪い。オレの場合は負けるわけやないけど、それでも寝起きやなかったらなぁって思うもん。手加減とかできんから、団の頭数がどんどん減るんやで。理解できんわ。あいつら、どうしてヤラレるっちゅうのがわかってて、オレの寝込みを襲うんや」
アーネストは色白の頬を染めて力説し、ラムウィンドスは実直そうな面持ちで頷いていた。
「なるほど。一理あるな」
もしこの場にゼファードがいれば「君たちは本当に頭の中まで筋肉でいっぱいなんだね」と言っただろうが、このとき王子は何も知らずに自室で就寝中だった。二人の大幅にずれた議論に対して、意見を言える者はこの場にいない。
そんな劣勢の中で、女兵士のひとりが顔を上げて毅然として言い放った。
「私たちは離宮にいる頃から、姫様に男性が近づかないよう身辺警護にあたって参りました。確かに王宮に入れば男性と接することもあるのでしょうが、いまはまだ朝の早いお時間です。おそれながら総司令官の行動は非常識であり、理解しかねます。お通しするわけには参りません」
「俺は姫が環境になじめるように協力する立場にある。そのために迎えに来たのだが、まさかまだ寝ているとは思わなかった。まず姫御自ら努力する気持ちがなくてはならないというのに、言語道断だな。そんなわけで、姫が寝ていたのが予想外であり、不意打ちの意図はなかった。もし応戦することになっても手加減はする」
「応戦するってなんですか!?」
「話にならん。押し通るぞ」
言うが早いか、ラムウィンドスは戸口に向かう。
剣を抜くのに躊躇いがあったのか、素手で応戦しようとした女兵士の手を軽くひねりあげ、鮮やかにかわした。いま一人の女兵士は、アーネストが同様にあしらっていた。
声をかけたわけでもないのに、息は完全に合っており、二人の動きには一分の隙もなかった。
そのまま、ラムウィンドスはドアを開け放ち、窓に帳の下りた薄暗い部屋の中を見渡す。奥に天蓋付き寝台があるのを見つけると、大股に歩み寄った。お待ちください、と起き上がった兵士たちの相手は、アーネストが引き受けた。
「姫、迎えに来た。起きるように」
天蓋から垂れた薄い紗の布を睨みつけ、声を張る。
室内の明かりは乏しい。広い寝台に埋まった少女が覚醒したかがわからず、帳を開けてくるべきかとラムウィンドスは踵を返した。そのとき、寝台の中から細い呻き声が聞こえた。ラムウィンドスは眼鏡の奥で目を細める。
「俺は朝がきているというのに惰眠を貪る奴は大嫌いだ。ことに、あなたは今までの怠惰を猛省し、これから人の倍以上努力しなければならぬ身。布団にくるまって寝ている時間などないはずだ。命が惜しければ起きるように」
なんとか身体を起こし、目をこじ開けて様子を伺っていたセリスであったが、驚きのあまり言葉が喉につかえて沈黙していた。
(「起きるか死ぬか」を迫られていますか……?)
言葉をそのまま追えばそういうことになる。
寝起きにこのような選択が迫られるとは、十五年間生きてきた中では初めての経験だった。
さすが王宮、危険の度合いが離宮とは段違いだ。
「……姫、聞こえているか?」
返事をしないでいると、さらに温度も音程も下がったラムウィンドスの声に耳を打たれた。セリスは命の危険を感じて、姿勢を正した。
「おはようございます」
薄暗がりの中、ラムウィンドスが立っていると思われる方を向き、頭を垂れる。
「ああ、おはよう」
返って来た挨拶は、予想通りのそっけないもの。
ちょうどそのとき、兵士たちを退けたアーネストが軽快に部屋を横切り、窓辺に立つと帳を開け放った。
すでに暁の気配を薄れさせた空は明るく、青く透き通った朝の光が室内に広がった。
セリスは天蓋の紗越しに窓を見やる。
それから、再びラムウィンドスを振り返った。視線を避けるように横を向かれた。
「えーと……」
「先に行く。すぐに着替えてくるように」
目を合わせることなく、ラムウィンドスは踵を返す。振り返らず「行くぞ」とアーネストに声をかけ、止まらず進む。
アーネストはラムウィンドスの後を追った。
寝台の横を通るときに、少しだけ速度を落として、囁くように言った。
「姫さま、おはようさん」
「お、おはようございます」
思いがけず優しい響きに、セリスは焦って挨拶を返す。すると、先ほど起きるか死ぬかを迫ってきた声が鋭く割って入った。
「アーネスト!」
「はい!」
爽やかな風のように駆け抜けていくアーネスト。
通り過ぎた後もセリスは束の間ぼうっとしてしまっていた。
もちろん、朝に強い総司令官がそれを許すはずもなく。
「三十数える間に着替えを済ませるように」
捨て台詞とともにドアを閉められる。
その音で我に返ってセリスはベッドから飛び出して夜着を脱ぎ捨てた。それから何をどうすればと思っている間に、ドア越しに冷酷に告げられる。
「遅い」
何かとてもいけない状況に陥りつつあることはよくわかり、ほのかな絶望をかみしめた。
姫の中の姫になる道は遠い、と。
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