第8話 兄妹(前編)

 国王と最初の対面を果たした後、セリスの案内を買って出たのはゼファードで、ラムウィンドスの姿もそばにあった。

 離宮でこれまでセリス付きだった侍女たちや、教師達も前後して王宮に入るというが、同行したのはマリアだけだったセリスにとって、ゼファードの存在は早くも大きく、心強い。


「ずいぶん、緊張していたようだったね。そんなに恐れずとも、父上はお優しい方だよ」


 庭園を囲む回廊を並んで歩きながら、ゼファードがおかしそうに言う。


「で、でも……。国王陛下ってすっごく偉い方なんですよね?」


「おや、我が妹姫は実に面白いことを言う。そう、確かに国王陛下はすっごく偉い方だよ。皆の前では厳しいお顔をなさることもあるしね。けれど、あれでいて人の親だ。セリスと会える日をそれは楽しみにしていたんだ。親しみを持って接してさしあげると良い。きっと喜んでくださるよ」


 ゼファードの話しぶりは、優しい。


(王宮暮らしの長いゼファード兄様がそう言うのなら、きっとそうだと思うんですけど……。わたしには「親子」の関係がまだよくわからないみたい)


 その心の揺れはセリスの表情をくもらせ、敏感なゼファードにはすぐに悟られてしまう。ゼファードは、言葉を選ぶ様子で話を続けた。


「私が言うまでもないことだけれど『幸福の姫君』の予言はいささか一人歩きをしすぎている。そのせいで、姫には不自由を強いることになってしまったわけだけれど……。『すべての男性を近づけない』という点においては、父上も私も例外ではないのだから」


 セリスが見上げたとき、ゼファードは視線を避けるように回廊の先を見据えていた。

 それだけで、これが重い話題であるというのは伝わってきてしまった。


 かつてまだ幼いセリスが「外へ行きたい」と泣き続けていた頃、離宮の女官に同じ話をされたことがある。ひどく苦しげな表情で。


「もう覚えてらっしゃらないかもしれませんが、姫は本当にお小さい頃は、お父上にお目にかかったこともあるのですよ」


 その女官はそう切り出した。

 どれだけ小さい頃のことなのか、その日々はもはやセリスの記憶には残っていなかった。

 ただ、その頃、父である国王はそれはそれはセリスを可愛がっていたということだった。

 しかし、行き過ぎた『幸福の姫君』の予言が、彼を苦しめることとなる。

 予言が、セリス本人ではなく「セリスの選んだ伴侶が世界を征する」ととれる内容であったことから、実の父である国王も厳しい非難にさらされることとなったのだ、と。


 ──国王陛下は、ゆくゆくは実の娘を妃に迎え入れるおつもりでいらっしゃる。


 セリスの母である王妃は産後のひだちが悪く、幸福の姫君誕生のかげでひっそりと命を落としており、王妃の座は以後空いていた。

 彼女を深く愛していた国王はもはや再婚することはあるまいと公言していたが、それが、あろうことか『幸福の姫君』を我が物とするための布石と噂されるようになってしまったのである。


 これは反王派の間で半ば事実のように語られるようになり、国王は自身からも『幸福の姫君』を遠ざけなければならなくなった。

 こうして、セリスは物心をつく前に離宮に隔離されることとなり、以後すべての男性との接触を禁じられることとなったのである。


 なお、国王を苦しめたこの噂話には、もう一つの枝葉がある。

 他ならぬ、姫の兄のゼファードに対しても、同様の疑惑が持たれたとのこと。

 あろうことか熱心な親ゼファード派の人間は、少年の王子にこのように囁くこともあったという。


 ──イクストゥーラの繁栄を確かなものとするためには、正統なる王位後継者であるゼファード王子がセリス姫を妻に迎えるべきである、と。


 兄妹での婚姻は、イクストゥーラでは禁忌である。それにもかかわらず「国のためには決まり事を捻じ曲げてでも」と主張する者は後を絶たないのだと。


 この噂がつきまとう限り、ゼファードもまた姫に近づく男の例外となるわけにはいかず、従って今日まで顔を合わせることがかなわなかったのだ。


(今後も、この話が出てくることはおそらく避けられない……とのことですが。わたしやお兄様の意思とはまったく関わりなく)


 セリスは、横を行く兄王子を見上げた。王太子の件のみならず、この人は自分のせいで根も葉もない噂に苦しめられたり、口さがない人々に耳を塞ぎたくなるようなことを言われてきたはずなのだ。

 それなのに、そんな素振りは一切見せず、明るい笑顔で迎え入れてくれた。

 世界一安全な男だなどと、うそぶきながら。


「ゼファード……兄様」

「ん?」


 声をかければ、あの人好きのするような笑みを浮かべて振り返ってくれる。

 見慣れるほど見ているわけがないのに、ほっとした。

 同時に、申し訳なさと、それ以上に親愛の情がこみ上げてきて、セリスは立ち止まりこうべを垂れた。


「わたしはあまりにも無知で、至らない点が多すぎると思います。この王宮でうまく立ち回っていける自信はありません。存在そのものが、父上にも兄上にも迷惑なのだということも知っています」

「姫……」

「でも、精一杯自分に出来ることをしていきたいと思っています。今までご迷惑をおかけした分、この先はなんとか兄様に報いたいと思います。わたしに出来ることであれば、なんなりと仰ってください」

「顔を上げて」


 声が硬い。セリスが見れば、ゼファードは射抜くようなまなざしでセリスを見ていた。

 そのあまりの鋭さに、セリスは息を止める。


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