世界を越える悪党の美学

横切カラス

1章 悪党は世界を越えても逃げ切れない

第1話

綺麗な紫色のロングヘアーのエルフ。

裏ギルド『虹の輝き』のリーダーであるスミレは奇妙な喪失感を抱えていた。


何か大切な物がすっぽりと抜けてしまった感覚。

それが何かはわからない。


「スミレ様。

お疲れのご様子で。

働き過ぎではありませんか?」


個室で憂いていたスミレにウェイトレスのサラがアイスココアを出した。


「ありがとうサラ。

でも大丈夫よ。

疲れてはいないの。

休息も充分取れてるし」

「なにか心配事ですか?」

「心配事ねぇ……

それが思い浮かばないのよね。

ギルド運営はもちろん、あなたに任せてるここも順調だし。

ミレイヌに任せている輸入業も右肩上がり。

表稼業も裏稼業も何一つ問題無い。

強いて言うなら上手く行き過ぎてるのが不安って言う贅沢な悩みぐらいね」

「そうですか……

スミレ様。

良ければコーヒーを試してみてはいかがですか?

疲労回復やストレス緩和になりますよ」

「コーヒーねぇ……」


スミレは人生で一度もコーヒーを飲んだ事が無かった。

特に苦い物が苦手とかでは無いが、時折サラに勧められるも何故か飲む気になれなかった。


「いや、遠慮しとくわ」


そして、今回も飲む気になれずに断る。

その理由も分からず、更にモヤモヤしてしまっていた。


「もしかして……」


サラが徐に続けた。


「恋煩いですか!?

スミレ様にも遂に春が!

お相手は誰ですか?」


目を輝かせるサラに困った顔で応える。


「それは無いわ。

正直異性に全くときめかないのよ」

「そんなにお綺麗なのに勿体ないですよ。

虹の輝きの皆様は誰もそう言うお話しないんですか?」

「言われてみれば、誰も無いのよね」

「みんなお綺麗な方ばかりなのに勿体ないです」

「そう言うサラはどうなの?

私達よりも出会いの期間は多いでしょ?」

「私ですか!?

私なんて、そんな……」


サラは頬を赤らめた。


「そう?

あなた目当てで通うお客も多いでしょ?

毎回見る顔が多いわよ」

「それはありがたい事なんですけど……」

「その中にいないの?

別に恋愛は自由よ」

「その……

カッコいいな〜とかは思うんですけど、私もそれ以上は無いんです」

「そうなのね。

あなたこそ勿体ないわ。

こんなに可愛いのに」


スミレはサラの頬に軽く触れて完璧な笑顔を向けた。


「そ、そんな……

私なんて皆様に比べたら……」

「そんな事無いわよ。

なんなら私が頂いちゃおうかしら?」

「え!?え!?

もしかしてスミレ様って!?

あっ、私やらないといけない事が!」


サラは顔を真っ赤にして逃げ出した。

その後ろ姿を見送ってからクスッと笑った。


「ちょっとからかい過ぎたかしら」


そう言ってスミレは優雅にアイスココアを嗜む。


「ねえ。

この喪失感の原因はなんなの?」


スミレは精霊術を使い周りにいる精霊達に尋ねる。

だけどみんな口を継ぐんで応えてはくれない。


「わかってるわよ。

それが私の為だった事ぐらい」



王立魔法剣士学園。

ホロン王国が最も力を入れている教育期間の一つだ。


そこの特待生として通うホロン王国第二王子ハヌル・ホロンは、本当は王族が通う王立宣教師学園を飛び級で卒業してから通い直している。


「ハヌルー!

帰ろー!」


彼の婚約者であるヒナタ・アークムが飛び付いて来たのを受け止める。


ハヌルがわざわざこの学園に通い直した理由が彼女だ。


「ああ、帰ろうか」

「うん。

ねえねえ。

どっか寄り道して帰ろうよ」


ハヌルの手をブラブラさせておねだりするヒナタに思わず頬が緩む。


「いいよ」

「やったー!」


両手をあげて喜ぶヒナタを見てハヌルは微笑んだ。


その天真爛漫さからは想像し辛いが、ヒナタは剣術も座学も学園トップ。

その強さにも、この性格にもハヌルはベタ惚れだった。


「早く行こっ!」


その自分に向けられる笑顔に幸福感を覚えていた。

だが、それと同時に罪悪感も生まれていた。


楽しそうに鼻歌を歌いながら手を引っ張るヒナタに連れられて学園を出る。


「ねえヒナタ」

「なあに?」

「今日はシンシア嬢は一緒じゃないのかい?」


公爵家の娘であるヒナタは養子であるシンシアと仲良しで学園でも殆ど一緒に過ごしている。


「シンシアは今日はアイビーとお出かけだよ。

きっとハヌルと2人っきりにしてくれたんだよ」

「そうか。

ところで、家族は元気かい?

最近アークム公爵にお会い出来ていないんだ」

「お父さんもお母さんも忙しいみたいだけど元気だよ」

「他の家族は?」

「アンヌお義姉ちゃんも元気だって手紙貰ったよ。

今は隣のカルカナ王国にいるんだって」

「他は?」

「ん?

何言ってるのハヌル。

私の家族はそれだけだよ」

「あ、ああ。

そうだったね」

「変なハヌル」


ハヌルの心にチクリと棘が刺さる。


こんなに懐いてくれるヒナタは正直に嬉しい。

だけどもそれ以上に罪悪感に心が押しつぶされそうになっている。


何故ならハヌルはわかっていた。

ヒナタが向けるこの素直に好意は自分に向けられるものでは無いと。


ヒカゲ・アークムがその強大な魔力を駆使して世界中から自らの記憶を消して元の世界に戻ってから数ヶ月。

ヒカゲの身内達は多少の違和感を覚えながら適応して行った。


いずれその違和感も無くなる。

人の記憶とは曖昧な物。

ヒカゲの思惑通りに進んでいた。

ただそんなヒカゲにも一つ誤算があった。


ナイトメアとの戦いで、最後まで諦めずにナイトメアを追い続けた正義の者達。

その1人であったハヌルは鎧を脱ぐ事は無かった。

そう、魔坑石の鎧を。


それによって彼はヒカゲの記憶を失っていなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る