温泉

合宿も三日目を迎え、夜の帳が下りた頃、冬と稲は夕食を終え、温泉へ向かうことにした。温泉へと続く廊下は石畳が敷かれ、柔らかな間接照明が落ち着いた雰囲気を演出していた。二人の足音は静かに響き、自然と口数が少なくなる。


温泉の入り口にたどり着くと、ほのかに温かい蒸気が顔に当たり、木々に囲まれた露天風呂の風景が二人を迎え入れた。木製の扉を開け、脱衣所に入ると、清潔感のある木の香りが漂い、落ち着いた空間が広がっていた。稲が先に浴衣を脱ぎ、冬も続いて着替えを済ませると、二人は湯船へと向かった。


露天風呂は、竹林の中に静かに佇んでいた。夜の風が竹の葉を軽く揺らし、その音が心地よいリズムを刻んでいる。湯気がほのかに立ち上り、まるで湯そのものが大地から直接湧き出しているかのように、温泉の水面が穏やかに揺れていた。冬は一瞬のためらいを見せたものの、稲の勧めに従い、ゆっくりと湯船へ足を浸ける。湯の温かさがじんわりと体を包み込み、全身の緊張がほぐれていくのが分かった。


「気持ちいいね…」冬が小さな声で呟く。


稲は静かに頷きながら、隣に腰を下ろす。「うん、今日も一日大変だったから、これくらいは必要だよね。」


二人はしばらく無言で、温泉の心地よさに身を委ねていた。日中の学力強化講義やハンズオンセッションの疲れが、湯の温かさとともに体の外へ溶け出していくようだった。周囲の自然が静かに見守る中、冬はゆっくりと目を閉じ、湯の中で心も体も軽くなっていく感覚を味わっていた。


「今日は、ちょっと手こずったけど、君がいたから乗り切れたよ。」冬が稲に感謝の気持ちを込めて言うと、稲は少し照れたように微笑んだ。


「お互いさまだよ。明日も同じくらいハードかもしれないけど、この温泉があるなら大丈夫だね。」稲は、冬の肩を軽く叩き、励ますように言った。


夜空には、ちらほらと星が輝いていた。温泉に映る月の光が揺らめき、冬と稲の二人を静かに照らしていた。湯船の縁に肘をつき、冬は満天の星を見上げながら、ふと静かな幸福感に包まれた。この温泉での一瞬一瞬が、日々の忙しさから解放される特別な時間であり、稲と共有できるこの穏やかな時間が何よりも大切に思えた。


「明日はもっと頑張れる気がする。」冬が静かに、しかし決意を込めて呟く。


「そうだね。頑張ろう。」稲もまた、未来を見据えるようにそう答えた。


やがて二人は温泉から上がり、木製のイスに腰掛けて体を拭きながら、しばしの余韻を楽しんでいた。温泉の温かさが体に残り、夜風が優しく肌に触れる。その瞬間、二人の間には言葉では表せない安堵感と信頼が漂っていた。


夜が静かに更けていく中、勉強会合宿三日目の夜が、こうして穏やかに幕を下ろした。


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