本好きの楽園にようこそ
冬野 向日葵
第1話 レシート
ある日の学校帰りの話です。
「ご購入ありがとうございましたー」
その声を片耳に、わたしはそそくさとエレベーターのほうへと走りだします。暖かい頬を冷やすように、買った本を顔に当てて一言。
「怖かったよ……」
本屋は苦手です。たくさんの人がいて、わたしのことを見下しているような気がするから。都心かつ駅直結の百貨店の中にあるということもあり、多くの人はビジネス書や参考書ばかり買っていきます。
エレベーターがやってきました。逃げるようにエレベーターへと入り、鞄を開けます。鮮やかな緑色のフチが特徴的な表紙の本たちを、隠すように押し込んでいきます。そしていつも最後に目につくのが、一枚のレシート。
「今日もたくさん買っちゃったなぁ……」
そこには散財した後が記されているんです。でも、後悔はしていません。好きなんだから、これがわたしの推しなんだから。
「ん?」
合計金額の下に、見慣れない文字が並んでいました。
『百貨店の地下から続く、
あなたの好きな本を一つ選んで、その本のバーコードをかざしてみなさい。その本が本当に好きならば改札を通ることができ、その先で人生を変える体験ができるだろう』
音々駅、ちょうどここから家に帰るときに使う電車が通っている駅。ちょうどこのエレベーターを降りた先は、地下改札に繋がっているんです。
最初は冗談かと思いました。でも、試すだけタダです。何も起こらなくても、その時は定期券をかざして普通に帰ればいい。それに、わたしはこのシリーズが好きなんだから。
決心したわたしは、手に取った無地で没個性なパスケースを鞄に戻し、今日買った中の一冊『ツインパクト! 8』を手に取りました。帯には『大人気シリーズ、最新刊!』なんて書かれているけど、あくまでも大人気なのは子供の中だけ、高校生は誰も読んでないよ。それでもわたしはこの本、シリーズを選んだんです。新刊の発売を待ち望んだんです。
エレベーターが止まり、改札へ向かって歩き出していきます。さっきまでピカピカの新品だったその本は、すでに汗まみれでした。でもこれから読んでいくうちに、いずれそうなるので、気にしません。
帰り際の時間だからか、いつもこの地下改札には人がいっぱいです。その人込みに紛れて、カメラがついている一番端の改札へと向かっていきます。
正直、おびえていました。周りから変な人扱いされないでしょうか。でも、この人ごみの中で鞄を開くことはできません。背表紙に二つあるバーコードの上のほうをリーダーへとかざすと――
ピッ。
本当に、開いた…… あっけにとられるわたしは、周りの目など見えていませんでした。
「あっ、前へ進まなきゃ……」
その言葉と共に周囲を見回すと、とんでもないことに気が付きました。
だれも、いないのです。
大勢の人でにぎわう音々駅はそこにはなく、ただただ静かでだだっ広い空間がありました。気が付いたのは、もう一点。本来であればこの駅に行きかう電車が羅列されている電光掲示板には、
『17:35 楽園 1番ホーム』
とだけ表示されていたんです。
案内の通り、十五以上あるうちの一番端のホームへと向かうと、そこには見覚えのない車両が止まっていました。普段このホームにとまっている特急車両でしょうか。でも、色が違う。青が基調のいつものに比べて、これは赤? えんじ色といったところですかね。そして先頭には白い文字で『楽園』と書かれています。
恐る恐る空いている扉から中に入ってみると、見知らぬ男性に声をかけられました。
「ようこそ、『楽園』へ。乗車券を確認してもいいですか?」
「乗車券?そんなもの、持っていないですけど……」
「あぁ、これに乗るのは初めてかな? 改札で本をかざしたと思うんだけど、その本を乗車券って呼ぶんだ」
「あ、これですね」
わたしは、手に持っていた本を差し出します。男性が、似たような子供が二人描かれている表紙をめくると、そこには見知らぬ文字が書かれていました。
『定期券(高校生)
音々⇔楽園
有効期限:永久
「はい、日向さんですね。ご乗車は初めてとのことですが、ご説明は必要でしょうか?」
何もわからずに、返事をします。
「お願いします」
「まず、この『楽園』という車両は全国各地を巡る真の本好きの交流の場でございます。そのため乗車には厳しい条件を課しているんです。一応説明しておくと、私たちが認定した書店での一定以上かつ継続的なご利用をした際に発行されるレシートと、ご本人様の一番好きな本、その二点が必要となります。
ですがあなたはその条件をクリアし、ついに乗車することが認められました。この先は異空間へとなっていて、同じように条件を達成した本好き達が集っています。心置きなく交流し、楽しんでいってください。
好きなタイミングでお帰りになることができます。その場合はこの駅まで送り届けますのでご安心を。それでは、いってらっしゃいませ」
本好きの交流の場――
思わず私は、その言葉にうっとりとしました。誰も認めてくれなかったこの好みも、この先にいる人となら分かち合えるんだ。
その喜びをかみしめながら、客室への扉を勢いよくスライドさせて、中へと向かいました。
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