「全日本人一度は行け」知覧への想い

木沢 真流

「全日本人一度は行け」

「全日本人一度は行け」

 先輩のその言葉を受け、大学生だった頃の私は鹿児島空港に降り立った。知覧特攻平和記念会館へ向かうためである。あの戦争からすでに60年以上が経過した夏の日のことである。


 戦争を知らない子どもたちがいよいよ親になる時代が来た。その子どもたちは戦争を知らない親に育てられる。戦争の記憶は次第に風化しつつある。

 私ですらその様子は想像するしかないし、肉親で唯一の戦争体験者であった祖母は前年に亡くなった。


「天皇陛下ばんざーい」

 などというセリフがあったということを聞くと、なんだかあの頃は今とは全然違う人種だったんじゃないかとさえ思う、今の私には想像もできない行動だからだ。自分の命を一番に考える我々にとって、何かのために命を捨てるなど考えられなかった。


 特攻隊というのは陸軍特別攻撃隊員の略で、片道だけの燃料と爆弾を装着した戦闘機で敵の艦船に体当たりして沈める、パイロットは必ず死ぬという特攻作戦の隊員だ。戦争というのは原則全てが汚いごと(きれいごとの逆)であるから、拷問、レイプ、暴力、反故、すべてが正当化される恐ろしい状態であり、その中で、おそらく歴史上このような作戦が含まれていたことは世界的にはあったはずである。

 しかし日本のそれが特筆すべきは、ほとんど意味が無かっただろう戦略に若者が駆り出されたことにある。


 それでもあの頃の若者は「天皇のため」と言って突撃していったのだろうか、なぜそれができたのだろうか。あの時、日本では何が起きていたのだろうか、私はそれを確かめにここに来た。


 知覧特攻平和記念会館には、飛行機などの展示もあるが、行った人ほとんどが一番印象に残るのがやはり最期の手紙だろう。

 駆り出された若者が、家族へ残した手紙が展示してある。ここに私がずっと知りたかった答えがあるはずだった。なぜ彼らは立ち向かえたのか。

 最初の数枚を読んだ時点で、それはわかった。そして私は溢れ出る涙を抑えることはできなかった。

 その内容のほとんどに、天皇万歳、ということは書いていなかった。そのほとんどが「家族のため」「兄弟のため」残された愛する家族のために自分は行ってくる、と書いてあった。

 上からの命令に逆らうことはできなかっただろう。そんな中で、この行動が家族を救うことになるだろう、そう信じて、そう言い聞かせて、彼らは戦闘機に乗ったのだろう。生きたい、未来を見たいという欲望全てを押し込んで。


 飛行機から見る日本の風景はどんなだっただろうか、どんな夕焼けだっただろうか、もう二度と振り返ることのないその景色を彼らはどんな思いで眺めたのだろうか。もう帰ってくることのない人からそれらを聞くことは残念ながらもうできない。


 展示されている写真の中で印象深かった一枚がある。「ほがらか隊」と呼ばれる人たちの写真だ。17歳前後の若者たちが、ある者は笑顔を浮かべ、中心の男性は子犬を撫でている。まさか彼らが特攻前日の人とはとても思えないほどほがらかな表情を浮かべている。よく冗談を言っていたことや彼らの人柄からほがから隊と呼ばれたそうだ。耳をすませばその笑い声、その冗談すらも聞こえてきそうである。

 彼らの笑顔の先にもやはり家族、そして未来への想いがあったのだろうか。


 私はこらえられなくなって、外に出た。

 自動ドアが開くと、そこには8月の暑い日差しが降り注いでいた。緑と蝉の鳴き声。耐えられないほどの暑さと、異常なほどの平和が垂れ流されていた。

 戦争に怯えなくていい一秒、明日自分が戦闘機に乗らなくていい一秒、平和な明日がきっとくるだろうと思える一秒、その一秒一秒がずっと当たり前のように流れていた。

 そしてこれはあの頃のあの人たちが切望していた未来の瞬間なんだと。いつか戦火に怯えることのない日が来て欲しいと、隊員たちが思っていたその日がいま、目の前にあった。

 あのほがらか隊が向けていた笑顔の先、未来への人々の中にきっと私も含まれていたのだ、と私はその時やっと気づいた。


 今まで当たり前に思っていた日常、戦争に怯えなくていいこの一日がどれだけ貴重なことか、大事なことか。それを思い出させてくれたのだ。

 

 今我々にできることは何だろう。

 この悲惨さを後世に伝え、そして二度とこのような悲劇が起こらないようにするにはどうすればいいか、必死に考え続けること、それがここで出会った多くの人々への報いになるのだと思う。


 帰りの飛行機から薩摩半島が見えた。

 たかだか60年前、この景色を違った思いで見つめた人がいた。私はそのことを絶対に忘れないだろう、誓いにも似た思いを胸に日が沈んで見えなくなるまで、あの時の私はその景色を眺め続けていた。

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