作劇法に注意! 小説は映画じゃない
浅里絋太
作劇法は用法、用量を守ってお使いください
今回は物語の構成について書いてみます。
世の中には、三幕構成をはじめ、さまざまな構成法・作劇法があります。
本稿では、実体験を元にした、作劇法を小説に当てはまる中で感じたことなどをご紹介してみます。
決して作劇法を否定するものではありません。
『僕が作劇法をまじめに作品へ当てはめようとし過ぎて、困ったこと』の視点からきていますので、ご了承ください!
作劇法は大前提になる、とても有効なメソッドだと思いますし、その逆説的な記事として捉えていただけると幸いです。
▼前提
本稿は、結末を意識して構成する長編小説を対象とします。
シチュエーションによっては当てはまらないと思います。
▼作劇法は映画の脚本前提のものが多い
一般的な作劇法の知識はあった方がよいと思います。
けれど、この手のものは映画を前提とした作劇法が多いので、こだわりすぎない方がよいと思います。
▼作劇法に引っかかっていた時期
僕自身が長編執筆に挑む中で、プロットを細かくしては書いてみて、イメージと違って挫折する、ということを繰り返してきました。
そこで、やり方を変えてみました。
ある程度作劇法を使いつつ、あえて、荒い段階で書き始めるようにしたら、調子がよくなってきたのです。
(とはいえ、エピソードや章を書く直前は、しっかり、短い範囲の構成を作ってはいます)
もちろんプロットの立て方の問題が大きいと思いますが、特定のメソッドとの距離感は、考えた方がよいと思うのです。
▼映画と小説の制作コストの違い
映画の制作コストは非常に高く、失敗が許されません。なので、役者を動かす前にシーンを落とし込む必要があります。
一方で小説は映画に比べれば制作コストが安いので、トライアンドエラーが可能です。
したがって、小説については、とりあえず書くっていうアプローチが取りやすい面はあると思います。
▼思考の固着化
作劇法を前提にしすぎると、高レイヤーの思考が固着化する可能性を感じます。
メタフィクションが強めな展開や、『オムニバス形式の方がよいかも』みたいな発想が薄まりそうで。
あるいは叙述トリックなどの、叙述自体の可能性が限定されがちな気がします。
なので、メジャーな作劇法で伸びる話かどうか、考えてから当てはめるようにしています。
わりと、一本線の物語でない作品が、世の中にいろいろ存在しています。
ミステリーやライト文芸周りだと、たまに四つほどの話をつなげた、連作中編みたいな構造になっていたりします。
新人賞受賞作品なども、ファンタジーなのに叙述トリックを入れて、真ん中から完全に別ジャンルにしたりとか。いろいろありますね。
長い一本のストーリーを前提とした作劇法を当てはめる前に、『どのような表現方法がアイデアを最大化させるか』を考えてみるとよさそうです。
▼ハコガキ
映画の脚本だと、最終的にハコガキを作ると思います。
シーンや会話が細かく書かれた、シーンのシミュレーションみたいなものです。
小説だと、ハコガキを作らないとしたら、本文がハコガキに当たると思います。
ハコガキまで書くなら、シーンのイメージを高められますが、プロットくらいの粒度だと、正直、書いてみて、はじめてわかることが山ほどあります。
なので僕の場合は、おおまかな構成を決めたらいったん書いてみて、もう一回構成しなおしたりしています。
(大まかな構成は作り、プロットは細かくしすぎないくらいが、僕としては一番おもしろくまとめられています)
▼書いていく中での発見
最近だと、書いていくうちにチラッと登場した小物が、クライマックスを大きく変える存在になったりしました。
具体的には、『滅びの国の魔女紀行』という自作品でこの経験がありました。
作品の世界で『女神を象徴するシンボル』が、書いているうちに序盤でなんとなく登場しました。
最終的に、作品すべてを収斂させる、クライマックスでもなくてはならない象徴に発展していきました。
この手のものは、僕の力では、プロットの段階ではなかなか顕在化させられないですね。
書いてみて湧き上がってくる要素は、書き手の潜在意識や自然な思考と密接であり、意外と重要なものかもしれませんね。
▼映画の時間と小説の叙述
作劇法でプロットを作成した際に、ボリューム管理に失敗することがあります。
それは、『あるシーンの伝達において、映画の時間は不変。小説の叙述の長さは可変』
だからです。
映画→はじめから流したとき、時間経過とプロット進行がリンクする
小説→場面によって多くの文章が必要になる
このため、プロット計画に対して、小説の文章で表現しようとしたとき、予想外に膨らんだりします。
『ややこしい位置関係や状況を叙述』するときなんかは、映像なら一秒でも、文章だと数百文字。読むのも大変!みたいなときがあります。
このように、『映画と小説では、時間や配分の考え方に乖離がつきまとう』という意識が必要です。
▼自分の物語の探究のために
少しメタ的な話になります。
小説は作品であるとともに、作家の自己探究の契機でもあります。
ハコガキの節でも触れましたが、『自由な展開の中で湧き起こるヒント』が、物語を加速させることもあり、その偶然の出会いを大切にした方が、『書いていておもしろい。結果として商品として良質』にもなり得ます。
(この観点は、キングや、宮部みゆき、ル=グウィンなど、キャラクター探究型の作家も示唆していると思います)
少し話が飛びますが、ユング心理学の研究者である河合隼雄氏は、『昔話の深層 ユング心理学とグリム童話』という本を書かれました。
本作では『物語の中に、いかに根源的な精神の象徴や、集合的無意識が投影されるか』ということに深く触れています。
物語を描くと言うことは、心の中に潜む世界の深層を探究する、という行為でもあると思います。
プロットの外形を整えるのもとても大事ですが、ときには、『心の中から立ち現れる心象』を表現してもおもしろいし、それが小説の書き手の希少な特権でもあります!
キャラクターの発展とストーリーの進化は、ユング心理学でいう、『箱庭療法』の側面があり、『マンダラの構築』、『原型(アーキタイプ)』などにも関わってくるものでもあると思うのです。
(これは底なしの話に足を突っ込んできた……)
この話は別で掘り下げてみたいです。
とりとめがないですが、こんな感じになります!
作劇法を活用しつつも、小説の自由度を妨げないように注意するとよいと思います。
もし作劇法やプロットで行き詰まっていらっしゃる方がいたら、なにかの参考に、、
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