第3章:「数式では解けない謎」

 数日が経過し、サラの生活に微妙な変化が訪れていた。厳密に管理されていた日課に、予期せぬ変数が加わったのだ。


 サラは、自身の行動パターンの変化を冷静に観察していた。


「就寝時間:23分遅延。起床時間:7分遅延。日中の計算効率:2.3%低下」


 それらの変化の中心には、常にミアの存在があった。


 ある午後、サラは自身の武器を手入れしていた。ミアは好奇心旺盛な目で、その様子を見つめていた。


「ねえ、サラさん。その銃のことを教えてくれない?」


 サラは一瞬躊躇ったが、ミアの知的好奇心に応えることにした。


「ボルトアクションライフル。口径:.338ラプア・マグナム。有効射程:1,500メートル」


 ミアの目が輝いた。


「すごい! でも、どうやってそんな遠くまで正確に撃てるの?」


 サラは、普段誰にも語ることのない自身の能力について、詳しく説明し始めた。


「風速、気温、湿度、地球の自転。全ての要素を計算に入れる。弾道計算は0.01秒以内に完了」


 ミアは熱心に聞き入っていた。その純粋な興味に、サラは何か温かいものを感じた。


「サラさんの頭の中って、スーパーコンピューターみたいなんだね」


 サラは、この比喩を理解しようと努めた。


「不正確な表現。しかし、概念は理解可能」


 ミアは小さく笑った。その笑顔に、サラの心に微かな揺らぎが生じた。



 夜の帳が降りた頃、サラとミアは小さなダイニングテーブルを囲んでいた。サラが用意した夕食は、栄養学的に完璧な計算に基づいたものだった。白米、茹でた鶏胸肉、蒸したブロッコリー。全てが正確に計量され、調味料も最小限に抑えられていた。


 ミアは、目の前の皿を見つめ、少し困惑した表情を浮かべた。


「サラさん、これって……毎日こんな感じなの?」


 サラは無表情のまま答えた。


「肯定。必要栄養素を最適な比率で摂取。効率的」


 ミアは小さくため息をつき、自分の皿をフォークでつついた。


「でも、食事って楽しむものじゃない? 味や香り、見た目も大切だと思うな」


 サラは、ミアの言葉を理解しようと努めた。


「楽しみ:主観的概念。栄養摂取が主目的」


 ミアは諦めきれない様子で、再び話を続けた。


「ねえ、明日の夕食は私に作らせてくれない? 食事がどれだけ素敵なものか、サラさんに教えてあげたいの」


 サラは一瞬躊躇した。彼女の完璧に計算された生活リズムに、予期せぬ変更を加えることへの戸惑いがあった。しかし、ミアの熱心な眼差しに、何か特別なものを感じ取っていた。


「了解。ただし、必要栄養素は確保すること」


 ミアの顔が明るく輝いた。


「もちろん! 栄養もバッチリで、美味しくて、見た目も楽しい食事を作るわ。きっとサラさんも気に入ってくれるはず」


 サラは、ミアの興奮を理解することはできなかったが、何か新しいことが始まろうとしているという予感はあった。


 そして、静かな夕食が再開された。しかし、空気が少し変わっていた。ミアの目は期待に満ち、時折サラの反応を窺っていた。


 突然、ミアが真剣な表情で口を開いた。


「サラさん、私ね、あなたのことをもっと知りたいの。サラさんはいったいどんな人生を送ってきたの?」


 サラは、食事の途中で動きを止めた。彼女の完璧な記憶力が、過去の出来事を鮮明に呼び起こす。しかし、それを言葉で表現することに、彼女は慣れていなかった。


「32年間の生存。主な活動:狙撃技術の向上と実践。人間関係:最小限」


 ミアは、サラの無機質な回答に、少し悲しそうな表情を浮かべた。


「そう……。でも、そんな生活、寂しくなかった?」


 サラは、「寂しさ」という概念を理解しようと努めた。彼女の脳内では、感情を数値化しようとする猛烈な計算が行われていた。


「寂しさ:感情の一種。理解困難」


 ミアはゆっくりと手を伸ばし、サラの手に触れた。その温もりに、サラは微かな動揺を覚えた。


「サラさん、感情って難しいかもしれない。でも、大切なものよ。あなたにも、きっとあるはず」


 サラは、ミアの言葉と、その手の温もりに、今まで経験したことのない何かを感じていた。それは、彼女の精密な計算式では説明できない、不思議な感覚だった。


「感情の存在:可能性あり。さらなる検証が必要」


 ミアは優しく微笑んだ。その笑顔に、サラの心の奥底で、何かが僅かに揺らいだ。


「うん、一緒に探っていこう。私も、サラさんのことをもっと理解したいの」


 二人の間に、静かな理解が芽生え始めていた。サラの厳密に管理された世界に、ミアという予測不可能な要素が加わったことで、新たな可能性が開かれつつあった。


 そして、この質素な夕食を前に、二人の関係は新たな段階に入ろうとしていた。食事を通じて感情を表現し、理解し合う。それは、サラにとって未知の領域だったが、同時に不思議な期待感も感じていた。


 窓の外では、夜空に星々が瞬いていた。サラとミア、二人の特異な才能が交わるこの瞬間、彼女たちの人生に、静かな変革が始まろうとしていた。


 二人の間に、静かな理解が芽生え始めていた。サラの厳密に管理された世界に、ミアという予測不可能な要素が加わったことで、新たな可能性が開かれつつあった。


 そして、ミアもまた、サラという特異な存在を通して、自身の知性の新たな側面を発見しつつあった。

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