図書館の最終回

サカモト

第1話 森ノ木図書館

 うそだとは思う、うそだとは思うけど、ぼくはこの話が好きだ。

 むかし、ぼくの家のとなりは森だった。それで、その森は、ちょっとえらい人のものだったらしい。

 言い方に工夫をいれると、森のヌシ、といえる。

 あるとき、森のヌシだったひとは、ここに図書館をつくることにした。図書館は森の木をつかって建てた。木で出来た図書館だった。すべての木はきらず、残せる木は残したので、とおくから見ると、図書館は森の中に建つようにもみえた。森というにはボリューム不足かもしれないけど、森につつまれたふうだった。

 ぼくの家はこの図書館の隣にある。ひくい塀をへだてた向こうにあった。

森の木でつくった図書館といっても、窓とかはガラスをつかっているし、鉄もコンクリートもつかっている。だから、森の木だけでつくった、と、いいたいけど、せいかくには、ここにあった森の木も使ってつくった図書館ということになる。入り口は自動ドアじゃない、木の扉で、横にすべらせてあける。でも、鍵は、電子パネルで、ぴっと、やってかけるタイプだった。

 図書館の名前は『森ノ木図書館』といった。森の木でつくった図書館だから、森ノ木図書館、という名前。町とかがやっている図書館じゃなく、私立の図書館らしい。

この話を、ぼくがいつ、だれにきかされたかはおぼえていない。でも、図書館の名前は、まぎれもなく『森ノ木図書館』だし、看板にもかいてある。貸出カードにも印刷してある。

 ぼくの住むこの町には、森ノ木図書館の他にも書館はあった。そこは新しい図書館で、みあげると、首がいたくなるくらい高いビルの中にある。

母さんはその高いビルに入った図書館を『タワマン図書館』と呼んでいた。ほんとうの名前はあるけど、タワマン図書館。駅前にある図書館だった。その図書館はビルの十二階にあって、高いから、町が見わたせた。ぼくの通う、中学校も見えた。一か月前まで通っていた小学校もぎりぎり見える。

 この春、ぼくは中学生になった。

 そういえば、入学まえ、母さんに「中学校と小学校の大きなちがいはなんだろう」  と、投げるように聞いた。

 家でしごとをしていた母さんは、パソコンの画面を見ながら「小学生の美容院デビューはなやましいけど、中学生の美容院デビューはタイミングしだいさ」と、いった。

 ぼくは「しごと中に、ごめん」と、あやまった。

 感想がムズカシイ。

 にんげん、いそがしい人に質問すると、そういうのがでるんだと学んだ。

 ぼくの家は森ノ木図書館の隣にある。ぼくは生まれた頃から、この家に住んでいた。母さんの育った家だった。いまは、父さんと、母さんと、ぼくで住んでいる。むかしは猫もいたけど、いまはいない。かなり長生きした猫で、母さんは「おしい人材よね、あともう少し生きてれば、きっと化け猫になれる猫だったのに」と、いっていた。

 うーん、人材ではなく、猫材なんじゃないかな。

 母さんの話では、母さんが物心つくころには、もう、家の隣は森ノ木図書館だった。タワマン図書館はまだなかった。家の隣なので、母さんも子どもの頃、よくその図書館にいったのかといえば、あんまりいかなかったらしい。「テレビゲームがおもしろくてね」と、ぼくへつたえてきた。「ピコピコしながら生きてた」

 でも、ぼくはちがった。家の隣にある図書館に毎日のようにいった。文字をおぼえるまえから、通っていた。

 小学校にあがると、毎日とはいわないまでも、けっこう通った。学校から家へ帰り森ノ木図書館へいく。家の隣だし、ともだちとその日、遊ぶ約束してても、とりあえず、図書館へ行ってから、あたらしい本が入る棚だけをチェックする。そのとき、図書館員さんへのあいさつもわすれない。そのあいさつは、声はださず、あたまをさげて方法のあいさつだった。

 家から近いし、本をかりて読むことはあまりしなかった。読むときは、図書館の中で読んだ。小さいときは、絵本、図鑑、それから、マンガを読んだ。その後は、なるべくマンガみたいな挿絵が入った小説を読んだ。いまは挿絵が入ってない小説も読む。ずっと挿絵の入った小説をずっと読んだ効果効能で、挿絵がない小説でも、挿絵みたいな光景を頭の中で描けるようになっていた。読んだ本の中で、どうしても、ああ、この世界がほしいな、と思った本は、両親にお願いして買ってもらった。そんなお願いばかりしているうちに、じぶんの部屋の本棚は、じぶんのほしい世界がならんだ感じになった。本の題名をみていくと、まるであたまの中が、外へ出てるみたいで、人にみられるのは、なんだか、はずかしかった。

 学校の友だちの中には、マンガ以外の本を読むひとはあまりいなかった。でも、へいきだった。むしろ、ぼくは得意気になっていた。もっといえば、いい気分になっていた。いい調子になっていた。

 なぜなら、一冊の本を読み始めて、読んで、読み終わる。それが、たとえば小説で、そこに物語があって、冒険がある。本の中の世界では、ほんとうに生きているみたいな人たちがいたりして。こっちの世界では、ぜったいに経験でいないことを体験した。そして、一冊を読み終わると、ひとつの世界をまるまる生きた気持ちになれた。とうぜん、読み終えた後は、こうふんしてりしている。

 そうだ、この世界で、いま体験した本の中の世界を知っているのは、じぶんひとりだ け、と、思ったりしている。

 じぶんだけが世界のある秘密を知っている気になっている。

 だから、ほかに本を読む人がまわりにいなくても、よかった。

 いつも、座る森ノ木図書館のはしっこの席で、ひとりで本を読んで、最後のページを閉じて、しばらく、窓の外を見て、そこには、木があって、きせつによっては緑だったり、赤だったり葉っぱがあって、葉っぱもないときもあって、雪がのっかってるときもある。しばらく、ぼーっとしてから、席を立って本を棚に返す。

 図書館を出て、家に帰り道の三十歩のあいだ、今日はいい日だったなあ、と思う。 おもしろい本を読み終わった日は、家に帰ってから、ごはんをたべながら、今日はいい日だったなあ、と思ってるし、お風呂の中でも思っている、今日はいい日だったなあ、と。寝るまえ、ふとんをかぶりながらも思う、今日はいい日だったなあ。

 もちとん、読んだ本が、そんなに、グッとこない場合もある。

 そんなときは、図書館を出て、こう言った。

「たりない」そして、腕を組む。「ぼくがたりていないんだ」

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