俺の部屋に入り浸る幼馴染がウザすぎる。
京野わんこ
俺の部屋に入り浸る幼馴染がウザすぎる。
「――ごめんなさい」
心地よい風が吹くうららかな春の午後。
大学キャンパスの中庭で。
俺の一世一代の賭けは、たったの一言で呆気なく終わった。
「えっ……なんで……?」
ぺこりと頭を下げる彼女――吉川さんを前にして、俺は実に男らしくなく追い縋った。
情けないっていうのは、自分でも分かっている。でも、それだけこの告白に自信があったのだ。
吉川さんは絶対に俺のことが好きなはずだと。
なのに、蓋を開けてみればこの体たらくだ。
「俺じゃダメなの……?」
俺が聞くと、吉川さんは答え辛そうに言った。
「ダメっていうか……恋愛対象としては見れないっていうか……」
は……?
「なんで……?」
すると吉川さんは、身も蓋もないことを言い放つ。
「なんていうか……うちの弟に似てるんだよね……」
「お、弟……?」
「あ、いや、別に顔が似てるとかそういう訳じゃないんだけど……仕草とかが、そういうのが妙に弟っぽいっていうか、子供っぽいっていうか……」
……え?
つまりなんだ?
「俺にやさしくしてくれてたのも、弟みたいだからだったってこと?」
吉川さんはこくりと頷く。
はは……。
なんだよそれ……。
つーことは、俺には可能性が端っからなかったってことじゃねーか……。
完全に俺の早とちりかよ……。
「ごめん……」
俺は謝罪とともに頭を下げる吉川さんを手で制する。
「いや、良いんだ。こっちこそ勘違いしてごめんな……」
ぶっちゃけ泣きそうだったけど、それが俺の精いっぱいの強がりだった。
――思えば今回の玉砕に限ったことじゃなく、「弟みたい」という言葉は、幾度となく言われてきた言葉だった。
――弟ができたみたい。
――弟と話してるみたい。
どうやら俺には、弟根性が染みついているらしい。
大したことじゃないと今まで気にしたこともなかったが、まさか、初めての告白も拒まれるなんて……。
だが俺には、実の兄もいなければ、姉もいない。
なのになぜ、こんなにも弟ムーブが染みついているのか。
そんなの考えるまでもなかった。
それもこれも……全部あいつのせいに決まっていた。
フラれた心の傷が癒えぬままボロアパートに戻った俺は、見たい番組があるわけでもないのにテレビを付け、それを無心で眺めていた。
もう今日は何もする気が起きない。
このまま永遠に、時が止まってしまえばいいのに、とさえ思う。
だが、こんな時間が永遠であるはずは当然なく。
終わりは突然やってくる――。
玄関のボロいドアが、ばんっ、っと勢いよく開く。
そして同時に、アホみたいな大きさの声がした。
「――たっだいまぁー!!」
若い女の声。
そしてその声の主は、部屋の明かりが付いていないことに疑問を抱いたようだった。
「……ありゃー? 千歳ー、帰ってないのー?」
千歳――俺の名前を口に出したその女は、ためらいもなくズカズカと部屋の中に入ってくる。
「……なんだ、居んじゃん千歳。なんで電気付けてないの?」
女が俺に話しかけてくる。
だが、誰とも話す気になれない俺は、その声を無視する。
「……おーい」
「……」
「おーいおーい」
「……」
……ぴとっ。
冷たッッ!!
「何すんだよおっっ!!」
「お、やっと反応した」
首筋に何か冷たいものが当たって思わず振り向くと、その女――亜紀姉がニタニタと笑みを浮かべていた。
亜紀姉は小さいころからの腐れ縁――いわゆる幼馴染だ。歳は俺の五つ上で、今は社会人。本来は実家から会社に通っているのだが、こっちの方が会社から近いからとかいう理由で、俺の部屋によく入り浸っている。
一人暮らしがしたくて実家を出たってのに、最悪だよ……。
っていうかさっき、ただいまって言ってたが、お前の部屋じゃねえからな?
亜紀姉は右手にビール缶を持っていた。缶の側面には無数の水滴がついている。
俺にくっつけたのはそれか……。
「いきなりそんなもん当てるんじゃねぇ!」
「えー? だって無視してたのはそっちじゃん」
いや、まあ、それはそうだが。
「……なんかあったん?」
亜紀姉が俺にそう聞いてくる。だが、俺は何も話す気になれず、そっぽを向く。
「亜紀姉には関係ねぇだろ……」
「いいや、関係あるねっ!」
「なんでだよ」
「アンタが辛気臭い顔してたら、ビールがマズくなる!」
……なんだその理由。
そして亜紀姉は俺の顔をがしっと掴み、無理やり自分の方に向かせる。
「何か嫌なことがあったんなら、吐き出しちゃいなさいよ。その方が楽だと思うよ?」
……ちぇっ。亜紀姉のクセに、もっともらしいこと言いやがって……。
「ほら。絶対笑ったりしないからさ」
……。
――。
「――あひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!」
な、殴りてぇ……。
いや、分かってたよ? 亜紀姉に喋ったが最後、こうなるってことくらい。
「……あー、笑った笑った」
亜紀姉はひとしきり笑った後、笑いすぎて目頭に溜まった涙を拭った。
「特にフラれた理由が『弟に似てるから』ってのが最高よね」
「……亜紀姉のせいだからな」
「ん?」
「亜紀姉の相手をしてるせいで、弟根性が染みついちまったんだ」
そうだ。亜紀姉がことあるごとにこうやってちょっかいを出してくるせいで、そんな環境に慣れていっちまったんだ。そうに決まってる。
「ふーん、弟根性、ねえ……」
「なんだよ、文句あっか?」
「……いや? でもさ、心配しなくてもいいんじゃない?」
「はあ? なんで?」
亜紀姉は、缶の中身を飲み干してから言った。
「……もしもの時は、私がもらってあげるからさ」
……俺が亜紀姉に?
ないない。
それこそ姉と弟みたいな関係じゃねーか。
今更そんなふうに思えるはずもない。
というか亜紀姉も、心にもないこと言いやがって――。
――次の日も、亜紀姉は当たり前のように俺の部屋に来ていた。
「なんで毎日毎日、俺の家に来るんだよ……」
「んー? だって自分の家に帰ってくるのは普通じゃん?」
「俺の家!」
「似たようなもんでしょ」
違う。断じて違う。
「あー、分かった」
「……なにが」
「私が居るせいで一人エッチができなくてイライラしてんでしょ?」
「違えよ!!」
「別に気にしないからさ、好きにしていいよ」
「だから違えって……!」
だいたい、そういう習慣は亜紀姉はが来るようになってからは昼間に済ませるようになって……ってそういうことじゃない。
「……なんでそんなに俺の部屋に来たがるんだよ」
ぶっちゃけここから俺たちの実家がある場所は、さほど遠くはない。亜紀姉の職場からしたって、せいぜい十分か十五分くらいの差でしかない。それだったら大人しく自分の家の帰ったほうが良いと俺は思うのだが、なぜか亜紀姉はそうしない。
俺が問いかけると、いつものように酒――今日は缶酎ハイ――を傾けていた亜紀姉は、顔を赤らめつつ答えた。
「だって……家に帰ってもつまんないし」
「はあ?」
こんな狭い部屋に来る方が余程つまらなくないか? と思ったが、それを言う前に亜紀姉は続けた。
「だって千歳が居ないじゃん……」
「俺がいる必要なんてないだろ」
「……なんで黙って独り暮らし始めたワケ?」
「なんで亜紀姉に断んなきゃなんねえんだよ……」
「断ってよ! 寂しいじゃん!」
「やだよ!」
「なんでよ! 千歳のバカ!」
「うっせーな、バーカ!」
「バカって言うほうがバカなんだ!」
「だったら亜紀姉だってバカじゃねーか!」
「バーカバーカバーカ!」
……そんな低レベルな罵倒の応酬を続けているうちに、やがて俺はあることに気付く。
亜紀姉の横にはいつの間にか、数本の空き缶が転がっていた。
さては亜紀姉、出来上がってるな……?
「亜紀姉、そろそろ止めとけって……」
「何よぅ……いいじゃない。私らって、飲まなきゃやってられないことらってあるのよぅ……」
本格的に酔いが回ってきているのか、滑舌が怪しくなってきていた。
こんなになるまで飲むなんて……亜紀姉らしくないな……。
まあ、亜紀姉も社会人だし、色々と大変なのはわかるけど……。
「ねぇ、千歳……」
すると亜紀姉が、さっきよりも赤くなった顔で呟いた。
「なに?」
「私って……千歳的には、アリかな?」
はぁ? なんだ急に?
「知らねえよ」
俺がそう言うと、亜紀姉はギリギリ聞き取れるくらいの小さな声で、こう呟いた。
「ねぇ……早くしないと私、オバサンになっちゃうよ……」
それ、どういう意味――。
――けど、俺が聞き返そうとした時にはすでに、亜紀姉は寝息を立てて眠ってしまっていた。
――それから俺は、あの日の亜紀姉の言葉が、喉の奥に刺さった魚の骨みたいにずっと気になり続けていた。
とは言っても、我慢すれば普通に生活を送れる程度の違和感だ。俺は極力気にしないことにして過ごしていた。
そんなある日のことだ。
その日は、亜紀姉が仕事を終えるであろう時間になっても、亜紀姉は現れなかった。
まあ別に必ず来るという訳でもないので本来であれば気にする必要も無いのだが、一番現れる確率が高い金曜日だったということもあり、俺は何となくモヤモヤしたものを感じていた。
……って亜紀姉に振り回されすぎだろ、俺。
偶にはそういう日もあったっていいじゃないか。
これを機に、ここに来る回数が減ってくれればいいんだが……。
そう思いつつ、何処か寂しく思う自分もいることに気付き、俺は苦笑した。
……まぁいい。
今日は切り替えて、一人の時間を満喫しよう――。
――だが、そんな時。
――バタンッ!!
玄関の扉が、勢いよく開いていた。
そして、開いた扉の先に、スーツ姿の人影が見えた。
……亜紀姉だ。
時間はすでに、日付を跨ごうとしている。
こんな時間に?
今まではこんな遅くに来ることはなかったんだが……。
俺は疑問に思いつつも、出迎えるために亜紀姉に近寄る。
「どうしたんだよ、こんな遅い時間に――」
――だが、近寄った俺は、気付いた。
亜紀姉の肩が、小刻みに震えていることに。
「ゔぅ……ぢどぜぇ……」
普段の綺麗な顔は、涙のせいでグチャグチャになっていた。
「な……どうしたんだよ……」
「ぢどぜ……ぢどぜぇ……」
だいぶ呂律が回っていない。どうやら、すでに相当飲んでいるらしかった。
「分かったから……ほら、早く中に入れって……」
泣きじゃくる亜紀姉を引きずるようにして、部屋の中に招き入れる。
「おい亜紀姉、何があったんだ……?」
そしてなんとか運び込んだ亜紀姉に尋ねると、亜紀姉は答えになっていないことを言う。
「ねぇ、千歳……ぎゅーってして」
「は……え?」
「ぎゅーってして……」
亜紀姉の懇願に、俺は戸惑いながらも亜紀姉の肩を抱き寄せる。
「こ、こう……?」
「うん……ありがとう……」
亜紀姉を抱きしめたまましばらくしていると、亜紀姉は少しずつ落ち着きを取り戻していく。
そして亜紀姉は、ぽつぽつと語り出した。
「私ね、今日……会社の同僚の男の人に、飲みに誘われたの」
「え?」
「いつもだったら断ってるんだけど………この前千歳が告白したって聞いてからずっと胸がモヤモヤしてて……それで、私も、って……でも……」
「……」
「……でも、いざ迫られたら、すごく怖くて……千歳以外の男の人に触られるのがすごく嫌で……結局、突き飛ばして逃げてきちゃった… …」
その話を聞き終えたとき、どうしてだろう、俺も凄く嫌な気分にになった。
「ねぇ、千歳……ちゅーして……」
「へ……?」
「ちゅーして……お願いだから……」
そう言って、亜紀姉はゆっくりと目を閉じた。
おい、マジか……?
いや、でも……ここでいかなきゃ、男が廃るだろ……。
俺は亜紀姉の両肩に手を乗せた。
い、いくぞ……。
そして俺は、亜紀姉に顔を近づけ……。
「…………ぐぅ」
……ぐぅ?
気付くと亜紀姉は、ガッツリ船を漕いでいた。
この女……!
「……ったく、仕方ねぇな……」
俺は亜紀姉を起こさないようにゆっくりとベッドに寝かせた。
正直やり場のない感情でどうにかなりそうだったが、この状態の亜紀姉を叩き起こしたところで、意味がないのは明らかだった。
まぁ、デカい貸しが一つ出来たとでも思えばいいか。
そんな訳で、俺は悶々とした気持ちをなんとか抑えつつ、一晩を過ごしたのだった。
そして、翌朝。
俺のベッドを占領してさぞ気持ち良さそうに眠っていた亜紀姉だったが、突然目が覚めたのか、ガバッと飛び起きた。
そんでもって、キョロキョロと辺りを見まわして、一言。
「……あれ? なんで私、ここに居んの?」
……まさかコイツ。
昨日のこと覚えて無いのか……?
俺は大きなため息をついた。
「なんでって……亜紀姉が自分で来たからに決まってんじゃねーか」
「んん……?」
亜紀姉は昨日のおぼろげな記憶を必死に思い出そうとしているようだった。
だがやがて、俺のことをジロっと睨みつけて言う。
「まさかとは思うけど……千歳、アンタ……私が寝てる間にえっちぃことしてないでしょーね?」
「ばっ、馬鹿……! するわけねーだろっ!」
「あっ! いま目を逸らした! 変態!」
「言ってろ!」
目を覚ましたかと思えばこれだ。
昨日、一瞬でも可愛いと思った俺が馬鹿だった。
――俺と亜紀姉の関係は、多分これからも変わらないだろう。
幼馴染という関係。
互いにふざけ合える関係。
互いに悩みを打ち明けられる関係。
もし仮に、俺と亜紀姉のあいだに何か劇的な変化が訪れたとしても。
多分、それだけは変わらない。
――以上が俺の、ウザすぎる幼馴染の話だ。
俺の部屋に入り浸る幼馴染がウザすぎる。 京野わんこ @sakura2gawa1
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