告白を待ち続ける後輩の話

京野わんこ

告白を待ち続ける後輩の話

 ふと訪れた校舎裏に、一人の女子生徒がいた。

 見覚えのある立ち姿。

 髪はふわりとしたショートボブで、小さな顔。その顔立ちはおよそ美少女と言っても差し支えないほど整っていた。

 やがて女子生徒のほうも俺に気づき、ぱぁっと笑顔を咲かせる。


「西宮先輩、ですよね?」


 西宮、というのは、俺の名だ。つまり彼女も俺のことを知っている。

 もしかしたら人違いかもしれないという懸念があったが、それも杞憂だったようだ。

 俺は女子生徒の問いに答えた。


「ああ……久しぶりだな、七瀬」


 七瀬、というのは、彼女の名だ。

 七瀬は、俺の一つ下の後輩だった。


「こんなところに来て、どうしたんですか?」


 七瀬は鈴が転がるような声で笑いながら言った。


「……ただの気分転換だよ」


 俺はなんだか妙に居心地が悪くなって、喉が潰れたような声で答える。

 そんな俺をよそに、七瀬は目敏く俺の手の中にあるものを見つける。


「あー! もしかしてタバコですか?」


「……悪いかよ」


「不良ですねー」


「うっせ……」


 バレてしまったことで開き直った俺は、七瀬の前で堂々とタバコに火をつける。


「うわっ! タバコくさっ!」


「へぇ、分かんの? このタバコの臭いが」


「当たり前じゃないですか。父が家でよく吸っていましたから。私の一番嫌いな臭いです」


「……」


「そう言えば……こうやって私と先輩が会うのって、いつぶりですかね?」


「さあ……でも、そこまで大した時間じゃないだろ」


「それも……そうですね」


「そう言えば俺も、聞きたいことがあったんだけど」


「なんですか?」


「七瀬はなんでまた、こんなとこに居んの?」


 俺は白い煙を吐き出しながら、そう聞いた。

 我ながら、意地悪な質問だと思った。

 すると、七瀬は……少し寂しそうな顔をして……。


「……待っていました。西宮先輩を。とうとう来てくれなかった、あの日から、ずっと……」



 ――少しだけ前の話だ。

 俺は七瀬に、放課後に校舎裏へ来るように言った。大事な話があるから、と。

 俺はそこで七瀬にある思いを伝えるつもりだった。


 だけど、結局俺は、怖気づいて出来なかった。

 最低だと思いつつも、俺はその日、校舎裏に向かうことなく学校を後にした。


 だから、七瀬にはすっかり見限られてしまったのかと思ったのだけれど。

 たまたま思い出して立ち寄った校舎裏で、今も待ち続けて居る光景を見て。

 驚きを隠せなかった。

 こんなどうしようもない、俺を待ち続けているなんて――。

 


 翌日また校舎裏に立ち寄ると、七瀬はやっぱりそこに居た。


「こんにちは、先輩。昨日振りですね」


「ああ」


 俺は気のない返事をして、タバコに火をつけた。


「またタバコですか?」


「喫煙者ってのは肩身が狭くてさ……当然学校の中じゃ吸えないから、結局こんな場所まで来るしかない」


「大変ですね」


「ちっ……これっぽっちもそうは思ってない癖に……」


「あれ、バレました?」


 七瀬は屈託のない笑みを浮かべて笑う。

 なんだよ……。

 なんで七瀬は、そんないつも通りの態度を取れるのだろう。

 俺の裏切り行為に、本当は腹が立って仕方がないはずなのに。


「七瀬は……変わらないな……」


 俺は、ほとんど独り言みたいに呟いた。

 すると、七瀬はその言葉を拾い上げて、首を傾げる。


「西宮先輩は変わったんですか?」


「……変わったよ。見たら分かるだろ?」


「えー、そうですかねー、私にはおんなじに見えますけど」


「……けっ」


 良くもまあ、そんな事を臆面もなく言えるもんだ。

 変わっただろ、確実に。

 それは俺が一番、よく分かってる。

 それかもしくは、七瀬の目には、何か特殊なフィルターでもかかっているのかもしれない。


「ここは一つ、二人とも変わってないということで、一つ手を打ちませんか?」


「……好きにしろ」


「それで、変わってないついでに、教えてくれませんかね?」


「何をだよ?」


「あの日……先輩は私に何を言うつもりだったのか」


 そんなの……今更言えるかよ……。

 それに……たとえ変わってなかったとしても、もう、流石に時効だろ。

 もう俺に、何かを言わなくちゃいけない義務なんて無いはずだ。

 だから、今、目の前で頬をぷくっと膨らませて俺のほうを見ている後輩が居たとしても、俺は何も答えようとは思わなかった。



 それからというものの、七瀬は俺がタバコを吸いに校舎裏に向かうたびに、しつこく俺に尋ねてきた。


「ねーねー、教えて下さいよー」


「だから、教えねえって……」


 本っ当にしつこいな……こいつは……。

 今更知ったところで、何が変わるでもないだろうに……。


「じゃあ一文字だけ! 頭文字だけで良いですから!」


「そーいう問題じゃねーって……」


 俺は七瀬を放って、いつものようにタバコに火をつける。タバコの先からくゆる煙が、俺と七瀬のあいだを壁のように隔てていた。


「それにしても……西宮先輩ってよく吸いますよねー、タバコ」


「……ああ?」


「やっぱり不良ですねー」


「うっせーよ」


「一体どこで教わったんですか?」


「それは、昔のバイト先で……」


「え? 先輩バイトしてたんですか?」


「いや、そりゃするだろ……」


「なんのバイトですか?」


「なんだっていいだろ、そんなもん……」


 といった具合に、何かにつけて質問攻めにしてくる七瀬。

 それはまるで、今までの空白の期間を埋める作業をしているようで……。



「――なんか最近楽しそうですね、西宮さん」


 そんなある日、俺は職員室で、紗倉先生にそんな事を言われた。


「そうですかね」


「なんか良いことでもありました?」


「別に、そういう訳じゃないですが……」


「いやいや、絶対何かありましたよね? 私の目は誤魔化せませんよー?」


「だから何もないですって……」


 そんな押し問答をしているうちに、授業の終わりを告げるチャイムが鳴る。それを聞いて俺は、彼女との会話を切り上げた。


「……じゃあ俺は次の時間行かなきゃなんで、これで」


「はーい、いってらっしゃい」


 職員室を後にしながら俺は、これは後でまた絶対聞かれるな、何か言い訳を考えておかなきゃな、と思う。

 まさか本当のことを打ち明ける訳にもいかないしな……。

 というか、そんなに楽しそうにしてたか、俺……?

 俺は気を引き締める意味を込めて、自分の両頬をパチンと叩いた。


「……よし」


 今更こんな気持ちになるなんて、男らしくない。

 俺は強く叩きすぎてヒリヒリする頬をさすりながら、教室へと向かった。



「……この前は、あの日何を言うつもりだったのか教えてくれって言いましたけど」


 そして、授業終わりにいつものように校舎裏に行ってタバコをふかしていると、七瀬は俺に対してこんなことを言った。


「やっぱり聞かないことにします」


「……なんだよ、急に」


 前日まではしつこいくらいに聞いてきた癖に……。


「七瀬、お前……何を企んでんだ?」


 俺が疑いの眼差しを向けると、七瀬は吹き出していた。


「やだなぁ……そんなんじゃないですって。私って、どんだけ信用ないんですか?」


「じゃあ、なんでだよ」


 俺がそう尋ねると、うーんと顎に 人差し指を当てるような仕草をしてから、こう言った。


「今の関係ままっていうのも、それはそれでいいのかなって」


「なんだよ、それ……」


「さあ……なんでしょうね?」


 七瀬は困ったように首を傾げた。

 でも実は俺は、七瀬の言いたいことが何となく分からないでもなかった。

 俺がヘタレだったあの時に一度、俺と七瀬の関係は終わって……今、ようやくまたこうやって会話が出来るようになったのだ。

 それなのに……余計なことを言ってしまえば……やっと戻ったこの関係すら、消えて無くなってしまうかもしれない。


「だから、西宮先輩も、何も言わなくて良いですから」


「……最初から言う気なんてないっつーの」


 ……いつまで経ってもお前はヘタレだなって。

 誰かに言われた気がした。



 一服を終えて戻ると、ちょうど出て行こうとしていた紗倉先生にバッタリと会った。


「あ、西宮さん、どこ行ってたんですか?」


「ああ……ちょっとこれに……」


 俺は左手でチョキをつくってタバコを吸うジェスチャーをした。

 それを見た紗倉先生は、呆れ顔になる。


「もう……程々にしてくださいよ……。そんなに吸ってたら、生徒たちも煙たがるんじゃないですか?」


「いや、まあ……消臭はしてるんで……」


「それでもです!」


「はぁ……すんません……」


 俺は形だけ謝罪の言葉を述べる。


「……ところで、紗倉先生はそんなに急いでどうしたんですか?」


 すると紗倉先生は、少し困惑げに答えた。


「……実は、ウチのクラスの生徒が怪我をしたみたいでして……」


「え……?」


 俺は予想外の言葉に、言葉を失う。

 だが紗倉は、俺の反応に、苦笑いで返す。


「ああ、えっと……別にそんなに大した怪我じゃないみたいですよ? ただ、ちょっと部活中に足を捻ったみたいで……」


「え、あ、そうですか……」


 なんだ……俺はてっきり……。

 すると俺の大袈裟なリアクションが余程可笑しかったのか、紗倉先生が笑いながら言った。


「ごめんなさい、こんな言い方したら誰だって驚きますよね。私も最初はびっくりしましたもん。もしかしたら、十年前みたいなことが起こったんじゃないかって……」


 十年前……。


「轢き逃げ事件、ですか……」


 俺がそう言うと、紗倉先生は曖昧に頷いた。


「まあともかく、大事じゃなくて良かったです。じゃあ私、その子の様子を見に行ってきますね」


 そう言って、紗倉先生はパタパタと駆けていく。俺はその後ろ姿を黙って見送った。


「十年前か……」


 改めて聞くと、もう随分と昔のことなんだな、と思う。


「このままじゃいけないよな……」


 本当は、そんなことはとっくに分かっていたのだけど……。

 でも、その現実に向き合うために俺は……一体どうすればいいのだろう?



 翌日校舎裏に行くと、やっぱり七瀬はそこにいた。

 七瀬は俺がやってきたことに気付くと、にっこりと笑った。


「こんにちは、西宮先輩」


「ああ……」


 だが俺は、そんな七瀬に笑い返すことができない。

 七瀬は不思議そうに顔を顰めた。


「んー? 先輩、今日は元気ないですねー」


「ほっとけ」


「嫌ですー、私は先輩をイジるのが趣味なんですから」


 ……だったらそれは、悪趣味と言わざるを得ない。

 俺はうるさい七瀬を無視して、いつものように一服を始めた。

 吐き出した息に、白い靄がかかる。


「……なあ、七瀬」


「なんですか?」


「お前、いつまでここにいんの?」


 すると七瀬は、俺の言葉にはっと驚いた後、寂しそうに笑う。


「……先輩がキスをしてくれるまで、ですかね?」


 ……なんじゃそりゃ。


「……だったら無理だな」


「えー、なんでですか?」


「だって俺、タバコ臭いだろ?」


「別に大丈夫ですよ、それくらい。ほら、宇多田ヒカルだって歌ってたでしょ? 初めてのキスはタバコ味だったって」


「いつの曲だよ……」


 ……と言ってしまってから、俺は後悔する。

 俺と七瀬の、時間に対する認識は違うのに。

 七瀬は、気まずそうに空笑いをしていた。


「じゃあ……本当のことを言ってもいいですか?」


「なんだ?」


「私の願いは一つだけ……西宮先輩があの日、何を言おうとしていたのか知りたい」


「はぁ? だってお前、やっぱり言わなくてもいいって……」


 そう言うと、七瀬は唇を強く結んだ。


「だって……知ったら終わっちゃうから……」


「え……?」


「本当はこの状況が普通じゃないってことは、私も分かってるんです。でも、やっぱり名残惜しくなっちゃって。このまま、西宮先輩とお喋りを続けるのも良いかなって……」


「……」


「でも、やっぱり知りたいよ……」


 いつの間にか、七瀬の頬に、涙が伝っていた。


「西宮先輩が私のこと、どう思ってたのか、知りたいよ……」


 そんな七瀬の姿を見て、俺は……。

 俺は……七瀬を抱き寄せていた。


「あ……」


 そして俺は、七瀬の唇にキスをする。

 七瀬はしばらく何が起こったのか分からなかったのか目を見開いていたが、やがて俺に身を任せるように目を閉じた。

 その時間はほんの数秒でしかなかったが、俺には永遠のようにすら感じられた。

 だが、その時間もいつしか終わりを迎え、俺たちは唇を離す。


 七瀬は、涙を目の端に溜めながら、俺に笑いかけた。


「……やっぱりタバコ味でした」


「悪いな」


「ううん、大丈夫です。それより……」


 七瀬は、俺の目を真っ直ぐと見つめる。


「教えてください。あの時に、本当は言うはずだった言葉……」


「俺は……」


 そして俺は、あの時の言葉を口にする――。



 ――気付いた時には、もうそこには、誰も居なかった。しんと静まり返っている。まるで、最初から俺一人しか居なかったかのように。


「……あ、西宮さん、ここに居たんですね」


 その場にずっと立ち尽くしていると、やがて紗倉先生が現れた。


「ちょっと、またタバコですか……って……」


 紗倉先生は何かを言いかけて、俺の顔を見て驚きに目を見張る。


「どうしたんですか……?」


 自分の頬を触ると、涙で濡れていた。


「俺は……」


 そうか、七瀬は、もう……。


「紗倉先生……実は俺、ここの学校の卒業生なんですよ」


「え……?」


「それで、十年前に起こった轢き逃げ事件……あの事件で死んだ女子生徒は、俺の後輩なんです」


「……」


「あの日、俺はアイツを校舎裏に呼び出して……だけど途中で恥ずかしくなって、アイツを残して帰ったんです。アイツは俺を散々待った挙句、一人で帰った……そしてその帰り……。俺が校舎裏に呼び出さなければ、こんなことにならなかったかもしれないのに……。本当は、伝えたいことがあったのに……」


「……何を……伝えたかったんですか?」


 紗倉先生に尋ねられて、俺は当時のことを思い出す。

 俺が……七瀬に伝えたかったのは……。


「アイツのことが、好きだったってこと」

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