聖女と異界騎士

相堀しゅう

第1話 魔物が出る世界1

 その国、ロージアン王国のとある山間に小さな村があった。

 建物は二十数軒。それ以外には本当に何も無く、特別裕福でもなければ食べるものに困るほど貧乏でもない。他に特筆することの無い村だが、人々は争いもなく毎日を穏やかに暮らしていた。


 村に住む青年ミック・スミスターは自宅近くの畑を耕していた。これが終われば野菜の種を撒く。

 ふう、と鍬を振るう手を休め、額を流れる汗を服の袖で拭った。

 今日はいい天気だった。見上げた空には雲一つなく、太陽だけが煌々と輝いている。

「おーいミック」

 振り向くと、隣の家に住むおじいさんがこっちに向かって手を振っていた。ミックはおじいさんの元に駆け寄った。

「じいちゃん、どうしたんだ?」

「悪いが、後で木を運ぶのを手伝ってくれんか」

「分かった。耕し終わった後でもいい?」

「あぁ、構わんよ。いつも悪いな」

「いいよこれくらい。じゃあちょっと待ってて」

 ミックは戻って再び鍬を振るった。


 ミックはこの村で貴重な若い働き手だった。自分と同じくらいの年代の子たちの多くは「憧れの職業に就きたい」「お金持ちになりたい」「他にやりたいことがある」「とにかく村を出たい」と、それぞれ夢や目標を持って近くの町や人によっては遠くの都市に出て行った。

 ミックにはそういう夢や目標は無かった。だからこうして村に残って畑仕事や村人の手伝いをしている。

 今の暮らしに不満は無い。村人の手伝いは悪く言えばこき使われているのだけれど、頼られるのは嫌じゃないし、みんな必ず「ありがとう」とお礼を言ってくれる。誰かの役に立っていると思えばつらいことではなかった。


 耕し終わり、種を撒く前におじいさんの手伝いをしようと畑から出たその時だった。

「あああああああああ!」

 近くの森の中から男性の叫び声がした。

「なんだ」

 ミックと近くにいた人たちが何事かと森の方を見る。

 薄暗い森の中に目を凝らすと、そこから飛び出してきたのは木こりの男だった。彼も村の住人だ。

 彼は目を見開き、口を大きく開け、驚きと恐怖が入り混じったような顔で叫んだ。

「魔物だ! 魔物が出たぞ! 逃げろ!」

「ま、魔物だって!」

 ミックと同じように畑を耕していた男性が叫んだ。

 にわかには信じられなかった。この村ができて数十年、この付近に魔物が出たという話を聞いたことがなかったからだ。

 でもミックは信じざるをえなかった。


 木こりの男が出て来てすぐに森の木々がガサガサと揺れて、メキメキと木々をなぎ倒しながら真っ黒な物体が出て来た。

 真っ黒な物体はミックの三倍くらいの大きさがあり、つるりとした丸い体から虫のような細い足が何本も生えていた。体には汚い黄色の目がびっしりとついていて鳥肌が立った。

 目の前にいるコレは間違いなく魔物だ。ミックは初めて魔物を見たが、本や話で見聞きした通りの、いやそれ以上におどろおどろしい姿をしていた。


 この世界には魔物が出る。魔物は元からこの世界にいるのではなく、門と呼ばれるものを通して別の世界から来るらしく、何故魔物がこちらの世界に来るのかは分からないが、こちらの世界の侵略だろうと言われている。と、子どもの頃に読んだ本には書いてあった。

 魔物の目が一斉にミックに向く。

「うわあああああああっ!」

 ミックはとっさに手をかざし、魔物の目に向けて火の魔法を放った。平民だから魔法の威力は弱いうえに呪文も唱えられていないので魔物にかすり傷一つ付けられないが、それでも魔物はビビってくれたようで動きが一瞬止まった。

 ミックは走り出した。


 他の住人たちも「魔物が出たぞ!」と叫びながら村の北へ向かって走っていき、声を聞いて家を出てきた人たちは魔物を見て慌てて逃げていく。

 魔物が出たことがない村と言えど、全く備えをしていないわけではない。

 村の北には大きな洞窟があり、そこが有事の際の避難所となっているのだ。飲み物や食料の他に近くの町で買って溜めてある魔物避けの道具もあり、そこさえ辿り着けられれば一先ず安全のはずだった。

 避難訓練もしたことがあるのに、やはり突然のことで中にはあらぬ方角へ逃げていく人もいたが、彼らを連れ戻す余裕はミックには無かった。


 ミックは自宅のドアを開けた。

 そこには慌てて荷物をまとめる母、オロオロする十四歳の妹、エミリアと十歳の弟、クリフがいた。

「母さん荷物はいいから早く来て!」

 ミックは母の手を無理矢理取った。

「エミリア、クリフと一緒に北の洞窟まで走れ!」

 エミリアがカクカク頷いてクリフの手を握った。

 四人で家を出た。父は村の集会所にいるはずで、集会所は洞窟に向かう途中にあるから合流できるかもしれない。

 ミックたちは走った。

 振り向くと魔物の群れがのそのそとこちらに向かって近づいて来ている。足がそこまで速くなさそうなのが救いか。

 方々から悲鳴や叫び声が聞こえた。

 エミリアとクリフは半泣きで、母も顔面蒼白になっている。

 ここは自分がしっかりしないと!

「振り向くな! 全力で洞窟を目指せ!」

 背後で家が崩れていく音がする。土埃が霧のように背後から忍び寄ってきた。

 女性の断末魔の叫び声が耳を刺した。

 誰かが魔物にやられてしまったのかもしれない。この村には老人が多い。逃げ遅れた人もいるだろう。

 でも振り返ることは恐ろしくてできなかった。もしその瞬間を見てしまったら、きっと自分は正気じゃいられなくなる。

 恐怖を頭から振り払い、ただ前だけを見て走った。


 村の中央にある集会所に着く。そこでは父を含めた村の男たちが人々に避難を促していた。

 父がミックたちを見つけ、駆け寄って来る。

「みんな無事か!」

「うん。でも魔物がすぐそこまで来てる。父さんたちも早く洞窟に」

「分かってる。父さんもすぐに行くから、お前たちは先に行きなさい」

「分かった」

 ミックは母とエミリア、クリフの手を引いて再び走り、村を抜けて森に入り、何とか洞窟に辿り着いた。

 洞窟の外では既に魔物避けの魔力を含んだ香がいくつも焚かれていた。ピンク色の煙が漂うが、匂いは無い。

 洞窟の中に入る。中には既に大勢の人がいて、誰も彼も今にも死にそうなほど荒い息をしていた。

 それから程なくして父たちが入って来た。

「これで、避難できた全員だ」

 ミックは洞窟の中を見回した。やはり老人は少なかった。他にもここにいない人たちの顔が浮かんだ。みんな魔物にやられてしまったのか、それとも別の場所に運よく逃げ切れたのか。


 住人たちは息を整えながら父たちの方を見た。皆思うことは同じ。これからどうすればいいのだろう。

「確か魔物って、門がある限りずっと出て来るんだよな」

 ミックより年上の若い男の言葉に、父の横に立つ人が頷いた。

「と言うことは、俺たち、ずっとこのまま……?」

 誰かの言葉に、辺りの空気が一気に重くなる。

 ここにずっと居続けることはできない。食料や魔物避けの道具には限りがある。

 つまり、誰かが助けを呼びにいかなければならない。

 ここから助けを呼びに行くとなると、一番近いのは隣村。次がその向こうにある町になる。隣村まではそう遠くない。若い男の足なら全力で走ればすぐに着く。

 ミックは周りを見た。人々は目を伏せながら互いを見合っていた。

 考えていることは同じだろう。誰が魔物がいる危険な村を通り抜けて助けを呼びに行くのか。今いる村人たちの中で助けを呼びに行けそうなのはミックを含めた数人。でも彼らは指名されるのを恐れてか目を逸らしている。安全な場所から出たくないと思うのは当たり前のことだ。

 でも誰かは行かなければいけない。なら……。


 ミックは拳を握り締めて、

「俺が助けを呼んでくる」

 声を上げた。皆の視線がこっちに向けられる。

「ミック」

 父が何か言おうと口を開きかけたが、ミックは遮った。

「だって、この中じゃ一番足が速いのは俺だろう? 大丈夫。必ず助けを呼んでくる」

 父は一度口を噤み、

「なら父さんも行こう。一人より二人の方がいい」

 真っすぐな目を向けてくれた。それがとても頼もしかった。

 父さんは他の人たちを見た。

「すぐに助けを連れて戻って来る。それまで耐えてくれ」

「ありがとう。頼んだ」

 二人の目の前にいた男は父とミックの肩を叩いた。

「あなた、ミック」

 母は父とミックの手を取った。エミリアとクラフも心配そうな表情でこっちを見ている。

 母がぎゅっと手を握った。

「気を付けて」

「あぁ」

「分かった」

 魔物避けの香を少しだけ貰って袋に入れ、それを腰に下げる。

「行くぞ」

「うん」

 ミックは父と慎重に洞窟を出た。


「こっちから回ろう」

 隣村はこの村の南にある。

 村へ戻る道を小走りで行きながら父は別の小道を指差した。

「旧道だ。少し遠回りになるが、魔物はいないはずだ」

 半ば草に覆われている小道へ逸れていく。

 今のところ付近に魔物はいなかったが、いつ現れるか分からない。助けを呼びに行くと意気込んで手を上げたのは自分だが、心臓が今までにないくらい暴れていて、口の中はカラカラで、掌は汗でびっしょりと濡れていた。

「走るぞ」

「うん」

 走り出した父の背中を追う。

 山仕事で鍛えられた広くて逞しい父の背中がいつにも増して頼もしく思えた。


 すぐに視界が開けて崖道に出た。左手の下に村が見える。

 家がほとんど壊されていて、中には燃えている所もあり、その中を黒い魔物がうろついていた。生きている村人の姿は見えなかった。

「気を付けろよ」

「うん」

 走るのをやめ、ゆっくりと、でも急いで崖道を進む。

 道は右手が険しい岩壁で、左手は崖だった。下を覗くと木々の頭が見える。

 道自体は狭くない。下手に足を滑らせなければ大丈夫だ。

 順調に進んで崖道の真ん中辺りまで来た、その時だった。

 ふと下を見ると、木々の頭が大きく揺れているのが見えた。

 まさか。

「父さん!」

 前を見ると父も気付いていたようだ。

「走れ!」

 父が叫ぶ。二人は走り出した。


 木々がひと際大きく揺れたかと思うと、そこから四本足の獣の体に、頭として粘土を適当にこねて作ったようなよく分からない物体をくっつけた魔物が一体飛び出して岩壁にくっついた。魔物避けの香を持っているのにまるで効いていない。量が足りなかったのだろうか。魔物がガシガシと岩壁を掴んでこっちに向かってくる。

「この野郎! 『燃えろ!』」

 ミックは下に向けて火の魔法を撃った。最初よりは多少威力の上がった火に魔物の動きが止まる。

「父さん、今のうちに……」

 前を向くと、いつ間に現れたのか別の魔物が横から裂けるくらい口を大きく開けていた。

 その中に父が吸い込まれていく。その瞬間がやけに遅く見えた、

「父さん!」

 ミックは手を伸ばしたが、魔物はバクンと口を閉じてしまった。

 足元が滑った。見ると地面が崩れていた。

 ミックは声も出ないまま、真っ逆さまに落ちていった――


 ――真っ暗な世界。夢の中にいるようで、意識も体の感覚も何もかもが曖昧だった。

 そこに声が響いた。

「助かりたいか?」

 男性とも女性とも取れる声だった。

 頭の中はぼんやりとしていた。

 でもミックは覚えていた。

 父が魔物に食べられてしまった今、家族を、村の人たちを助けられるのは自分だけだ。

 約束を守らなければ。

「うん。みんなを、助けないと」

 ミックは答えた。

「その勇気を称えよう」――


 目を開ける。

 体を起こすと、ミックは崖の上にいた。

 いつの間に戻って来たのだろう。

「父さん!」

 周りを見て崖の下を覗くが、父も魔物もどこにもいなかった。

 もしや夢なのか。

 でも背後の崖道は大きく崩れていて、下に見える村の中にはまだ魔物がいた。

 夢じゃない。行かないと。

 父の死を悲しんでいる暇は無い。

 心の中に宿る熱いものに背中を押されるようにしてミックは立ち上がると走り出した。

 崖道を抜け、森の中を走る。

 体が飛べるのではないかと思うくらい軽かった。足を動かせば動かす程周りの景色が風のようにビュンビュンと通り過ぎていく。

 確かに村の中では足が速いが、こんなに速く走れただろうか。

 走っていると、ふと何かに呼ばれたような気がした。

 ミックはその何かに引っ張られるように道を逸れた。

 すると森を抜けたが、目の前にはひと際大きな魔物がいた。

 そして、その魔物と戦う人たちがいた。

  

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