第46話 森の中の舞踏会(1)

 ブルーベルは右手を軽やかに掲げる。

 ブルーベルは風の精霊に語りかける。


(風の精霊グイン)


 次にブルーベルは両手を重ね、水の精霊に語りかける。


(水の精霊イシュケ)


 そして大きく、天に向かって、ブルーベルは手を振り上げ、大きな弧を描いた。


「わぁあっ……」


 庭園の花々に、まるで雨のように、風に乗った水が降り注ぐ。

 太陽の光を受けて、中庭の上に、大きな虹がかかった。


 ブルーベルは次に、庭園の門に視線を移した。

 すうっと深く息をする。

 そして鋭く右手を振りかざした。


(火の精霊ダローグ)


 ぼう……っ! と音を立てて、門が炎に包まれる。


「すごい! すごいよ、ブルーベルちゃん!!」


 ブルーベルが手を下ろし、ありがとう、と心の中で呟くと、炎は一瞬にして消えた。

 中庭に降り注いでいた水も止まる。


 思わずミュシャが小躍りしながらブルーベルに抱きつくと、即座にユニコーンがミュシャの背中を遠慮なく、ドカ! と蹴りつけた。


「ユニコーンさん……」

「いったぁ……なんか、ひどくない!? 一応、ブルーベルちゃんの先生なんですけど!?」


 慌ててブルーベルはユニコーンをなだめ、ミュシャに謝る。


「ミュシャさん、本当にごめんなさい」

「い、いや、ブルーベルちゃんは悪くないんだけどね」


 ミュシャは慌てながら、もうユニコーンのことを怒れない。


 仕方なく、ブルーベルの見ていないところで、ユニコーンに、めっ! と怒ってみるのだが、ユニコーンが気にしている様子は全くなかった……。


「本当にバッチリだね! いや、本当、上達したなぁ」

「ありがとうございます!!」

「妙に使命感を持ってる護衛役のユニコーンもいるし、これでブルーベルちゃんも安心だね」


 そう言われて、ブルーベルは照れながらも、嬉しそうに笑うのだった。


 * * *


 騎士団での勤務を終えてアルヴァロが帰宅すると、老家令のローリンが、アルヴァロの書斎に来て、無言でコーヒーを出した。


「ん? ありがとう、ローリン」


 アルヴァロは礼を言ってコーヒーを飲み始めたが、ローリンはじ……っとアルヴァロを意味ありげに見つめている。


 アルヴァロはカップをソーサーに戻した。


「何か用か?」


 アルヴァロが声をかけると、ローリンは嬉しそうに何かを抱えてにじり寄って来た。


「若、これでございます」


 す……と無駄のない手つきでアルヴァロの机に置かれたのは、一冊の本。


『自由恋愛に戸惑う紳士諸君へ、意中の令嬢を結婚まで持ち込む15のマル秘テクニック!! 身分差は超えられる! 政略結婚はもう古い、時代は自由恋愛へと動いている』


 タイトルを見たアルヴァロの目が、無言で限界まで見開かれた。

 しかし、返した言葉は冷静だった。


「長いタイトルだな。ハウツーものか? 最近は、こんな本が流行っているのか?」

「若、これはビジネス書でございます」

「ぶふぉっ!!!」


 冷静の皮が剥がれ、アルヴァロはコーヒーを飲んでいなくてよかった、と心の底から思った。


「ビジネス書!? これが!?」

「さようでございます。デキる貴族男子は、よき配偶者に恵まれるもの。若もぜひご一読を」

「おい!?」


 しかし、ローリンはこれで用は済んだとばかりに、さっさと部屋を出て行ってしまった。


 アルヴァロはため息をついて、本をぱらりとめくった。


「仕方ない……あいつが私費で買ったのか確認せねば。私費だったら、経費にしてやらないといけない」


 アルヴァロはぶつぶつ言いながら、目次を確認する。


『序章:結婚までの道筋を確認せよ。貴殿は今、どこにいるのか? チャートで見る、”現在地”』


(む。……気になるかもしれない……)


 アルヴァロはパラパラと目次をめくった。


『すぐ使える、実践テクニック』


○夜会でのさりげない会話。

○昼間、”偶然”に再会せよ。

○カフェに誘う前に、書店へ行け!

○最大の山は、舞踏会にある。


〜コーヒーブレイク:読者からの質問〜過去にお付き合いした女性達との関係について。安全な清算の仕方を教えてください〜


○告白は舞踏会で行え。


「…………舞踏会?」


 アルヴァロは本をぱたん、と閉じた。


 その時、ドアをノックする音がして、若い家令、ビヨークが入ってきた。


「アルヴァロ様、お夕食の準備が整いましてございます。ブルーベル様もご到着です」

「わかった」


 ビヨークが壁に掛けられていたジャケットのほこりを、ぱっぱっと払う。


「ジャケットは、こちらをお召しになりますか?」

「ああ。ありがとう」


 手際良くビヨークが肩に掛けてくれたジャケットに腕を通しながら、アルヴァロは言った。


「明日は仕事前に兄上に会うことにした。いつもより早めに屋敷を出る」


 ビヨークはうなづいた。


「かしこまりました」


 アルヴァロは少し思案する。

 最近は、朝と夕食はできるだけブルーベルと一緒に食堂で取っていた。


「ブルーベルにも言わないといけないな。明日はブルーベル一人になるが……食堂で食べたいと言うなら、食堂に用意してやってくれ」


 アルヴァロがそう言うと、ビヨークは無表情な顔を少し、嬉しそうに緩ませた。


「かしこまりました」


 * * *


 翌朝、早朝に兄テオドールに連絡をしたアルヴァロは、例の本をこっそり抱えて、王城に向かった。


 テオドールから、それなら朝食を一緒に取ろう、という返事があったのである。


 テオドールは朝早いにもかかわらず、爽やかな表情で弟を迎えた。


「いらっしゃい、アル。母上から聞いたけど、なんと、ブルーベル姫、ユニコーンに守護されているんだって? 魔法の才能もすごいと聞いたし、すごいな、君にぴったりの奥さんじゃないか、私は本当に先見の明があるな!」


 アルヴァロはふう、とため息をつくと、ローリンから渡された例の本を、す……っとダイニングテーブルに置いた。


『自由恋愛に戸惑う紳士諸君へ、意中の令嬢を結婚まで持ち込む15のマル秘テクニック!! 身分差は超えられる! 政略結婚はもう古い、時代は自由恋愛へと動いている』


 テオドールが首を傾げる。


「長いタイトルだね。ハウツーものなの? 最近は、こんな本が流行っているのかな?」

「兄上、これはビジネス書です」

「えええっ!?」


 アルヴァロは、どこかで聞いたようなやりとりだな、と思いつつ、テオドールに本を渡した。


 テオドールは礼儀正しく、受け取った本をパラパラとめくってはいたものの、困惑しているのは明らかだった。


「……アル、そんなに悩んでいるのかい?」


 テオドールは、眉を下げて、弟を見つめる。


「なんだか、罪悪感を感じるよ。この縁談に、君の意志を確認しなかったからね。ねえ、アル。君は一人前の立派な男性だよ。そのまま、ブルーベル姫に向き合えばいい。うん、まあ、私の手助けが必要というなら、お手伝いをするのはやぶさかではないが」


 テオドールは、そう言うと、カリカリと頬をかいた。


「ブルーベル姫のことが、好きなんだね、そうだろう?」

「舞踏会を」

「ん?」

「兄上、舞踏会を開いてください」


 テオドールはまじまじとアルヴァロを見つめた。


「舞踏会?」


 テオドールは手元の本に目を落とした。


『最大の山は、舞踏会にある。告白は舞踏会で行え』


「アル、…………ブルーベル姫に、舞踏会で求婚したいの?」


 アルヴァロは、無表情のまま、じっ……とテオドールを見つめている。

 そして、無言でこくこくとうなづいたのだった。

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