第5話 第四王女ブルーベル(1)
「ただいま」
ドアを開けて、そっとブルーベルは中に入ると、誰にともなく声をかけた。
もちろん、返ってくる声はない。
こじんまりとした小さな、二階建ての四角い建物である。
玄関を入ってすぐ、階段室があり、二階にあるブルーベルの寝室に続いている。
一階の階段室の裏側には、台所と浴室があった。
建物の中は、古いが、生活に必要な場所は、掃除が行き届いていた。
寝室、居間、台所、浴室。それに普段行き来する廊下。
ブルーベルはその他の部分は、閉め切って使っている。
一人で暮らすには広すぎるし、自分で掃除して、維持するのも大変だからだ。
それにこの離宮を訪れる者はいない。
(ここで暮らし始めたのは、いつからだったかしら)
ブルーベルは考える。
(確か、お母様がまだ生きていらして、病気になってしまった頃。わたしが……七歳くらいの時だったわ)
感染が心配だ、という理由で、病身の母は宮殿を追われ、わずかな侍女と身の回りの世話をする召使いだけを付けて、この離宮に移された。
ブルーベルは当初、乳母や侍女とともに、宮殿で暮らしていた。
しかし、母が闘病むなしく死去すると、ブルーベルもまた、宮殿から離宮へと移されたのだった。
さすがに、まだ子どもだったブルーベルは、ここには自分しかいない、と考えると、少し怖い気持ちがあった。
しかし、一人で離宮の中を歩き回り、建物の様子がわかってくると、気持ちは楽になっていった。
(ずっと人の目を気にしたり、棘のある言葉にびくびくするよりは、いっそ一人の方が気持ちは楽かもしれない)
台所や浴室のある一階は、大理石が床に張られていたが、寝室のある二階は、古くなり、黒く艶が光る、木材が張られていた。
今まで一度も訪れたことはないけれど、物語に出てくる農家のようだ。
そう思ったら、ブルーベルはこの離宮が気に入った。
ブルーベルの身の回りの世話をする召使いがいないとはいえ、全く無視されているわけでもなく、ブルーベルが朝になって台所に降りていくと、一日に一回、そこにはいつの間にか誰かが運んできたらしい、食事が置かれていた。
パンに果物が少し。大抵は小さな蓋つきの鍋に入ったスープなどが用意されていて、時には、チーズが紙に包まれて置かれていることもあった。
もちろん、宮殿のダイニングルームに用意される食事には遠く及ばない。
おそらく、使用人用の食事と思われた。
しかし、ブルーベルはいつも用意された食事をありがたく思い、夕食には、朝の残りのスープを温めて食べるのだった。
衣類やリネン類は、母が遺したものがある。その中から使えそうなものを見繕って、使っていた。
宮殿での、父王との謁見を終え、人気のない離宮の階段を上がる、ブルーベルの履き慣れないハイヒールの靴音がコツコツ、と響く。
二階に着いて、廊下の突き当たりが、ブルーベルの使っている寝室だ。
鍵もかかっていない部屋は、ドアノブを回せば、そのまま開く。
「ふう……」
部屋に入ると、ブルーベルは着ていたクリーム色のドレスを脱ぎ、クローゼット前に掛けた。
少し大きめのドレスは、ブルーベル一人でもするりと脱ぐことができた。
続いてコルセットも背中に手を回して、器用に紐を緩めていく。
ほっそりとしているブルーベルは、それほどコルセットを絞める必要がない。
コルセットを脱ぎ、ハイヒールもフラットな室内ばきに履き替え、ほっと息を吐いた。
久しぶりの宮殿。
父である国王陛下、そして姉達と会ったのも久しぶりのことだった。
血のつながる家族とはいえ、普段彼らと離れて暮らしているブルーベルにとっては、緊張する時間に違いなかった。
小さなドレッサーの上に置かれていた箱を開けて、外した真珠のイヤリングを置く。
そして、真珠のネックレスはトゥリパに貸したことを思い出した。
ブルーベルが母から受け継いだアクセサリーは多くない。
ブルーベルは十七歳。
ドゥセテラ王家では、十八歳の成人の際に、父王から宝飾品一式を贈られる。
しかし、未成年であるブルーベルは、まだ何も贈られていなかった。
真珠のネックレスとイヤリングのセット。
そして月の光のような、ムーンストーンのネックレス。
それだけが、ブルーベルの宝物だ。
「そうだ、お茶でも飲みましょう」
ブルーベルは普段着にしている、古いワンピースに着替えると、軽々とした様子で、階下に降りて行った。
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