13、

 入学初日に生徒を殴ってしまったものだから、遠くから猛獣を見るような世知辛い視線に囲まれて学校生活がスタートした。


 一通りの授業を受けてみた結果、分かってはいたけれど子ども向けの内容ばかりだった。受けていてもあくびしか出てこない。

 ただ、「戦略・戦術」と「狩技」の授業は楽しかった。


 集団戦術に特化したバナヘイムと、騎士一人一人の力を生かそうとする帝国の戦術は全く違うので、比較すると新たな発見があった。


 もうひとつの「狩技」も予想以上にハマった。

 狩猟の一種である鷹狩りは、貴族の中でも人気の道楽だ。


 トレーナーが連れてきた鷹を見た生徒は「おおーっ」と声を上げる。

 長く鋭い爪と、鉤状のくちばし。そして爛々と輝く黄色い目。

 かわいい。


 何物をも見逃さない鋭い眼差しがどこかの誰かを連想させた。


 おおむね順風満帆にスタートしたように思えた学校生活だったけれど、当然全てがうまくいくはずがない。


 私を悩ませた科目。それは閨房けいぼう学。

 つまりは男女の営みの授業である。


 「うっひ……」


 教科書をめくると生々しい挿絵と説明が視界に飛び込んできた。


「貴族にとって血筋を絶やさないことが最重要と言っても過言ではありません。夫を支えるのも女性の大切な役目ですが、何よりも子を成すことが求められます」


 うう……顔が熱い。

 正直、こういうのは慣れてない。


 教室を眺めてみると、みんな真剣に聞いている。


 ここで授業を受けている生徒たちは爵位の高い貴族と結婚するためにここにいる。

 貴族の女性が生きていくためにはそうするしか道がないし、それ以外の道は教えられない。


 そう考えるとちょっと複雑よね。


 ………世継ぎ、か。


 貴族の頂点である皇帝にとっても大切な仕事になるんでしょうね。


 彼はどんな女性と結婚するんだろう。

 馬鹿が嫌いだから、彼が満足しそうな女性はそうそういないと思うけど……。


 でも、皇帝はこの国のトップなんだからどんな女性でも選び放題なわけで、すっごく綺麗な人やその……閨房のあれそれが上手な人ならいいと思うのかもしれない。


「なんだろう。なんかすごくイラっとする」


 別に今の彼を縛り付けるつもりはない。すでに決まった相手がいるならその人と幸せになってくれればいいと思っている。思って……いる。


 ただ、論文出版だけは手伝ってもらわないと困るけど。


 ……………。


 もし私があの日殺されなかったら、夜に彼とデートして、それで。


「キス、とか?」


 も、もう婚約だってしてるわけだから、その後、彼のへ……


「うっうわわわわわわわわ」


 脳が熱くなりすぎて私は机に突っ伏した。


 無理無理無理。

 私みたいな純情な女の子がこんなやらしいこと考えるなんて無理に決まってる。


 などともやもやしている間に、閨房学の先生がとんでもないことを口にした。


「閨房でのふるまいをしっかりと身に着けた淑女は、殿方からの寵愛を受けることができます。今度の公爵邸で行われる舞踏会では多くの殿方が訪れるそうですから、それまでにしっかりと学んでおきましょう」


 ―――おん?


 舞踏会?

 初耳なんですけどそれは何!?


 授業を終えて教室を出ると、校長先生が鼻歌まじりで庭の花に水をあげていた。

 即座に突撃して舞踏会のことを聞くと、


 「そういえばフリッカさんには伝えるのを忘れていたわね」と早々に真相を明らかにされた。


 忘れないでよ。


「三カ月後にテューリンゲン公爵邸で舞踏会が開かれるんですよ。公爵はこの学校にも寄付をしてくださっていて、生徒の実地授業も兼ねて舞踏会にお招き頂いているの。毎年、そこで見染められて結婚する方が多くいらっしゃるんです」


 おいおいおい、それは結構大事な話じゃないか?

 どうして忘れたの?


 話しているうちに楽しくなったらしく、校長先生はステップを踏みながら舞踏会の様子を説明し始めた。


「公爵様や大公様といった高貴な方もいらっしゃいますし、将来の旦那様に会える舞踏会としてみなさんとっても楽しみにしてくれているんです」


「へえ、そうなんですね」


「テューリンゲン公爵邸には帝国一と呼ばれる薔薇の庭園があって見事なんです! フリッカさんもきっと感動しますよ」


「わー楽しみ」


「それに、もしかしたら皇帝にもお目通りが叶うかもしれません」


「ふーん陛下が…………………えっ!!」


 ほんわか校長がほんわかしながらさらに衝撃的な情報を提供してきた。


 ゲオルグが舞踏会に来るの!?


「先帝は毎年いらっしゃってましたが、今上帝はあまりお顔を出さないそうなのでまだお目にかかったことがありません。でも、もしかしたら今年は来てくれるんじゃないかって楽しみにしています」


 ゲオルグは自分に益があるかどうかで取捨選択するタイプだから、歌や踊りに興味を示すことはなさそうだ。

 でも、有力貴族との付き合いは皇帝である彼にとっても無価値とは言えない。


 よーし、一縷いちるの望みにかけようぞ。


「それぞれのご実家で薔薇園に映えるドレスを仕立ててこられるので、みなさんの素敵なドレス姿を見るとつくづく教師をやっていてよかったと……」

「へえへえ……ん、ドレス? 仕立てる?」


 やっかいな言葉を聞いた。


「……もしかしてドレスって自分で用意するんですか?」

「ええ。当初は学校で用意していたんですけど、みなさんがご自身で用意したいと言うので近年はそうしてもらっています」


 私はその場に崩れ落ちた。


「フリッカさん? 大丈夫ですか」と校長ののほほん声が聞こえてくるが無視する。


 みなさんのご家庭はドレス一着仕立てるくらい造作もないんでしょうけど!

 うちは弱小子爵家なんです!


 公爵邸で着ても恥ずかしくないドレスって一体いくらかかるんだろう。


 寄宿学校への入学費用も出してもらった手前、両親にもドレスを仕立ててほしいなんて言えない。


 まさかこんなかたちで試練が訪れるとは思わなかった。

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