第二話 結界なんて無かったようです①

「結界なんて張られているんですね」

「もちろんですよ。だから弱い魔物などは王都の中に入ってこれないのです」


 そう訊ねた理由はいたって簡単だ。王都は高い城壁によって守られていて、結界など必要ないと考えるのが普通だからだ。


「もしかして、城壁でも防げない魔王とかを防ぐためのものですか?」

「冗談はよしてください。魔王なんて襲ってきたら結界なんて一瞬で壊されますよ。まあ、魔王が襲ってくるなんてことは、よほど運が悪くない限りありませんから」


 よほど運が悪くない限り……? それはよほど運が悪かったら襲ってくるということを意味しているのでは、と思ったが、言ったら本当に来そうなので黙っていることにした。


「というか、城壁あるんだし、結界いらなくないですか? どうせ城壁で防げない魔物は結界でも防げないんですよね」

「バカなことを言わないでください。確かに結界は完璧ではありません。しかし、城壁の修理にはお金がかかるんです。結界があれば、その分の費用が浮くということです」


 二言目にはお金のことを言ってくるロベルトは、実は金の亡者なんじゃないかな、なんて思っていたら、こっちをジロリと睨んできた。その威圧感に思わず気圧されてしまう。


「言っておきますけど、俺は金の亡者じゃありませんからね。大司教である俺は教会の維持も大事な仕事なんです。たくさんのお金が必要なんですよ」

「な、なるほど……」

「まあ、その話は置いておいて、さっそく結界を修復しに行きましょう。と、その前に、正式に聖女に就任されたユーリ様には、専属の神官をお付けします。まあ、侍女みたいなものと思っていただければ良いかと」


 彼の言葉を受けて、赤毛の神官服を着た女性が前に進み出てくる。かなり緊張しているようで、手足が震えていた。


「は、はじめまして。私、この度、聖女様の侍女、じゃなかった、専属の神官となりました。ミーナと申しマッシュ……」


 本当に大丈夫なのか? という意思表示として、ロベルトをジト目で睨んでみたが、彼は涼しい顔をしながら紹介を続ける。


「彼女は、多少、ドジなところがあって失敗することも多いかと思いますが、こう見えて優秀な神官ですよ。それに非常にマジメです。ユーリ様にピッタリの人選だと思います」


 途中からフォローするような言い回しになっていたが、具体的なことは何もなかった。結局のところ、最初の『ドジ』という部分をまったくフォローしきれていない。その悪意しか感じない説明に腹黒メガネの腹黒たる所以をひしひしと感じる。そんな悪意に左右されるほどロベルトの言葉を信用するなどと、僕を侮りすぎではないだろうか。


「そうですか。それでは、よろしくお願いしますね。ミーナさん」

「はっ、はい、よろしくお願いします」


 あっさりと快く受け入れたことで、彼女の緊張がだいぶ和らいだようだ。そのお陰で、特に噛むことも無く挨拶をしながら、固く握手を交わした。


「それでは、ユーリ様、ミーナさん。結界修復の儀式の法衣に着替えていただきます。俺は外で待っていますので、終わりましたら声を掛けてください」


 そう言って、優雅にお辞儀をすると部屋の外へと出ていった。


 その後、ミーナは一生懸命に僕に法衣を着せていく。最初は不安だったが、彼が優秀だと言うだけあって、テキパキと準備を整えていく。それでも時間がかかっているのは、着るものが多すぎるからだった。


「これ、あと何枚着ればいいんですか?」

「えーと、あと二十枚ほどですね」

「……」


 既に、僕の身体には十枚以上の法衣を着せられている。この時点でかなり暑苦しいし、帯やら紐やらで縛っているため、拘束衣を着せられているような状態だ。これに加えて、倍以上着込まなきゃいけないって言うのは、正直おかしいんじゃないかと思ったので、彼女にさりげなく聞いてみることにした。


「こんなに着なきゃいけないなんて、そんなに結界修復の儀式って大変なんでしょうか?」

「すみません、儀式に立ち会ったことは無いので分からないのですが……。数十年に一度の話ですので、文献で残っているだけなんですよね」


 そう言って、僕の目の前にどさっという音を立てて、その文献が置かれた。


「これは見ても良いんですか?」

「はい、外には持ち出せませんが、聖女様は見ていただいても構わないはずです」


 僕は文献となる資料を一つ一つ見ていくことにした。そこには確かに、結界修復の儀式に相応しいと言われる色々な法衣が描かれていた。しかし、同時に大きな疑問も抱くことになった。


「これって……。もしかして、全部時代が違っていたりしませんか?」

「はい、よくご存知ですね。何世代にもわたって、新しい資料が追加されてきているんですよ」

「……」


 お分かり頂けただろうか……。これらの法衣は全て時代が違うのである。要するに、ここに描かれた法衣は時代ごとの流行に沿った形のものである。簡単に言えば、十二単の上に狩衣を着て、甲冑をさらに着込んで、その上から振袖を着た挙句に、スーツを着るようなものだ。


「これって全部着ないといけないんですかね……」

「そうらしいですよ。高名な神学者の方が文献を読み漁って、結界修復の儀式にあたっては、どれも着るのが正しいと言うことになって、全部着ておけば問題無いだろう、ということで落ち着いたみたいです」


 落ち着いたみたいです、じゃないだろう。落ち着かせちゃいけない所に着地点を持っていった彼らは本当に学者なのだろうか。もっとも、彼女に言っても意味が無いのは分かっているので、儀式が終わったら徹底的にロベルトを追及しようと心に決めた。まったく……、大司教なんて肩書だけは偉そうなのに、まったく困ったヤツだ。


 そんなこともあったが、何とか法衣を無事に着込むことができた僕だったが、ここで新たな問題が浮上した。


「う、動けないんだけど……」


 足をプルプルさせながら立つのがやっとだった。一枚あたり五百グラムほどだったとしても、十五キロはあるのだから当然だった。それでも手足が動かせるだけマシというところだろう。


「いかがですか、教会の歴史と伝統の重みは、緊張で足が震えているではありませんか」

「これは服の重みですけどね。というか、動けないので何とかしてください」

「やれやれ、手がかかる聖女様ですね」


 暢気なことを言いながら部屋に入ってきたロベルトを睨みつける。しかし、動けないことにはどうしようもなく、彼に助けを求める。すると、彼はどこからか台車を持ってきた。


「かつては聖女様一人で結界修復の儀式をこなしてきたらしいのですけども……。最近の聖女様は軟弱でいけませんね。前の聖女様も教会の歴史と伝統の重さに耐えかねて、こうして私が送って差し上げたんですよ」

「いやいや、それ絶対に服が重くて耐えられなかっただけですよね?」

「そんなことはありませんよ。聖女様が自ら、そう仰っておりましたからね」


 どうせ前の聖女も「教会の歴史と伝統の(無駄に積み重なった服の)重さに耐えきれないです」と言ったのだろう。それを都合よく解釈するところが腹黒メガネの本領発揮と言える。彼は僕を手際よく台車に乗せると、儀式場に行くために台車を押す。


「えーと、ここから地下に入ったところに結界の宝珠がありますので、そこまで参ります」


 台車を押しながら、地下への階段へとやってきた。そこには階段だけでなく、儀式に臨む聖女を運ぶためのレール付のスロープまで用意されていた。ロベルトとミーナの二人がかりで台車をスロープのレールの上に移動させると、そのままスロープに向かって押してきた。


「危険ですから、しっかりと手すりにつかまっていてくださいね」

「ちょ、ちょっとまっ、きゃああああああぁぁぁぁぁ!」


 笑顔でスロープに台車を送る彼の手を離れて、ものすごい勢いで台車が加速していった。そして、僕の悲鳴を置き去りにしながら、猛スピードでスロープを下って廊下を走っていく。徐々に廊下を走りながら減速していき、ちょうどレールの終点の辺りで停止した。彼によって、僕の心臓はずっとドキドキしっぱなしだ。もちろん、これは恋なんてものでは断じてない。


「聖女様。お疲れさまでした。あともう少しですので押していきますね」


 しばらくして、ロベルトとミーナが台車に追いつくと、再び儀式場に向けて押し始めた。そうして廊下を進むことしばし、荘厳な扉の前にやってきた。

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