普通になりたい

結城 絵奈

私ね、高校の頃は今とキャラ違ったんだよ

 自分はどこかおかしい。普通になりたい。そう考えたことはあるだろうか。

 そもそも普通とは一体何だろう。それは、一般的に好ましいとされるものを周囲と同じように好むことや常識に従うこと、そして時にはその普遍的な見解に従わない者を排除すること──の総称である。





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 遅刻遅刻地獄〜!!


 私をかすようにチャイムがごんごん鳴り響いている。

 走れども、鐘が鳴るなり、我が学び舎。

 全速力で教室目指して階段を駆け上がる。

 額に滝のように流れているべったりした汗を左手で拭う。暑さで感覚がマヒりそうだが、それでも走る走る走る。

 外から聞こえるセミのジージー大合唱は周囲の気温を五度くらい上げているように思えてならない。全く梅雨明け前とは思えない日だ。

 ゴールは目前だ! と安心感に浸る間もなくチャイムは鳴り終わってしまった。でもあと少し。まぁまだ余韻が聞こえるから大丈夫だろ、というこのタイミングでゴールイン!



 なんとか間に合った。間に合ってはいないけど。教室の戸を開けると、頑張った私をねぎらうかのようにエアコンの冷気が歓迎してくれた。



 目に飛び込んだのは、席に座ったクラスメイト全員が振り返って私を見ている光景だった。静寂に包まれた教室は時間が止まったようだ。

 急にここで味わった辛酸を思い出したせいか、息が詰まりそうだ。

 いま私が背負っている黒いリュック、みんなの持っているオシャレなスクールバッグと違うからきっとダサいと思われている。走ってきたから髪がボサボサな私はダサいと思われているに違いない。

 そんな思考を振り切るように大きく息を吸い込み、叫ぶ。


「ふぅー間に合った〜。遅刻しないで良かった〜」


「チャイム、鳴り終わってるぞ」

担任の合いの手。クラスの皆もさっきまでの静けさが嘘のように顔を綻ばせて笑っている。

「いやいや、まだ鳴ってますって! 私には聞こえますよぉ〜」

「はいはい遅刻な」

「そ、そんなぁ〜!」

クラス中が笑いに包まれる。


 私はこのあたたかい教室が、こういう時間が何よりも好きだ。私の言葉でみんなが楽しそうに笑ってくれるのを見るのが何より嬉しい。こんな楽しい時間に出会えると、最近ずっと感じている痛みなんてどうでもよくなってしまう。





 ꙳⋆





 起立号令おはようございますを終え、担任が朝のホームルームを始める。

 私は頬杖をついて担任の話など全く聞いていませんというフリをしてみる。


「えー、欠席はいないね。えー、最近校内で歩きスマホをしている人が多く見受けられます。夏休みが近いからって浮つかず、気を引き締めてきちんと高校生らしい行動をするように。あとは、えー、もうすぐ夏休みか。高校生の今にしかできないことがあると思います。たくさんのことに挑戦して高校生らしい夏休みを……」


 高校生らしく。嫌な言葉だな、とつくづく思う。


 だいたいこの世界というのは何かと高校生を特別視しすぎていると思うのだ。

 放送されているアニメはほぼ例外なく主人公が高校生だし、ネットには高校生限定のナントカとかいう言葉が飛び交っている。

 高校生というのはただの年齢区分であるのに、どうして他の世代とは違う特別な生き物として扱われてしまうのだろう。それが気に食わない私はやはりおかしいのだろうか。高校生らしくないのだろうか。



 長ったらしい担任の話を右耳から左耳に流しそうめんしながら、周囲のクラスメイトたちを眺め回す。


 周りの皆を見ていると、これが正しい高校生なのかなと思えてくる。

 勉強も部活もバイトも一生懸命がんばって、友達と遊んだりライブ行ったり好きなことしてキラキラした毎日を送る。それが大人たちにはとにかく自由で楽しそうに見えるらしい。     


 でもそこには破ってはいけないルール、暗黙の了解というものが隠れている。従わなければすぐにつまみ出される。

 要は例えば、勉強ばかりしているクソ真面目とか、極端に空気を読めないアホだとか、なんか独特のオーラ出てる変人とか、そういう皆と違うことをしている普通じゃないやつは弾き出されるというわけだ。

 決して意地悪されたりするわけではないが、彼らは周囲との齟齬そごに確実に苦しむことになるのである。


 かくいう私も、その一員であると最近思うようになった。



 疲れてきたので頬杖をつく手をチェンジして、クラスの皆をざあっと観察してみる。

 みんなみんな、校則なんか無視して髪を染めてメイクを楽しみ、制服のスカートを折って短くし、肩にかけるタイプの市販のスクバにストラップをジャラジャラつけている。

 普通の女子高生ならメイクに興味を持ち、JKであることに誇りを持つことが正しいのだ。


 クーラーの冷気ですっかり冷たくなった手を顔から離し、ため息ひとつ。

 

 そう、それらを一つも満たしていない私は、正しくない高校生なのだ。





 ˖ ࣪⊹





 朝のホームルームを終えて自由の身になった私はトイレに直行する。

 もちろん学校まで走ってきたせいで崩れた髪を結び直すため。


 複数並んだ洗面台と鏡の周辺には鼻をつくような化粧セットの甘い匂いが充満している。

 また化粧している人がいるな、と思いながらそこを通りすぎて個室へ向かう。


 わざわざ個室になんて行かず、鏡の前で髪を整えればいいと思うだろうか。

 しかし他の人達みたいに洗面台のスペースを陣取って鏡越しに自分を見ることが私には耐えられないのだ。


 鏡の向こうの私はいつだって、「よくこんな地味で恥ずかしい格好していられるね?」と私を嘲笑ってくる。悔しいけれど確かに私は鏡の言うとおり、一つに縛っているだけの髪を染めても巻いてもいないし、化粧もいっさいしていない。


 鏡の前でメイクしてる子やドライヤーなんか持ってきて髪巻いてる子に挟まれて、そんな自分を見ていられるはずなどないであろう。




 個室を出て洗面台で下を向いて手を洗っていたら、隣に同じクラスの親友であるみね子がやって来た。

 みね子の姿を見た途端、なぜだか安心感がどわっと抜け出てきた。何を話そうか頭の中をカラフルが飛び回るけれど、まずは今朝のことを謝らないと。


「おはよーきらら」

「おはよ。なぁみね子、今朝一緒に学校行けなくてゴメン。ちょっと寝坊しちゃってさ」

「いーよ全然。そんな申し訳なさそうな顔しないでよ。明日また一緒に行こ。きららが遅刻しないように見張っといてやるから」

「おい……っ」

みね子と私はケラケラ笑い合った。やっぱりみね子と話していると楽しいし落ち着く。




 手を洗い終わったらしいみね子は制服のポケットから何やら取り出し始めた。「何それ?」と軽い気持ちで尋ねた私は実に浅はかであった。

「ん、これ? ファンデーションだよ。きららも塗ってみる?」

少しからかうような表情をしてみせるみね子。

「い、いや……」

私の表情は固まる。あはは、と小さく笑うとみね子は洗面台の大きな鏡に前のめりになって作業を始めた。


 みね子から目線をずらし、ポケットからハンカチを取り出しながら考える。


 みね子と私はずっと仲が良かった。二人で話しているとみね子はそりゃあ愉快そうに笑ってくれるし、私も楽しくて仕方なかった。私たちはものすごく気が合うし、身長も成績も同じくらいだし、私たち二人にしか通じないノリみたいなものだってあるし、とにかくみね子は腹蔵ない対等な友達だと思っていた。

 しかし近頃、そうは思えなくなってきた。

 周りの皆と同じように服とかメイクに興味があるみね子とそうでない私は、決定的に違うんだということに気づいてしまったから。


 目の端にみね子の短いスカートが見える。コスメ独特のあの甘ったるい匂いがもわもわ広がっていく。


 こんな時はいつも、友達だと思っていた人が急に化け物になったかのような戦慄に陥る。

 近くにいたはずの人が、急に手の届かない遠い場所へ行ってしまったかのような、私一人だけが置いていかれたような。

 裏切られたみたいに感じてしまう、悲しさとか羞恥とか嫌悪とか色んなものがぐちゃぐちゃになってしまう、そして何もかもわからなくなる。


 っていうか何なんだファンデーションって。まぶたを塗りたくるあれのことか?

 などと考えながらノロノロとハンカチで手を拭く私。





 ꙳·˖





 トイレから出てみね子と共に教室へ向かう。

 きれいにメイクしたみね子と廊下を歩いていると、いたたまれない気持ちがしてとにかく居心地が悪い。朝特有の気怠けだるさと蒸し暑さも相まって気分は最悪だ。すれ違う同級生や先生たちも心なしかどんよりして見える。


「ねぇきらら、一時間目なんだっけ?」

「英語じゃね?」

「そっか〜。何の内職しよっかな〜」

「私は寝るわ」

そう言うとみね子がくすっと笑ったが、会話の内容は全然頭に入ってこない。


「まだ一時間目まで時間あるし、まりなんとこ話しかけに行こうよ」

「おう」

 まりなも私と同じクラスの友達だ。話しやすくておもしろいけれど時々思いやりの欠如が垣間見える、そんな子だ。


 みね子より半歩遅れて私は冷房の効いた教室に足を踏み入れた。




 ざわざわした教室の中で、みね子と私はまりなの席を囲むようにして立った。座っているまりなはなんだかフリフリしたでかい布を身に纏っている。マフラーだろうか。きっと冷房が効きすぎて寒いんだな。


「おはよ、まりな。そのマフラーかわいいね」

「やだきらら、これマフラーじゃなくてカーディガンだよ」

笑われてしまった。カーディガンにしては大きすぎて袖やボタンが見当たらないのだが。


「そのカーディガン、メイソン・デ・フレークのだよね。超かわいい」

とすかさずみね子。

「おー、そうそう! 私このブランド好きなんだよねー」

「やっぱり? なんかまりなっぽいよね〜」


 何それ。有名なの?

 二人がブランドやなんかの話で盛り上がると、また小さなチクチクが私をつつく。


 ブランドはおろか、それがカーディガンだとすらわからなかった私はカヤの外だ。これでは話が通じない奴どころかただのアホ認定されてしまう。

 変に口を挟むわけにもいかないし、この話題が終わるまで黙って大人しくするほかない。


「つか教室寒くない?」

みね子の一言で、やっと話の風向きが変わったのだとわかる。


「ホント寒い! カーディガン羽織ってても鳥肌立っちゃう」

そう言ってまりなも寒そうに両腕をさする。


「また先生がエアコンの温度下げたんだろ。自分が暑がりだからってさすがに下げすぎだっつの。もーちょっと私らのことも考えてほしいよね」

私がそう言うと、二人ともそれな! と笑ってくれた。その様子を見て必要以上に安心してしまう。大丈夫、やっぱり私はカヤの中だと。





 ⟡.·





「次はまりなの家!」

「おっけー、ちょっと待ってね。……ほい」

「キタキタキタキター!」

「家でかくね?!」

「お庭あるんだ!!」


 学校生活のダイゴミは何と言っても友達と過ごす休み時間。


 私は友達三人と一緒にみね子の席に押しかけて、五人で学校貸与のタブレットを覗き込んでいる。

 突如始まった、検索エンジンの地図機能で五人それぞれの家に行くという謎の遊び。

 高校に入ってから友達の家に遊びに行くこともなかったからか、3D地図で検索して各家の外見や周りの風景を眺めるだけであるというのに大盛り上がりだ。



 思いっきり大声を出して、思いっきり派手に笑うのは何よりも心地いい。

 私たちの笑い声は重なり合って教室を埋め尽くす。

 他のクラスメイト達も、教室の真ん中で騒ぐ私たちをにこにこ眺めている。


 楽しくてうわずった気持ちが羽を生やして辺りをひよひよ飛んでいる。

 この楽しさ以外は何もいらない。余計なもの全てが形をなくしてずぶずぶ教室の壁に溶け込んでいく。


「3D地図って家ん中まで入れないの? おりゃっ! だめか」

「不法侵入しないでよぉー」

「友達の家に遊びに来ただけですぅー」


 だはははは! 喉が痛くなるほど笑って、腹がよじれるほど笑って、五人ともまともに話せなくなった。笑いすぎたせいで呼吸が乱れるこの感覚もたまらなく好きだ。



 勢いもしぼみみんなの呼吸も戻ったところで、みね子がタブレットをパタンと閉じながら提案した。

「ねぇ、次の日曜日、みんなでどっか遊びに行かない?」

それは楽しそう! 私たちの会話はまた弾む。





 ⸝꙳.‎˖





 日曜日。

 今日はみね子、まりな、れんな、あゆと五人でショッピングモールに遊びに行く約束をしている。


 日曜日を照らす太陽は現地集合の厳しさを私に焼きつける。腕時計を確認すると集合時間をもう五分も過ぎてしまっていた。大急ぎでモールショッピングモール目指してダッシュする。

 暑い。

 セミ、うるせぇ。


 ぜぇぜぇ言いながら冷房の効いたモールに飛び込み、ベッタリ汗の気持ち悪さを背負って人混みの中を駆け抜ける。


 なんとか到着した集合場所にはすでに四人とも揃っていた。


「待たせてごめん……ホント……ゴメン……待たせ……」

暑い中全速力で走って来てエネルギー切れな私にはそう言うのが精一杯であった。

「待ってないから。全然大丈夫だよん」

柔らかくそう言ってくれるみね子が神様のように見える。


 女神の微笑みとモールの冷気で早くも回復した私は、視界に映った四人をしっかり見てゾッとした。

 明るく染めた髪。くるくる巻いた髪。垢抜けた服装。やたらキラキラした匂い。人形みたいに塗り固めた顔面。

 対して私の一つに縛っただけの髪や流行遅れのTシャツ姿を思うと、全身の力がぬるぬる抜け落ちてしまいそうだ。

 乾き始めていたはずの汗が再びねっとりと私を覆う。顔もほてって全身が焼けるように熱い。心臓がドクドクと波打つ。


「きらら〜また遅刻? きららが一番家近いくせに遅れて来るとかないわー」

まりなが悪びれなくニコニコ笑いながら言った。笑った拍子にその真っ赤でつやのある唇に踏み潰された心地がした。

「ちょっと、まりな言い方──」

「さ、みんな揃ったし行こ行こー」

みね子の言葉をかき消してまりなが歩き出した。他のみんなも私もまりなに続いていった。





 ⟡₊ ⊹





 雑貨店、レストラン、宝石店、三百円均一ショップ、なんかの保険会社、カフェ、本屋、靴屋。

 モールに設置された様々な店の横を次々通り過ぎていく。

 私の気分とは裏腹に、モールには明るいサウンドのJ-POPが流れている。


 みね子とまりな、その後ろにれんなとあゆが並んで歩いている。私はその一列目と二列目の間に挟まるようなビミョウな形で歩いているという状況だ。


 みね子とまりな、れんなとあゆはそれぞれ楽しそうに話している。

 二対二対一となりぼっち化した私は、半歩前を歩くみね子をそっと覗き込む。


 肩の線がずるりと落ちた純白のカーディガンがよく似合っている。唇は目元と同じく薄紅色に染まっている。いとはづかしげなり。笑うたびに毛先のくるくるした茶髪のポニーテールがぽわんと揺れる。

 急にみね子が大人みたいに見えてきて、なんだか嫌な心地がしたので目をそらした。


 みね子とまりなの会話は嫌でも耳に飛び込んでくる。

「デオンのリップ、色キレイだから好きなんだよね」

「わかる! みね子も使ってたんだ〜。めっちゃいいよねー」

「うん! リキッド一本欲しいんだけど、今日買ってこっかな」

 まりなとメイクの話で盛り上がるみね子はとても輝いていて楽しそうで、それがなぜだか私の心を酷く締めつける。


 みね子は私にとって、どんなことでも話せてしまう友達だった。そしてみね子も私のことを同じように思ってくれているとどこかで信じていた。

 そんなみね子が私には話さないような話を他の人にしていると、申し訳なさと嫉妬がマーブル模様になって、どうしても視界がはじけてくる。



 私は昔からずっと、服や化粧に興味がなかった。自分をプロデュースしてかわいくなることに興味がなかった。

 小さい頃はそれでも特に問題はなかったけれど、大きくなると徐々に違和感を覚えるようになった。すれ違い、皆は東に、我西に。だんだん周りと話題がずれていき、少しずつ周りと自分の間に溝を感じるようになった。


 以前は宿題終わらんとか、この前旅行に行ったよとか、先生のモノマネしようとか、この前見たアニメがねとか、友達とは様々な話をしていた。

 それがいつの間にか、どこそこのワンピが欲しいとか、ネイルがどうとか、みんな私がついていけない話ばかりするようになった。誰と話してもみんな示し合わせたように同じ話題ばかり口にするのだ。


 手の内にいたはずの友達はするするりと指の間から落ちていって、気づけばそこには誰もいなくなっていた。


 そこでようやく気づくことができた。私はおかしいんだって。




 みね子はおしゃれが好きなのに、私といる時はほとんどそういう話はしなかった。私を気づかって、普通じゃないおかしい私にも通じる話題を選んでくれていただけなのだと気づいてしまう。

 本当はもっと自由に話したいだろうに、気を遣わせてしまっていると思うと申し訳なさで押し潰されそうになる。


 最近みね子はまりなといることが多いような気がする。

 そうだよな、私なんかといるよりもまりなや他のやつと話す方がずっと楽しいよな。メイクの話やなんやらで盛り上がれる人と一緒にいる方がみね子もきっと幸せなはずだ。無理に私なんかと友達でいてくれなくてもいいんだ、みね子もまりなも、他のみんなも。



 こんなキラキラした人達と歩いていることが急に恥ずかしくなってきた。

 一人だけこんな地味な格好をしている私を、四人は腫れ物のように見ているのかもしれない。


 暗い思考がねばねば張り付いてダメになってしまいそうだ。


 真っ白に磨かれたこの床にさえも浄化されない私の心。





 ꙳ ⋆ ⸝⸝





「あ! クランクランだ!」

まりなの声でみんなも私もぴたりと立ち止まった。まりなの指さす先には、クランクランと読める英字のロゴを掲げた、ピンク色で統一された雑貨店に見える店があった。


「ほんとだ〜。入ってみる?」

「そうだね」


 四人より半歩遅れて、私は恐る恐る淡いピンク色の床に足を踏み入れた。



 入るとすぐに洋服のコーナーがあった。みね子たちはそれらを見るともなく見て、「え〜かわいい〜」を連発する。肩の線がずるりと落ちた真新しい服たちは私を見下しているようだ。



 私もここでかわいい、と言えたらどれだけ良かったろう。嘘でもいいからそう言いたい。言わなければならない。

 それなのにどうしてもその一言が言えない。

 いつもは止めようと思っても止まらない口が、今日は上下シッカリ貼りついて開く気配が全くないのだ。


 そう言えないのも、私が普通じゃないからだ。


 皆と同じような「カワイイ」の基準を持つことこそが正しいのに、そう感じることができないのは私が普通じゃないからだ。



 どうしてみんな揃えたように同じ感性を持っているのだろう。

 制服のスカートを短く折って、スクバを肩にかけて、ミニ扇風機を持ち歩いて、切り揃えた前髪にサイドバング垂らして、髪を染めてドライヤーで巻いて、化粧して。ブランドの話で盛り上がって。

 みんなみんな同じ格好をして、まるで大量生産されたモノみたいだ。


 そこに疑問を持ってしまうのは、やはり私が普通じゃないからだ。

 私も何の抵抗もなく好んでみんなと同じ格好ができるようになれたらいいのに。





 ☆・゚*:





 洋服のコーナーを通り過ぎ、みんなでぞろぞろと店の中を歩いて回る。

 何が売っているかなんて興味もないし見たくもないから、自分の足元に視線を向けながら四人についていく。


「待って! これめっちゃかわいい!」


 立ち止まったみね子がハンドバッグを手にしていた。白色に小さなイラストがついたシンプルなデザインだ。

 すぐにまりなたちがみね子を取り囲む。


「ほんとだ! それすごいかわいい!」

「みね子それ似合う〜!」

「いいじゃん! 買ってくの?」

「えっえっどうしよう」


 どうしようと言いつつみね子は楽しそうだ。四人ともはしゃいで最高に輝いている。

 そんなみんなを遠巻きに見て、私は一体何をしに来たんだろうと思う。


 いつもみんなの中心にいる私が話の輪にいっさい入り込めない悔しさと、親友の本心を知ってしまったような苦しさがズキズキ、容赦なく私に襲いかかる。


 手も口も全く動かしていないとおかしくなってしまいそうで、近くに置いてあるヘアブラシのテスターをいじることにした。

 ピンク色の持ち手に、きめ細かい毛材が生えている。

 滑らかで肌触りがいいじゃないか。ヘアブラシ相手にムカついてきてしまった。





 ⋆⭒˚。⋆





 値段という現実を優先せざるを得なかったため泣く泣くハンドバッグを諦めたみね子と、それに対し謎のフォローを入れるまりなと、れんなとあゆと、雑貨店を出た。



 もういい時間なので、これからお昼を食べることになった。


 混み合ったフードコートでなんとか五人分の席を確保できて、まりなはご満悦だ。

 大量に用意された簡易な座席はもうどこもいっぱいで、人々の話し声と立ち込める食べ物の匂いに酔いそうになる。

 目の前のテーブルには買ったばかりの軽食プレートが並び、私たちハングリー族のお腹を満たすのを待ち構えている。


 疲れがどっと溜まったせいか、空腹で倒れそうだ。

 勢いよくサンドイッチにかぶりつこうとしたら、まりなに制止されてしまった。


「きららちょっと待って。食べる前に写真撮ってもいい?」

五人分の食事にスマホを向けている。


 食べ物の写真を撮る行為は理解できないが、おとなしくサンドイッチから手を引く。


「私も撮らせて〜! あとで送るね」

そう騒ぐれんなを横目に冷たいジャスミンティーをズズズと吸い込む私。


 



 ˙˚°☆





 ジャスミンティーが異様に苦かったせいでサンドイッチの味はあまりしなかった。

 精神的な方はともかく、腹は満たせた私は四人と共にまたモールを放浪する。


「次はどこ行こっか〜」

「私はどこでもいいよ」

「私もー」

「うーん……」

「あっ! せっかくだしプリクラ撮っていこうよ!」

「あ〜いいね」

「そーしよそーしよ」


 その瞬間、かろうじて私の足元を支えていた地面が震動でガラガラと崩れ落ちたような気がした。


 プリクラ。友達と写真を撮って、その写真の目を大きくしたり輪郭を補正したりして、キラキラに加工するあの文化。


 それを……やるというのか。


 加工して「かわいく」なった私の顔が友達の家に一生み続けるなんて耐えられない。

 皆はそれを持ち歩き、何年後かに見返して、そこに写った「私」を「きららという人間」として落とし込むのだ。


 そして何より、プリクラは普通にみんな好きなもので、遊びに来たら普通喜んで撮るものだというその決めつけが大嫌いだ。


 よし、すぐに断ろう。



 ……無意識にニガテ意識が発動していることに気づきハッとする。



 すでにこんなダサい格好して、女子トークにもついていけない私はみんなを盛り下げている。そこにプリクラごめんと断ったらどうなるかなんて目に見えているではないか。

 私は余計に浮いてしまう。みんな、了解〜とかあたたかい言葉をかけながら私に白い目を向けるに決まっている。次から遊びにも誘ってくれなくなるだろう。



 となると撮らないわけにはいかない。

 でも。

 キメ顔をする自分、自分を派手にデコる自分、一生誰かの記憶に残ってしまう自分。

 嫌だ。嫌だ。嫌だ……。



 どうして、友達と普通に遊ぶことすらできないのか。

 どうして、周りに話を合わせることすらできないのか。

 どうして。

 みんなと同じ普通の価値観を持てない私は失敗作だ。




 気づけばガサッとしゃがみ込んでいた。

 みね子が、まりなが、れんなが、あゆが、一斉にバッと振り返る。


 真っ白な床が視界に迫る。天井の電気は真上でチカチカ鋭く光っている。

 モールの通路のど真ん中でしゃがみ込んでしまったせいで、近くを歩いていく人たちが不審げな顔を向けてくる。


「きらら、どうしたの?!」

まりなが叫ぶ。こいつ人の心配するとか意外だな、なんて考えがぼんやり浮かぶ。


「ごめん、急に、お腹痛くなっちゃってさ……帰んねーと、かも……」

そんな嘘が勝手に私の口を滑り出していく。真っ赤な嘘は真っ白なフローリングをみるみる染めていく。


「うそ、大丈夫……?」

「今日はもう解散しよっか?」

「近くまで送ろうか?」


 みんなが心配そうに私を覗き込んでいる。

 それを見て、さっきとはまた違うチクチクが襲いかかる。

 今日一日ずっと場を盛り下げてしまったうえに仮病だなんて、申し訳なくて消えてしまいたくなる。

 

 しかしみね子だけは何も言わなかった。みね子だけは、不安と非難がシェイクされたような目でじっと私を見下ろしていた。

 その目を見て、嘘ついてることが多分みね子だけにはバレているなと察した。

 気まずくて目を逸らす。

 

 私はヨロヨロと立ち上がり、罪悪感をすり抜けるように言葉を吐いた。

「私は一人で帰れるから大丈夫。みんな、せっかく来たんだしもっと遊んでけよ。今日はホントに、ごめんね……」

そう弱々しく笑って見せると、みんなは心配しつつも納得してくれたようだった。





 𓈒⟡₊⋆∘





 モールの三階で皆と別れ、エスカレーターに足を乗せ一階まで向かう。


 モールの客は誰も彼も楽しそうだ。

 友人や家族と楽しげに話し、買ったものを飲み食いし、様々な店の様々な品をふんふんと物色する。その姿はキラびやかなモールの雰囲気にごく自然に調和している。


 私にはまぶしすぎる。こんな華やかなモールの中で罪悪感にさいなまれてる奴なんて、私以外にいるはずがない。


 楽しげな客たちをちょうど形容するように、明るいサウンドのJ-POPがモール一体を包み込んでいる。癖のある三拍子が笑うように、励ますように、あるいはあざけるように、私を様々な角度から切りつけていく。


 エスカレーターがゆっくり下降していくと同時に、さっきのジャスミンティーみたいな苦々しい後味がゆうわり積み重なっていくようだ。



 涼しげな冷気とサヨナラし、あの嫌な苦味だけを残してモールの自動ドアから外へ出た。

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