第36話 夏と氷とアルバイト

 夏休み。

 

 朝から俺監修の元、近くの大きな公園の3Kmトラックでエルを走らせる。


 もちろん俺も一緒に走るし有栖は自主的に俺に付いてくる結果、三人で走るようになったが、エルはこの日差しと走り慣れしていないせいか、ついてこられない。


 まあ、無理もないけど、昼よりかは朝の方が比較的涼しいし、こまめに水分補給とストレッチを徹底してるから大丈夫だろう。


 というわけで、家に帰るついでに、三人で彼方が前から働いてる喫茶店に来た。



 彼方のお爺さん、せんさんが運営してる店で、ちょくちょくこうして休みながら紅茶やコーヒーを飲みに来ている。


 今では立派なリピーターだ。


「これは結ちゃんいらっしゃい。今日も朝から運動してたのかい?」


「はい、いつもお世話になります」


「いつも礼儀正しいねぇ、それから後ろの二人はお友達かな? これまた偉い別嬪さんだね」


 煎さんが連れて来た二人を見てそう言う。


「は、初めまして、有栖と言います」


 別嬪と言われたからなのか、有栖は少し照れるように言った。


「これまた、お上手な老紳士ですね……私はエレオノーラ。エルと呼んでください」


 逆にエルは堂々と優雅に一礼する。


「有栖ちゃんに、エルちゃんだね。私はこの喫茶店のマスター、柳瀬 煎と言うものだ」


 そうして顔合わせを済ませて、テーブル席に座る。


 お店の少し暗い雰囲気と、コーヒー豆のほのかな香り、芸術的に配置された観葉植物とインテリアが堪らない。


「なんだか、凄い大人びたところだね……」


 有栖がそのように呟く。


 その様子がとても可愛らしくて、ふふっと笑ってしまう。



 さて、何を頼もうかな。

 なんて考えていると……


「あれ、結と有栖?」


 聞き馴染んだ声が聞こえた。


「久しぶり彼方」


「夏休み入る前以来だね〜」


 彼方とは夏休み入ってからというもの、まだ一度も会ってなかった。



「ああえっと久しぶりね、それと、そちらの子は?」


 彼方の視線がエルに注がれる。



「エレオノーラと言います。私の父と結さんの父に交流関係があり、私が日本に留学するとなった時に、ホームステイさせて頂くことになったのです。あ、それから私のことはエルと呼んでくださいね」


「へえ、わざわざ日本に……というか凄い流暢ね」


「四年間精魂尽き果てるまで勉強しました」


「す、凄いわね……」


 彼方はエルのその物言いに、いや四年間日本語学んだだけでそうはならんやろ……みたいな顔を浮かべる。


 彼方とはもう長い付き合いだから、顔見ただけで大体何考えてるか分かるようになったよね。


 

「とりあえず私はお祖父さま、じゃなくて、マスターの手伝いがあるから、飲み物決めたら言ってよね」


 そう言って、この喫茶店の制服に一回着替えに行く彼方。


 ピアノを辞めてからはこのお店を継ぐためにここで働いてる。


 なんでも、バリスタをやりたいらしい。



「彼方ちゃんの制服かっこいいなぁ」


 着替えてきた彼方のウェイトレス姿に有栖がそんな感想を口ずさむ。


 その声が聞こえてたのか、少し顔を赤くする彼方だった。




「とりあえず、フレーバーティーが欲しくて何かいいのある?」


「そうね、アップルとか最近人気よ。最近は暑いしアイスでスッとしたほのかな甘みと香りが好まれるわね」


 その説明が凄い板についていて、本気でこの道に進むんだなって、ふと思った。


「ならそれにしようかな。有栖とエルは?」


「私は同じのを」


「じゃあ、私はアイスコーヒーにミルクとガムシロップを付けて持ってきてもらえませんか?」


「分かったわ、アップルティー二つとアイスコーヒーね」


 そうして注文を取り、テキパキと動く彼方。


 煎さんと談笑しながらも上手く連携していて凄いな……



「結ちゃん、それから有栖ちゃんにエルちゃん、これサービス」


 煎さんがテーブルにクッキーが入ったバケットを持ってくる。


「良いんですか?」


「良いんだよ。彼方ちゃんがいつもお世話になってるしね」


 そう言って颯爽と元の場所に戻っていく煎さん。


「お礼言いそびれたね……」


「まあ、帰る時に一言お礼しようか」


「ですね」



 それにしても……

 これ見た感じ煎さんの手作りだ。


 凄い美味しそう。




「持ってきたわよ」


「お、ちょうど良いところに」


 俺と有栖にアップルティーを静かに置き、エルにアイスティーとガムシロ、ミルク、スプーンを置く彼方。


「ん、マスターからクッキー貰ったのね」


「そうそう。一緒に食べる?」


「私はいいわ。いつもこっそり貰ってるしね」


 え、いつもなの?

 いいなぁ……


「そんな羨ましそうな顔しないでよ、頑張って働いた後のご褒美なんだから」


 いやでも、羨ましい。

 俺もここで働こうかな?


 アップルティーとクッキーを口に入れながらそう思った。




 そうして、喉と小腹が潤ったところ……


「ねえ彼方ちゃん、私もここで働くことって可能かな」


 有栖が彼方にそう切り出した。


「え、なんで?」


 彼方が不思議そうに聞く。


 なんか必要なものでもあるのだろうか。


 スパチャとかコンクールとかで高校生にしては尋常じゃないくらい稼いでるから、言ってくれたら大抵なものは買える。


「それは、その……結にお世話になりっぱなしだから」


 そうだっけ?


「まあわかったわ。お祖父さま……マスターに聞いてみるわね」


「ほんと!?」


「そんな嘘つかないわよ」


「やった!」


 



 そんなこんなで信頼があったからか、有栖はこの喫茶店『煎慈』のアルバイトをすることに決まった。


 それにしても、とんとん拍子すぎないだろうか……



「煎さん、良かったんですか?」


「うちは人手が足りなかったからね……とても嬉しいよ」


「それなら良かったです」


「あとは有栖ちゃんとても可愛らしい子だから、ファンが増えてお客様も増えるかと思ったりね」


 目を細めてそう言う煎さん。

 隠れた策士だな。


 まあでも確かに……


「有栖は世界一可愛いですからね」


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