第29話 青春

 夏。


 茹だるように暑いグラウンドのゴール際で、有栖を起こす結。

 

 有栖が転んで付着した砂埃と汗を、結は丁寧に拭った。


「よしっと……」


「ありがと〜」


 目を細めながら気持ちよさそうにする有栖。



「有栖立ち上がれる?」


「うん、あ、あれ……?」


 立ちあがろうとするも、足がふらつく。


 そんな有栖に結は腰を落として……


「おぶるから捕まって」


 優しく言った。


 

 有栖は少し考えながらも、言われた通り、結の背中に身を預ける。


 有志パン食い競争が終わりを迎え、そのまま選手たちが退場していく中、結は有栖をおぶって、その場を後にした。






 その二人のくったくのない笑顔に、黒服の男は負目を感じていた。





 もう手に入らない幸せの再確認。

 一層の懺悔と後悔。

 

 それと、幸せになっていく娘にカタルシスを覚える。


 二葉 綉の娘、二葉 結のあの眼に見入られてから、何か憑き物が消えたかのように心が晴れた。


 人の心を見透かすあの眼。

 あれを言葉で表すのならば、心眼とでも名がつくのだろうか……と。



 天性の眼を持ち、全てを持って生まれてきた自身とは対照的な存在。


 天才を遥かに凌駕する鬼才。


 あの子と腹を割って話した時、気押された。

 或いは、正気に戻された。



 自分で言うには、あまりにもお門違いではあるが……


 自分の代わりに唯を、幸せにしてあげられるのは、彼女しかいない。


______

____

__




『なんか、いいですね……』


『浄化されそうだよな』


『あの百合に割り込みたいです……』


『百合に挟まるのは禁忌だぞ』


『ちぇー』


『ファンクラブがあるからそっちにどぞ』


 司会の漫才コンビがいつものように激闘いちゃいちゃを繰り広げる。

 

 しかし、それには目も耳もくれず、観客は二人の少女に心を惹かれていた。




「ベストショットチャンス……!」


 写真部の一人がおもむろにカメラを取り出し、パシャっと撮影し、カメラを下ろす。


 それはまるで、達人の居合のように、ごく自然で素早く美しい動きで……


 彼は今まで生きてきた人生の中で最も美しい写真を撮る事となった。


 


 別世界。


 まるで青春の代名詞のような空気感。


「あそこまで無垢な青春を今まで見たことないわ」


 汗、砂埃、怪我。

 それでも透き通るように綺麗な二人。



 二葉と有栖のツインズ、もといユインズとも密かに呼ばれる二人のスキンシップに萌える人々は多い。


 二人とも圧倒的な美少女。

 一千年に一度なんていう比喩で表しても色褪せないほどに。




「いやぁ、いいもの見たわぁ」


「ですね」


 梔夫婦はそんか感想を吐露する。


 いつの日かあった昔の青春と照らし合わせて、少しノスタルジーを感じさせるような淡く甘い日常の光景。


 

 それから……


 この空気に当てられて、自分たちも少しだけ若くなったような感覚を覚えた。


「いやぁ若いっていいねぇ」


「そうですねー」


 そんな二人の会話を聞いた生徒たちは思う。

 “制服着たら分からないのでは……?”

 と……


 なんならそこら辺の学生よりも若く見える。






◆◇







 部活対抗リレーの時間になり、それぞれの部活から部員四人が選ばれる。


 デザイン部は今回忙しすぎて、部活対抗リレーの話を忘れていたため、エントリーすることはできなかった。



 無念……


 というわけで、おすそわけのアイスを頬張りながらテントの下でグラウンドの方を眺める。


 優勝候補はサッカー部と陸上部かな。



「あれ、翡翠も出るの?」


「はい。もともと漫画研究部に入ってたので助っ人として……」


「ああ、なるほど」


 翡翠の横には漫画研究部らしき人が三人いて……


 ザ・オタクの装いそのものだった。


「あ、この人たちはその漫画研究部の部員さんたちです」


 うん、見れば分かるよ。


「ど、どどどどうも……」


「うんどうも。翡翠のお世話になってます。二葉 結です」


 凛ちゃんと同じ、緊張すると喋れないタイプかな。


「お、お日柄もよく、その、ええええ、えと……とてもお綺麗ですね」


「ありがと」


 なんだこれ……

 お日柄もよくなんて言葉、日常会話で初めて聞いたわ。


 たしか吉兆、縁起がいい日のことを刺すんだっけ。


 今では結婚式とかで言われる文言だけど。



「じゃあ頑張って。応援してるよ」


「ぐふっ……!」


「か、かわ……」


「っ!?」


 あ、倒れた。

 俺の悩殺笑顔スマッシュが効きすぎたか……


 最近、固定メンバー以外と喋らないから使う機会なかったけど、威力は現在だなぁ。


 流石美少女。


 

 それにしても、三人とも翡翠に対してなんかよそよそしいな。


 いやまあ、仕方ないのか?


 めちゃくちゃ美少年、ぱっと見だと美少女に見えるし、気が効く。


 特に瞳が綺麗だ。


 名は体を表すとはいうけれど、本当に名前の通り、綺麗な翡翠色の瞳をしている。



「へー、我が息子くんは意外と友達いたんだねー」


「お母さん!?」


「このこのー」


 和気藹々わきあいあいと梔親子が戯れ……黎亜さんが翡翠をいじってるだけか。


 琥珀さんは、慣れてるのかその様子をじーっと見るだけだった。


 まあ仲は良さそうで良かった。



「く、梔氏……そこのお方は、姉君では?」


「えと、一応僕のお母さんです……」


「あはは、一応も何も私が翡翠のお母さんで、そっちに座ってる草臥くたびれたおじさんがお父さんだよ」


 そう言って黎亜さんが指を指す方向には、絶背の美女、或いは美少女とも言えそうな容姿の人が座っていて、草臥れたおじさんには見えない。


「誰が草臥れたおじさんですか……私まだ37歳ですよ」


「あははアラフォーじゃん」


「お互い様ですよ」


「お、言うねー」


  

 見えん。

 あれがアラフォーなんて信じられん。


「すごい若いよねー!」


 有栖の言う通りなんだけど、本当に、どう生きてきたらあんな風になるんだ?



「あ、あれが梔氏の、父君……!?」


「生命の神秘だ……」


「っお付き合いしたい」


 おい最後!

 琥珀さん既婚者だぞ!




「ダメだよ若人わこうどくん。琥珀さんは私だけのものだから」

 

 蠱惑的と云うべきか……

 目を細め口元で少し笑いながら、まるで恋する少女のように、低く心地良い声でそう言う。


 例え冗談で、それが誰であっても、本気で牽制しているように見えた。



「黎亜、そこらへんで、お願いします」


「えーつれないなぁ……」

 


 うちの親もそうだけど、ここまで惚気られると反応に困るな……




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