第34話 嘘
意気消沈して自室へと戻った俺はパイプベッドに倒れ込んでスマホを眺める。
彼女に送った未読のメッセージが無数に並んでいる。
『大丈夫か?』
『つらい思いはしていないか?』
『メッセージに気づいたらすぐに連絡をくれ』
一向に既読が付かないにもかかわらず、連投された俺のメッセージはまるで未練がましい元彼が送るメッセージのようである。
深山先生はあんなことを言っていたが、彼女の言っていたことは本当なのだろうか?
もしも彼女の言葉が本当だとしたらこんなに胸くその悪いことはない。色々と説明してくれた先生には感謝するが、彼女の言葉が全て勘違いであればと願わずにはいられない。
俺にできることはなにもないのだろうか……。
なんて考えてみるが、これと言った答えは出てこない。
理想の教師像を追い求めて頑張ってきたけれど、何一つとして思い通りにいきやしねえ。
自分の無力さに嫌気がさしながらもスマホの画面をオフにしようと思ったのだが。
「ん?」
その直前、俺のメッセージの隣に既読の文字が表示された。
お、気づいたかっ!! とりあえず彼女がメッセージを読んだことに少しだけ安心したところで、スマホから着信音が鳴り響いた。
その音に驚いてスマホを落としそうになるが、なんとか掴んで受話器のマークをタップするとスマホを耳に当てる。
「お、おい桜田かっ? お前、元気なのか?」
とにかくなにかを言わなきゃと思った結果、最初に出てきた言葉がそれだった。
そんな俺の言葉に彼女はしばらく黙っていたが、ふいに「はぁ……」というため息が受話器越しに聞こえてきた。
『先生、まだ既読も付いていない状態で何度も女の子にメッセージを送るのは御法度ですよ。一番女の子に嫌われる悪手です』
「そんなことより大丈夫なのか?」
『大丈夫? あぁ……ちょっと風邪を引いて念のために大きな病院に見てもらっただけです。父がしつこく病院に行くように言ってきたのでしぶしぶ検査をしただけです。今は熱も下がってピンピンしてますよっ!!』
なんて言う桜田の言葉は良くも悪くもいつも通りだった。
「風邪なのか?」
『ただの風邪です。先生ってば、心配しすぎです……』
ということらしい。もしも彼女の言葉が本当だとしたら、俺の心配は完全に杞憂だったことになる。
が、やっぱり深山先生の話を聞いてるだけに、素直に受け入れることはできそうにない。
「なあ桜田」
『なんですか?』
「学校には戻ってこられるんだよな?」
『………………』
彼女は何も答えない。
そして。
『が、学校は辞めます……多分……』
「や、辞めるっ!? も、もしかしてお前、三船議員のところに――」
『ちょ、ちょっと待ってくださいっ!! 先生、なんの話をしているんですか? 三船議員? なんのことですか?』
なんて驚く桜田に俺はさっき深山先生から教えてもらった噂について彼女に説明をした。
その結果。
『先生、ちょっとピュア過ぎませんか?』
「ぴゅ、ピュアっ!? 俺は単純にお前の心配を――」
『そんなの深山先生が先生を脅かすために吐いた嘘に決まってるじゃないですか』
「は、はあっ!?」
え? 嘘なのか? いや、でも深山先生の口ぶりは到底嘘には思えなかったけど……。
『確かにそういう噂話は私も聞いたことがあります。ですけど、それが本当なのかは私にはわかりませんし、私が学校を辞める理由とその噂とは関係ありません』
「だ、だ、だったらどうして辞めるんだよ」
『え? もしかして先生、私がいなくなって寂しいって思ってくれてるんですか?』
「そんなの寂しいに決まってんだろ。お前は俺の可愛い教え子だぞ? できればお前が立派に卒業するまでサポートしたかったし」
『先生は優しいですね。ですが、これは決まったことなので。私、自宅近くの私立高校に転校して自宅から通うことにしたんです』
「うちの学校じゃ不満か? もしかして俺の教え方に問題があったのか?」
『そんなことないです。先生はとても私に親切にしてくださいました。ですが、やっぱり家族の元で自宅から通った方が気が楽ですし、家の近くには友人もいるので……』
「…………そ、そうか……」
そう言われてしまったら俺としてもそう返さないわけにはいかない。
『先生……ごめんなさい……』
「いきなりなんだよ……」
『私、先生を写真で脅していろいろと私のわがままに付き合わせちゃいましたよね』
「それはまあ……そうだな……」
『先生が女性慣れしていないだとか酷いことを言って先生を困らせました』
「まあ女性慣れしていないのは事実だし、それで生徒に気を遣わせていたのも事実だし」
恥ずかしいことに……。
『そんなことないですよ。先生はとても良い先生です。クラスの子たちも授業がわかりやすいって評判でしたし、先生が生徒たちのことを第一に考えておられていることもみんな理解していますよ』
「また、からかってるのか?」
『本当です。先生、短い間でしたけれどありがとうございました』
「…………」
『ですが、先生が私に対して抱いている心配は全て杞憂です。私は見ての通り元気です』
「見えないけれどな」
『見たいならカメラをオンにしましょうか? ちなみに今の私は下着姿です』
「いや、大丈夫です……」
『とにかく私は大丈夫です。ですから私に向ける心配を他の生徒たちに向けてあげてください。私はお金持ち議員の愛娘として何不自由なく生きていきますので』
「わかったよ。じゃあ今はご実家で羽を伸ばしているんだな?」
『はい』
「そういえば実家は世田谷だったっけ?」
『え? なんでそんなこと知ってるんですか……ちょっと引きました』
「いや、前にニュースで見たんだよ。あのバカデカい日本家屋だよな?」
『そうですよ。久々に畳は気持ちいいです』
「そうか、とりあえず元気そうで安心したよ。けど、風邪は油断しているとぶり返すからな。まさかとは思うけれど、明日、どこかに遊びに行ったりしないだろうな?」
『内緒です』
「あのなあ。本気で心配しているんだぞ?」
『クスクス。大丈夫です。明日は一日家にいる予定です』
と、彼女が明日も自宅で大人しくしていることを聞いて安心した俺は、彼女に『なにかあったらすぐに連絡するんだぞ』と伝えて電話を切った。
※ ※ ※
世田谷区にある桜田邸の離れ。通話終了ボタンをタップした寝間着姿の桃はスマホを畳の上に放り投げると「はぁ……」と大きなため息を吐いた。
――これで良かったんだよね……。
彼女は嘘を吐いて気丈に振る舞った自分の行動が正しかったのだと、頭の中で何度も何度も言い聞かせる。
それにしてもまさかここまで確度の高い情報を龍樹が入手しているとは桃としても予想外だった。
三船議員の別邸の話は、この業界では公然の事実ではあるのだが、あくまでこの界隈での話であって一般人が知りうるような情報ではない。
なにせ三船議員は警察庁出身の官僚である。警察出身である彼を検挙しわざわざ警察の名に泥を塗るようなことをする警察官はいない上に、彼はメディアにも大きな繋がりを持っている。
だからこそ龍樹がそのことを知っていたことに驚いたのだが、よくよく考えてみれば情報の出所なんて一つしかないのだ。
深山奏。おそらく龍樹に情報を流したのは彼女に違いないと桃は確信する。
そして彼女の情報は正しい。が、それでも桃は龍樹に本当のことを伝えるわけにはいかなかった。
短い間ではあったが桃は細川龍樹という男がどこまでもまっすぐな人間であることを知っている。もしも素直に事実であることを伝えたら父親を説得に来る可能性だってある。
が、これはもう決まったことなのだ。桃がどれほど拒絶したところで父親は彼女を三船議員のもとに送り込むだろう。龍樹が説得をしたところで覆るはずがない。
桃だって最初は父を説得し必死に抵抗したが、覆すことが無理だとわかったから覚悟を決めたのだ。
それに、そんなことをしたら龍樹の身が危ない。大好きな先生だからこそ桃はこの事実を認めるわけにはいかなかったのだ。
が、それでも本当は助けてと言いたかった。
そんな欲望をぐっと自分の胸のうちに押さえつけてるように瞳を閉じていると「桃さま」と襖の向こうから声が聞こえた。
この声は彼女の世話役、宮下の声である。
「なんですか?」
「入ってもよろしいでしょうか」
「どうぞ」
と彼女が答えると襖が勢いよく開いて、彼は畳の上に座る彼女の元へと駆けてきた。
「な、なんですか? そんなに慌てて……」
と目を見開く彼女に宮下は、きょろきょろと
「桃さま、本当によろしいのですか?」
「よろしいってなんのことですか?」
「決まっています。三船議員の別荘にてお勤めになられることです」
どうやら宮下は桃のことを心配して来てくれたようである。
「よろしいもなにも決まったことです。私はただお父様のために桜田家の人間として職務を全うするまでです」
「桃さま、宮下は堪えられません。あの別荘での噂は桃さまのご存じのはずです。あそこに行けば桃さまの尊厳が踏みにじられてしまいます」
「噂は知っています。ですが、嫌だと言って父が考え直すと宮下は本気で考えているのですか?」
「桃さま、逃げましょうっ!!」
何を言い出すかと思えばそんなことを言い出す宮下に桃は思わず目を見開く。
「な、なにを言っているんですかっ!?」
「この宮下とともにどこか遠くへと逃げて、そこで新たな生活を始めましょうと申し上げているのです」
「逃げるっていったいどこに?」
「それはわかりません。ですが、ここにいてはダメです。桃さま、お金であれば私がどんな辛い仕事でもして作ってみせます。ですから桃さまがご心配はご無用です」
まるで縋り付くように桃の手を握ってそう訴える宮下。
が、桃は首を縦には振らない。
「それはできません」
「ど、どうしてですかっ!?」
「宮下はこれまで私のわがままに何度も付き合わせてきました。その上で私のわがままに宮下の人生まで巻き込むわけにはいきません」
「私のことはお気になされる必要はありません。桃さまの尊厳が踏みにじられるぐらいならば私は喜んでこのお命を――」
「また逃げるつもりですか?」
そんな桃の質問に宮下は驚愕して硬直した。
「も、桃さま……どうしてそのことを……」
「宮下は、本当に私を騙し通せるとでも思っていたのですか? 幼い頃から何度も宮下と一緒にいて気づかないとでも?」
「…………」
「宮下の目を見ればわかります」
「も、桃……さま……」
と、そこで宮下は感極まったようにポケットからハンカチを取り出してサングラスの奥の瞳を拭い始める。
「宮下、心配は無用です。それに一生あの別荘にいるわけではないのです。あの男は若い女にしか興味がないと聞いています。私が成人を迎えれば私はきっとお払い箱になるでしょう。たった数年私が我慢すれば誰も損をしないのです。宮下の身も安泰です」
「ですが……ですが……」
「宮下、これは出来損ないの娘ができる唯一の親孝行です。私はそういうことにすることにしました」
「…………」
そう、これは彼女ができる数少ない親孝行である。
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よければこちらもよろしくお願いします。
『失恋した俺を隣で励ましてくれる幼馴染には好きな人がいるらしい』
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