第25話 じじい

 ということで保健室に保健の先生が入ってきた。おそらく70歳前後の男は足腰がよろしくないのか背中に手をやりながらベッドの方へとゆっくりと歩いてくる。


 そして俺はというと……。


 自分の体を覆う掛け布団へと目を向けた。


 うん、あきらかに不自然に布団が盛り上がってますね。


 それもそのはずである。布団の中では深山先生が絶賛俺に抱きついているのだから。


 具体的に言えば俺のお腹辺りになにやら二つのレース地の感触と、その奥にふわふわした感触がする。先生は俺の背中に腕を回して俺の体を締めつけているものだから一際その幸せな感触が感じられている。


 が、今はその感触に喜んでいる場合ではないのだ。


 仮に俺が布団の中で足を曲げていると主張したとしても、あまりにも不可解な布団の盛り上がりに保健の先生が気づいたら終わりである。


「どうかの? さっき深山先生に運ばれてきたときは意識が朦朧としておったが、今は見たところ問題なさそうじゃの」

「え? あ、はい……少し眠ることができたおかげでかなり楽になりました」

「そうかそうか。それはよかった。きっと先生は自分でも気づかんうちに緊張しておったのじゃろ。正確な診断はできんが緊張で交感神経が働きっぱなしで体調を崩したのだと思う」


 なんて言いながら先生は俺に柔和な笑みを向けた。


 彼の顔からは俺が回復して良かったという気持ちがありありと伝わってくる。


 一対一……いや、二対一で会話をするのはこれが初めてだがきっと優しい人なのだろう。


 それだけに背徳感で胸が締めつけられる。そして、そんな俺の弱みにつけ込むように、そこで淫乱な布団がもぞもぞと動く。


 何かが俺のふとももに触れた。


「はぁぁぁぁぁっ!! …………」


 布団の中で深山先生が俺のふともも手のひらでさわさわと撫ではじめたのだ。その不意打ちに思わず目を見開いて情けない声が漏れてしまう。


 ま、マズい……。


「どうしたのじゃ?」


 俺の反応に保健の先生は心配そうに首を傾げる。


「え? あ、いえ……なんでもありません……」


 あ、これヤバい……。不意打ちだったとはいえ不用意な声を漏らしてしまった。


 これで布団を捲られたらまじで終わる。


 さりげなく布団へと目を向けると布団はあきらかに不自然に蠢いている。


 ダメだ……この動きは俺の足が四本ぐらいないと説明がつかない動きだ……。


 生と死、紙一重の状態で冷や汗をかいていると「いかん」と先生は俺の額に手を伸ばした。


「冷や汗をかいているみたいですな……。寒気はせんかの?」

「え? あ、いえ……」


 寒気? しますよそりゃ……今にも心臓が凍りついて心停止しそうなぐらいには。


 が、俺がやるべきことは保健の先生をいち早く安心させて、いち早くこの場から退場してもらうことだ。


 そのためには俺のふとももを撫でてやがる命知らずの深山先生をなんとかしなければなるまい。


「だ、大丈夫ですっ!! すっかり元気ですっ!!」


 引きつった笑みで元気アピールをしつつも、さりげなく布団の中に手を伸ばしていたずらをする腕を掴もうとした……のだが。


 先生の腕があるであろう場所に手を伸ばした俺が触れたものは、彼女の腕ではなかった。


 手のひらいっぱいに何やらむにむにとした物が触れる。


「あんっ……」


 直後、布団の中からそんな卑猥な声がした。


 終わった……あ、俺の教員人生完全に終わったわ……。


 慌てて布団から手を引っ込めると、その手で顔を覆う。


 ずっと追い続けてきた教師という夢。一度は挫折しかけたものの恩師の計らいによってやっと手にした教師という夢。


 俺は自分を紹介してくれた恩師に立派な教師になって恩返ししようと心に誓ってきた。


 が、その誓いは考え得る最低な理由で裏切る形になりそうだ。


「………………」


 その致命的なあえぎ声に全てを諦めた俺はゆっくりと顔から腕を下ろすと、清々しい顔で保健の先生を見やった。


 先生……俺はもう無駄な抵抗はしません。俺を煮るなり焼くなりしてください。


 が、


「どうしたのじゃ?」


 そんな俺に先生は首を傾げた。


「い、いや……どうもなにも……」

「わしはなにも聞いておらん」

「き、聞いておらん?」


 何を言っているんだ? この老人は……。


 その予想外すぎる老人の反応にぽかんと口を開けていた俺だったが、ふと老人が背中に回していた左手に目がいった。


 老人の左手にはやけに分厚い茶封筒のようなものが握られている。そして、その茶封筒からはなにやら札束のような物がわずかに顔を覗かせていた。


 ん? どういうことだ?


 情報量が多すぎて思考が全く追いつかない俺に、老人はなにやら優しい笑みを浮かべながら肩をとんとんと叩く。


「若くて元気なのはいいことじゃが、ほどほどにな……」

「…………え?」


 首を傾げる俺に老人はみなまで言うなと言わんばかりにうんうんと頷いた。


 そんな老人をしばらく呆然と眺めたところで俺はようやく理解する。


 おい、じじいっ!! もしかしててめえグルだなっ!!


「じゃあ、わしは職員室に戻る」


 なんて言うとじじいは俺に背を向けて保健室を出て行ってしまった。


「………………」


 おいじじい、金に目が眩んで血迷ったか……。


 絶句したままじじいの背中を見送ったところで、またもぞもぞと布団が動いたので我に返って布団へと目を落とす。


 布団の隙間から深山先生がいたずらな笑みを俺に向けていた。


「先生、ドキドキしましたか?」

「いや、ドキドキを通り過ぎて心停止寸前でしたけど……」


 心臓に悪いなんてレベルではない。


「ってか、なに保健の先生を買収してるんすか……」

「龍樹くんの治療のためです。何をされても常に平常心でいることが女性慣れするために一番大切なことです」

「いや、にしても……」

「保健室ってなんだかえっちだと思いませんか?」

「思いません」


 なにがどうなればこの真面目空間が卑猥に思えるんだこの人は……。


 彼女の想像力に呆れを通り越して感心していると、彼女は掛け布団を捲って全身を俺の前に露わにした。


「それにしても布団の中は熱くてのぼせそうでしたよ」


 なんて伸びをする彼女のブラウスは、彼女自身の汗のせいで薄ピンク色のブラが透けてしまっている。


「ちょ、ちょっと先生っ!?」


 そのあまりにも刺激の強い光景に顔を背けようとする俺だったが。


「先生、ダメですよ」


 と、彼女は俺の頬を両手で押さえて顔を強制的に自分の胸の方へと向ける。


 そして、自分の豊満な胸元に俺の顔を向けながら彼女は口を開いた。


「先生、勘違いしていませんか?」

「か、勘違い?」

「私はそこまで汗はかいていません」

「い、いやでも……」

「私をこんなにえっちな姿にしたのは先生の汗です」


 彼女は自分の胸元に向けていた俺の顔を下に向けた。すると、冷や汗でびしょびしょになった俺のブラウスが見えた。


「先生が私を濡らしたんです。女の子に密着して緊張しちゃったんですか?」

「いや、それは……」


 まさか自分の汗だったとは……。


 相変わらず耐性のない自分に愕然としていると深山先生はクスクスと笑った。


「さあ、先生、いっぱい汗をかいたので家に帰ってお風呂で汗を流しましょうね?」

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