第23話 ランチ特守

 昼休みの屋上、俺と桜田は芝生の上で見つめ合っていた。


 なんだこの状況……。


 そんなツッコミを入れたくもなるが、俺には彼女の提案を受け入れる以外の選択肢はない。


 教師として生徒とこの距離で見つめ合うことがいかに不健全なことなのかは理解しているけれど、もうこうなってしまったら彼女の提案に乗って女性慣れの訓練をするしかない。


 どうせ逃げれば写真を流されて教員生活が終わるのだ。だったら、ダメだとわかっていてもこの船に乗るしかない……。


 泣きそうになりながら目の前の桜田の瞳を見つめる。


 いや、本当に透き通った瞳だな。彼女が我が教え子であることが本当に残念だ。


「先生、我慢です。私になにを言われても動じてはダメです……」

「わ、わかってる……」


 さっきから彼女は俺の手を握ったまま好きだ好きだと連呼してくる。当然ながらこれは俺に耐性をつけさせるためである。


 女子生徒の言葉にいちいち頬を赤らめて目を逸らしてたらいつまで経っても女性慣れなんてできませんよと言う桜田の言葉は悲しいけれど説得力があった。


「先生の手……温かいです……」

「…………」

「先生、私、先生が好きで好きで胸が苦しいです……。どうすればこの胸の苦しみはとれるのでしょうか?」

「…………」

「私の初めて。先生になら奪われてもかまいません」

「っ……」

「先生、頬が赤くなっていますよ?」


 まるで百本ノックのようにあの手この手で俺を動揺させてくる童顔の女子生徒。


 彼女の脳内にはいったいいくつの『好き』の類語が存在しているのだろうか……。


 それからも俺は泥んこになるほどにノックを受けて、本当に百本ぐらいノックを受けたところで、彼女は心配げに俺を見上げた。


「どうですか? 少しは慣れてきましたか?」

「お、おかげさまで……」


 良いことなのか悪いことなのかは今、俺の倫理観が麻痺しているのでわからないけれど、慣れてきてしまっているのは事実だ。


 頭がぼーっとしてくるのを感じていると、桜田は俺の頬に軽く口づけをしてきた。


「お、おいっ!!」

「先生、ご褒美です。よく頑張りましたね。だけど、こんなんじゃまだまだ女性慣れなんてできませんよ」


 彼女は俺の両肩をゆっくりと手で押すと、胡座をかいた俺を芝生に押し倒してきた。


 彼女は押し倒した俺に跨がると、ショートボブの髪を右耳にかけて俺に熱視線を送ってくる。


 そんな彼女の頬は真っ赤だ。


「先生に動揺をするなって言っておいて、私が頬を赤らめていたらフェアじゃないですよね?」

「お、おい桜田……なにをおっぱじめるつもりだ? さすがに一線を越えるのはマズい……」


 いくら脅されているからと言っても越えてはいけないラインはあるのだ。たとえあの写真が世に出回って無実の罪で捕まったとしてもそれだけは守らなければならない。


 が、そんな俺の心配に桜田はわずかに右の口角を上げて、いたずらっぽい笑みを浮かべた。


「先生はなにを想像しているんですか? 一線を越えるってなんのことでしょうか?」

「いや、だからそれは……」

「私とえっちすることですか?」

「ば、バカ……。教師相手になに言ってんだよ」

「手を出しちゃいけないはずの教え子をお腹に乗せながら、そんなことを言っても何の説得力もありませんよ?」

「いや、俺は別に」

「そうですよね。先生を押し倒したのは私です。それに先生は私に脅されているんですから抵抗できないのも無理もないです」

「だったら」

「だから、先生には罪はありません。悪いのは全て私なのですから……」


 なんて言いながら彼女はセーラー服のスカーフを引き抜いた。


「先生、私っていけない子だと思いませんか?」

「いけないどころの騒ぎじゃねえけどな……」


 思わず本音が漏れてしまった。


 そんな俺の言葉に彼女は少し不服そうにムッと頬を膨らませる。


「先生、特訓なんですから興が削がれるようなことは言っちゃダメです……」

「え? あ、すみません……」

「あと、私が押し倒してから先生はもう三回も目を逸らしています」

「それもすみません……」


 いや、なんで俺は謝っているんだ……。


 ふと我に返る俺に桜田は「こら……」と小さく呟いてとろんとした瞳を向けてきた。


「先生、私は先生の目にどう映ってますか?」

「どうって可愛い教え子の一人として――」

「一度、私が生徒であることを忘れてください。先生の目には魅力的な女性に見えるでしょうか? それともただのがきんちょですか?」

「え? いや、それは……」

「先生、これも特訓ですよ。さっきまで先生は受け身の練習をしてきました。ですが、受け身だけではダメです。ちゃんと自分の口で女性を褒めてみてください」


 桃さん……さすがにそれは難易度が一気に上がりすぎじゃないですか?


「別に嘘でも良いんです。私のことを褒めてみてください」

「…………」

「先生、女の子は受け身ばかりの男を頼ったりはしませんよ?」


 桜田の容姿を褒める。そんなことを口にすることを考えるだけで顔が熱くなる。


「先生、顔が赤いですね。その先生の顔を赤くする想像を口にすればいいだけです」

「そ、それはその……」

「それはその?」

「きみはとても美しい女性だと思う……」


 そう言った瞬間、彼女の頬がさらに赤くなった。それでも彼女は努めて平常心を保つように深呼吸をする。


 不適切な発言なのは重々承知だが、素直に自分の感想を述べるのだとすればそう言わざるを得ない。


 彼女はとても可愛い女の子だ。俺が彼女の教師であるという前提を除けば、街ですれ違うときに視線が自然と向いてしまうほどには。


 そうだ……名前は忘れてしまったけれど、子どもの頃にテレビで見たなんとかって名前のアイドルに似ている……気がする。


 が、そのアイドルの名前を俺は思い出すことができない。名前を言われればピンとくるのだろうけれど、その名前も忘れたアイドルに彼女の顔はよく似ていた。


 そういえばいつの間にかテレビで見なくなったよな……。


 まあ、どうでもいいけど……。


「そ、それで……どこが美しいと思いますか?」


 泣きそうになりながら震える唇を開く。


「透き通った瞳が綺麗だと思う」

「へ、へぇ……そ、そうなんですね……。ほ、他には?」

「少し小さな唇も愛らしくて良いと思うぞ?」


 そんな言葉に彼女は思わずといった感じで目を見開いた。まさか唇を褒められるとは思っていなかったようだ。


「ほ、他にはないんですか?」

「え? え~と……良い匂いがする……とか?」


 殺してくれ……羞恥心で息苦しいっ!! 誰か今すぐ俺を殺してくれっ!!


「先生は私の匂いが好きですよね? 自分ではよくわかりませんがそんなに良い匂いがしますか?」

「そ、それは……まあ……」

「嬉しいです……」


 あぁ……どうにかなりそう……。もう本気で頭がヒートダウンしそうなほどに熱くなって、意識も朦朧としてくる。


「せ、先生っ!?」


 と、そこで桜田は不意に驚いたように目を見開いた。そして、慌ててポケットからハンカチを取り出すと、それを俺の鼻に当てる。


「先生、鼻血が出ています……」

「え? あ、あぁ……そうか……」


 なんだろう。頭がぼーっとしすぎてあまり反応ができない。そして、そんな俺の反応に桜田は血相を変えて俺の額に触れると「ちょ、ちょっとやり過ぎたかも」と引きつった笑みを浮かべた。


 それから彼女は俺のお腹から飛び退くと、どこかへと駆けていき、数分後、俺は駆けつけた深山先生の肩を借りて保健室へと運ばれた。

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