第2話

 視界があまり開けていない、樹々が鬱蒼と生い茂る森林階層。


 ここはルイーネ王国周辺の新人ハンター向け訓練場になっており、比較的やさしい難易度でクリアできる。

 薬屋か商会、究極ギルド受付でも売っている“虫よけスプレー”をすれば、この階層上位種の魔物であるポイズンスパイダーを避けて狩りができるからだ。


 この階層の“虫系魔物”、なぜか“魔物避け”ではなく“虫よけスプレー”に弱いのだ。

 しかもダンジョン内だけではなく、この国周辺の草原や森林に棲む“虫系魔物”にも有効であるのだ。

 その所為で、ダンジョン研究の中で解っていない物の一つとされている。



 救難信号の場所は、たしか三階層目の西の森奥だ。



 勿論スプレー済みのマリナは、どんどん歩いていく。

 彼女を見かけた若手グループは、ナンとも言えない顔で反対方向に走っていった。



 彼らは新人ランクを卒業したばかりだが、私見て逃げるってナニ?

 たしか彼らには、何もしていない……ハズ。



 お腹におやつを入れるべきだったなと、若干イラつきながらマリナは足を進めていた。

 


 魔物を避けつつ、森の中を面倒な任務のために歩を進めるが、三階層に差し掛かった辺りでマリナのお腹が限界に近づいてきてソレどころではなくなってきていた。

 マリナは、やはり一口だけでもおやつを口へ入れてくるべきだったと後悔した。

 


 イラつきを抑えきれなくなってきたマリナが目的地周辺へ到着すると、待っていたかのように数人が木の陰から出てきた。


「やあやあ麗しの受付嬢さんよお。ごきげんようってか?」


 ガハハと笑い出す規則違反者の男が目の前に二人。

 それと少し離れた木にもたれ掛かる男一人。

 イライラが表面に出てしまったマリナは、笑顔で応えた。

 イラつくほど、笑顔で冷静に対処するのがマリナという受付嬢だ。


「受付番号1042と1043。それにそこの受付番号968。このダンジョンの規則は説明しましたが、ご理解いただけていますか?」

「ああ。もちろんわかっているさ」


 なあ? と二人に問いかけるリーダーらしき髭の1043は、今の状況を理解していないようだ。


「ではなぜ“虫よけスプレー”をされていないのです?」


 ニタニタと気持ちの悪い笑顔を浮かべていた三人が、一斉にキョトンとしている。

 おっさんがキョトンとしても可愛くはないが、頭が追い付いていないのだろう。

 聞かれるはずの“新人潰し”の事ではなく、“虫よけスプレー”の話であるから。


 マリナが話していると、ヒヤッとした風が頬を撫でた。

 が獲物を見つけた合図だ。


「おっおまえ!! ナニしやがったッ」

何もしていません」

「んじゃ、なんだよコレ!!」


 現状を理解していない男たちは、自分の足先がゆっくりとだが氷始めたことに気がついた。

 惜しいのは、既に足先だけでなく“腰から下”が動かなくなっていることに気がついていないことだ。


「ダンジョン入り前に説明しましたよ、“虫よけスプレーをご利用ください”って。それともスプレーし忘れたのか――ああ、スプレーしなくてもポイズンスパイダーへの対処はできるので、要らないと思ったのでは? “スプレー推奨”なのは何もポイズンスパイダー対策のためだけではありませんよ?」


 そう言いながら、マリナは足元にいた手のひらサイズの蟻を一匹拾った。


「自業自得のあなた方に今一度説明しますと、この“ハンターアント”対策ですよ。この森林階層、それがこの“ハンターアント”。文字通り“狩りをする蟻”です」


 この魔蟻、不思議なことにスプレーするとただの大きな蟻で済む。

 普通の蟻と違って噛まれもしないし、なんなら真横を通っても気づかれないくらい超絶安全。

 スプレーをしていると襲われる心配もなければ、子どもがその辺に落ちている枝で刺せば死んでしまうほどに弱い魔物。


 そんなハンターアントだが実は隠密行動が得意で、気づかない内に忍び寄って獲物に噛みつく。

 獲物は、彼らの持つ麻酔毒の影響で噛まれたことに気づかないまま、噛まれた部分から入った体液による氷漬けが始まる。

 一匹二匹なら噛まれた部分さえ切り落とせば氷漬けも止まるため、命は助かる可能性があるのだが――集団で一斉に噛んできた場合、一瞬で死に至るのだ。


「あっわすれていましたが、木の上に隠れていた受付番号1511と1549は既に。巣へ持ち帰られる前に装備品のみ回収いたします」


 そう。

 先程の獲物を見つけた合図も、既に獲物を狩ったところに風が吹き、合図のようになっただけだ。


 話をしている間も、マリナの視界に映るのはどんどん氷漬けが進む違反者たち。


「さあ、ここで大人しくハンターアントの“餌さ”になるのか。若しくは、“新人潰し”及び“ギルド職員への業務妨害”で警備隊へ差し出されるか。どちらにしますか?」

「どちらじゃねえ!! 早く助けやがれッ!」

「えっ、嫌です」


 仕事は忠実にこなすが業務外の事をしたくないマリナは、思わず即答した。

 今の彼女の頭を占めるのは、“ご飯”という文字だけ。


 聞き分けの聞かないハンターたちのせいで呆れてため息が出たマリナは、魔蟻が増えているのを目端にとらえた。

 ギョッとしてギリギリのところで任務を思い出し、リーダーらしき髭の氷漬けが足より上に上る寸前で拳骨おみまいして気絶させた。

 髭が目を回し始めた隙に、纏わり付く蟻めがけて“虫よけスプレー”を噴射。

 スプレー効果で興味がなくなったのか撤退する魔蟻を無視しし、マリナは備品回収に走った。


 ハンターアントが死体えさを巣へ持ち帰る前に備品回収を終え、気絶中の髭を重要参考人として引きずって連れて帰路につくマリナ。

 本来なら彼女より大きい髭男を魔法などでどうにかできるはずなのだが、ご飯のお預けをくらっているマリナは、八つ当たり半分で引きずって帰ることにしたようだ。

 ただ、氷漬けが進行していた男の太股には、小さく切ったように横筋が一本ずつ入っていた。

 ハンターアントの攻撃は、血が流れる場所までしか凍らないためだ。

 マリナは嫌々ながらも、しっかりと最小限の傷口で重要参考人の氷漬けを止めていたのだった。



 ◇


 マリナたちの帰還後、ギルドで引き渡されたリーダーらしき髭男は仲間バカを失ったが、マリナの処置のおかげで本人が失ったのは両足だけだった。

 髭男には後日、治癒が完了次第ギルドの掟に則り罰がくだされる。

 ギルドの処罰決定後は、他に辛うじて生き残っていた違反者たちも一緒に、警備隊に引き取られる予定だ。


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