1章第5話 冷めた珈琲

 翌日の朝、ソラとウミは指定されたカフェに来ていた。そのカフェはストレイとは別の侵蝕区域の目と鼻の先にあり、避難勧告エリアのギリギリ外に存在していた。ソラは扉を開き、店内へ入る。カランカランとベルが鳴る音と共にコーヒーの香りが、鼻先をくすぐった。店内は侵蝕区域に近いせいか、客はまばらにしかおらずほとんどの席が空席になっていた。店内には静かなジャズが流れており、落ち着いた雰囲気を醸し出している。

 ソラはぐるりと店内を見回す。彼の視線は1人の女性へと向けられた。奥の席で不機嫌そうなぶすっとした表情で頬杖をつき、マドラーでぐるぐるとカップのコーヒーを混ぜ続けていた。銀色の長い髪が光を反射し、水晶のような透き通った瞳でコーヒーを見つめている。彼女が身につけているチェーンアクセサリーが動きに合わせて微かにチャラチャラと音を立てている。


「あの子がティナかな」


 ソラはそう判断した。こんなに落ち着いたいい雰囲気のお店にいるのにイライラしていることが判断理由だ。その女性は淡い水色のトップス、その上に黒の革ジャンを羽織り、灰色のプリーツ付きミニスカートを履いている。そして足には厚底ブーツ。ソラとウミは彼女のいる席へ向かう。近付く彼らに水晶のような瞳が向けられる。


「あんたらがラプターアイ?」


 女性がそう尋ねる。2人は頷きを返す。ソラが口を開き


「そうだよ。君はティナだよね」


と確認する。ティナも頷いて肯定し、カップに口をつけた。ソラとウミがティナと向かい合う形で席についた。ウェイターがこちらに注文をとりに来た。


「彼女のと同じものを2つ」


とソラが注文した。

 しばらくして湯気の立つコーヒーが2人の前に置かれる。ソラは傍に添えられた砂糖とミルクの内、ミルクを注いで砂糖をウミに渡した。ウミはそれを受け取り全てコーヒーに入れた。2人はコーヒーの香りを楽しんだ後、それを口に含んだ。コーヒーの苦味とほのかな酸味が口の中に広がった。


「で、何で2人いるの?」


 一通りコーヒーを楽しむ姿を見届けたティナが質問した。


「僕らは2人でラプターアイなんだよ。僕はホークだ」


 とソラが説明する。


「そしてうちがイーグルだよ、よろしくねティナさん」


 ウミも続けて自己紹介する。


「ああ、なんか昨日ホークがどうだとか言ってたっけ。まぁ、いいわ、確認するけどあんたらが荷物を運ぶ先と時間を知っているのね?」


 ティナは鋭い視線を2人に向ける。


「ヴォルフからの情報だけどね」


「なら、間違い無いわね。あいつはムカつくけどこういった情報の正確さは疑いようが無いから」


 ヴォルフの話をした途端に不機嫌さが増したが、彼女の言葉は意外にも彼を褒めるというか認めているようなものだった。

 昨日の印象から予想したことと異なる発言をしたティナを見て、ソラは意外と言う感情が表情に漏れ出る。


「何よ、その顔」


「いや、何でも無い、続けてくれ」


 ソラは首を振りつつ表情を戻す。


「それで場所が侵蝕区域内だから仕立て屋シュナイダーが必要と。……ヴォルフのことだからあんたらがそうなんでしょ? 昨日もそんな感じのこと言ってたし」


「そうだよ〜、うちらはできる仕立て屋シュナイダーだよ」


 ウミがニコリと笑う。


「自分で言うのね。でも、あたしは仕立て屋シュナイダーに嵌められて今の状況になってるの。あんたらを簡単には信頼できない。だから、遠隔からの道案内だけそれ以上は手出ししないで」


 ティナはきっちりとした線引きを提案する。道案内はいわゆる仕立て屋シュナイダーの本分である。なので、普段の依頼ならそれでもいいが、今回はヴォルフに単なる案内人以上の実力を示し、彼に気に入られる必要がある。そんな事情もあって道案内のみでは譲歩できない。


「僕らにも立場がある。だから、その提案を受け入れるのは難しい。それに嵌められたってどう言うことだ? 君と組んだ仕立て屋シュナイダーは行方不明じゃ」


「ヴォルフのやつ、あたしの報告を真に受けたのね。ざまぁみろだわ」


 ティナは悪い顔でにやりと笑った。

 どうやら聞いていた事情とは少し違うらしい。ウミも同様に疑問を感じたらしく口を開いた。


「うちらが持っている情報と違うね、何があったの?」

 

「はぁ、しょうがない。一度しか言わないから」


 ティナはバツが悪そうにそう言いながら状況を説明した。

 ティナと組んでいた仕立て屋シュナイダーは彼女を裏切り、物資を手土産にシャードに取り入ったらしい。突然、何人もの半グレに絡まれたティナは仕立て屋シュナイダーの持つ荷物を奪い返せず撤退するほかなかった。案内人を失い、帰り道の経路計画もなかった彼女は経験を頼りに侵蝕区域を彷徨い歩き、対侵蝕薬剤を使い切る直前で命からがら区域外へ出ることができたそうだ。ストレイでの活動経験があるとはいえ仕立て屋シュナイダーなしで侵蝕区域を出れたことはたまたま拾った宝くじが一等だったときレベルの幸運と言える。

 そして、ヴォルフが特定したのはおそらくその仕立て屋シュナイダーがシャードに貨物を献上する場所なのだろう。情報を探る途中でこの真実に気付いてもおかしくないが、ヴォルフにとってその違いは些事だったのだろう。


「わお、それは大変だったね。話してくれてありがとう」


 ウミは想像を超える話に驚きの表情を見せる。仕立て屋シュナイダーという道標を失って侵蝕区域を出ることができたのはとんでもない幸運だ。その苦労は推し量るに余りあるものだろう。


「僕らはヴォルフからの信頼が欲しいんだ、裏切る理由がない」


 ティナの水晶のような目が鋭く光る。


「裏切る理由がない、ね。人間なんて状況が変われば容易く裏切るのよ。シャードの連中に大金を積まれたら? 少しは裏切りを考えるでしょう?」


 彼女の試すような物言い。


「いいや、僕らは金じゃなくて、ヴォルフの持つ情報が欲しいんだ。情報が得られなくなるような愚行をおかすつもりはない」


 ソラは鋭く目を向け返す。ティナは彼の言葉を聞きながら、硬い表情のまま視線を外さなかった。彼女の心の中で葛藤が渦巻いているような表情だ。

 沈黙が3人の間に流れる。しばらくしてティナが髪の毛をくしゃくしゃとかき乱しながら口を開いた。


「……ああもう、分かった、あんたらと一緒に仕事してあげる。でも、覚えておいて少しでも怪しい動きをしたら容赦しないから」


「それで構わない」


「やった! ティナさんよろしくね、うちらと組んだこと後悔させないから!」


とウミが嬉しそうに言葉を発した。ティナはふん、と外を眺めながら、もう湯気の立っていない冷めたコーヒーを口にした。その表面に映る彼女の表情は複雑そうであった。


 ようやく協力関係を結ぶことに成功したラプターアイとティナは情報を共有し、計画を立て始めた。

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