序章第5話 侵蝕の影に
侵蝕区域に入ると外から見た時と変わらずそこにはショッピングモールがあった。だが、これが本当に建設された物でない。そもそも工事はかなり前からずっと止まっている。ここにショッピングモールがあるはずがない。それにも関わらずショッピングモールが存在している。これは侵蝕を生み出すルイン結晶には人の認識、認知によってその空間や結晶そのものを変化させるという性質によるものだ。つまり、建設関係者が心の中で描いている“完成形のイメージ”に影響を受けて、侵蝕区域内にそのイメージが実体をともなって生成されているのだ。バナー広告がモザイクで読み取れないのは人によって違う広告の内容をイメージしているから、もしくは誰も内容のイメージができていないからであろう。このショッピングモールは侵蝕が消失すれば維持できずに消え、
認知の歪みで無関係な空間が連結され、急に別の場所に飛ばされる可能性があるので細心の注意を払いながら前と進む。
「
ソラが通信機に向かって言葉を投げる。
『んー、ちょっと待ってね。
ウミは淡々と作業を進めていく。言葉の隙間からカタカタとキーボードを操作する音が聞こえてくる。
『……事前データとの整合確認。ペルセプトリンク確立、感覚情報を取得。データベースと照合……完了。全て問題なし。模擬侵蝕区域起動……予測データを取得。ウォッチアイに修正データ送信したよ、確認して』
早口で作業を一気に進めたウミからの情報を受け取る。
ウォッチアイ上に視界・マップ修正データが送られてきたのを確認する。定期的に更新する必要はあるがこれがあればある程度の認知、認識の歪みによる空間のつながり変化にも対応できる。定期的に誤差修正データを作成し、模擬侵蝕区域という侵蝕区域のシミュレーターの正確性維持と道案内がウミの仕事だ。そして、ソラはその情報を頼りに実際の侵蝕区域を探索する。
「確認した。
『侵蝕エネルギーからポイントを予測したよ、案内するね』
ソラはウミの案内に従い、侵蝕区域の奥深くへと進んでいく。認知の甘いであろう建物の壁や地面などが不安定に揺れ、ソラの視線を惹きつける。もう一つ視線を惹きつけるものとして地上に無数に生成されている赤い石、ルイン結晶がある。そんな結晶と存在の不安定感がある建物の中を最大限の注意を払いながら進む。
『そこから少し進んだところに屋外テラスがあるんだけど、そこの侵蝕エネルギーの変動量が周りと比べて大きいの』
侵蝕区域での活動を幾度となく繰り返してきたソラには彼女が何を言わんとしているかがすぐに理解できた。
「ルイン結晶の違法採掘か、企業ぐるみで隠蔽してたとすればA.E.Rが来ないのも納得だな。イーグル、案内を頼む」
『任せて! 10m直進したら左折して』
ソラは彼女の指示を聞き、道を進む。そこには高密度の侵蝕エネルギーだまりがあった。赤黒い煙のような見た目をしたそれは少し不気味さを帯びている。あまり触れたいと思えるようなものではない。
「
ソラは見たままを報告する。どう考えても通り道には見えない。
『うん、それであってる。そこに飛び込めば3階の屋外テラス付近に出るはず』
ウミはそう返す。
侵蝕区域内は認知などの影響を受けて空間そのものが歪み、無秩序に連結されることが往々にしてある。そういった場所に足を踏み入れると、いわゆるテレポートのように別の場所へ移動する現象が起こる。それ故に侵蝕区域内部をよく知る人間か観測データを処理できる人間なしで区域内ではまず迷子になってしまう。
ソラは少し躊躇いの表情を浮かべたがすぐに決心して、エネルギーだまりに足を踏み入れた。空気が揺らぎ、視界が不明瞭になる。無秩序に連結された空間を通り抜ける瞬間、耳には歪んだ音が鳴り響いた。視界が戻ってくると目の前に屋外テラスへの入口が現れた。
『気分はどう? 大丈夫?』
「……エネルギーだまりに突っ込むのはやっぱりいい気分じゃないな。なるべく回避してもらえると助かる」
ソラは首を振って意識を正気に保った。
なんだかまだ視界が歪んでいるような気がする。
『ごめんね、そのエネルギーだまりが道を塞いでたから突っ切るしかなかったの』
そう言われて後ろを振り返ると彼女の言うように道はエネルギーだまりによって塞がれていた。それはつまり、帰りもエネルギーだまりをくぐらなければならないということである。その事実にソラは少しテンションが下がった。
「それは……まあ、仕方ないな。気を取り直してテラスに行こう」
『気取られないようドローンを近くに飛ばしてないから、まずは隠れて情報を得た方がいいかも』
ソラは姿勢を低くし、音を立てないように慎重に進む。体を支えるためについた手からひんやりとした石の感触が伝わってくる。
一歩、一歩近付く程に作業の音や話しあう声が大きくなってくる。彼らはルイン結晶の採掘に夢中にらしく、接近するソラに気付く様子はない。ソラは角から顔を覗かせ様子を見る。数人の男が装置を使って結晶を採掘している。おそらく事情を知り、隠蔽に協力している従業員だろう。加えて談笑している男が2人、目に入った。そのうちの片方がソラの目を引き付けた。ここにいるはずのない人間がいたのだ。
ソラは声を聞かれないように少し現場から離れてウミとの通信を開いた。
「
ソラは声を小さく抑えてウミを呼び出す。
『ちょっと待って、今確認する。……嘘、どういうこと? どうしてA.E.Rのバッチをつけた人がいるの?』
ウミが困惑の様子を見せる。ソラも同じ気持ちだ。
取り締まられる側が言うことではないが、違法採掘などを防止するのがA.E.Rの仕事のはずだ。それがどうして違法採掘者と一緒に談笑しているのだろう。
『つまり、A.E.Rがいつまでも調査に入らなかったのはA.E.Rそのものが違法採掘に加担してたからってこと?』
「従業員がメイリンに依頼を出したのは、善意の通報をA.E.Rがもみ消し続けたせいかも」
ソラが推測を口にする。侵蝕現象に対処するA.E.Rが違法採掘に加担してたのだから、ここの侵蝕区域関連の通報に対応するはずがなかったのだ。
『どうする、うちらが出てったらA.E.Rは権限を使って逮捕してくるよ、多分』
「だからって放っておく訳にはいかないだろ」
ソラたちも違法に活動している側の人間だ。だからこそ、単なる違法採掘なら確認するだけにとどめて目を瞑り、調査を優先したかもしれない。だか、侵蝕現象に対応し、違法に侵蝕区域に入るものを断罪するA.E.Rが違法な活動に加担しているとなると話は別だ。最終的にこの侵蝕区域を消すのにはA.E.Rの組織としての力が必要である以上、通報を揉み消される現状を打破する必要がある。
そして、ソラもウミも侵蝕やパージによって関係のない人間が命を失うのは認められない。歪んだ正義感かもしれないがこれは譲れない。
『うちも同じ気持ちだよ。でも
「ああ、わかっているよ」
ウミの後押しを受けて決心したソラは立ち上がり、存在を隠すことをやめて屋外テラスへ歩みを進める。
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