「死と乙女」
白い壁、充分にニスの塗られた床。レースのカーテンからは、冬の午後の陽射しが射し込む。
部屋の中央にはその巨躯を収める大きなベッドがあり、画家が横たわっていた。掛けられたシーツは途切れ途切れに上下する。ベッドの右側には木のスツール脇に画材道具を置いて、画家の弟子、若い画家が座り、震える膝を押さえている。そしてベッドの左側には、黒い襤褸を着た、背の高い死神がふたりの画家を見下ろしていた。
「女から手紙を預かっている。戦地からだ」
死神の声は、木の洞を通り抜ける風のようだった。この死神は自分を迎えに来たのではないのか、今際の際の画家は死神の顔を床から見上げるが、目が合うことはない。戦地、と若い画家が溢した。
先生。
私は今、従軍看護師として戦地におります。毎日のように若者達が死んで行きます。ある若者は、砲弾により失った右手を上げ、ママ、と私に言って死んで行きました。またある若者は、血に染まったハンカチーフを故郷の恋人に届けて欲しい、と私に言って死んで行きました。ここでは、毎日のように若者達が死んで行きます。
そして今、私も猩紅熱に冒され死の淵を彷徨っています。ベッドの傍らには既に死神が立ち、私の死を待ち構えているようです。怯える私に彼は、これは安息である、と言いました。そうなのかもしれません。死が安息であるならば、生は苦痛。先生を失った苦痛こそ生。
死んで行った若者達のように、私はこの手紙を死神に託します。先生にムーサのご加護がありますように。
「これは、どちらの先生宛か」
お前か、と掠れた声で画家は若い画家に言う。若い画家はそうかもしれません、と返した。しかし手を離したのは女の方なのだ、若い画家は思った。
若い画家の父は梅毒に脳を冒され、錯乱のまま死んだ。その病は母に、兄弟達に手を伸ばした。自分も同じ病に冒されているのではないか。若い画家は自ら死神を描き、常に傍らに置いた。
生とは性であり、性とは死である。若い画家の描いた死神は、彼の耳元で囁き続けた。
幼い妹の衣服を脱がしポーズを取らせる。美しい少女の裸体。これは生か死か、若い画家は傍らの死神に問うた。その答えが分かる前に、若い画家の妹は去って行った。
若い画家のキャンバスの前には、入れ替わり立ち替わりに裸の少女が立ち、その都度彼は死神に同じ事を問うた。自分の中にある、これは生なのか、死なのかと。
彼を見つけたのは画家であった。若い画家を支援し、モデル料を肩代わりし、愛人でもあったひとりの少女を、若い画家にあてがった。
少女は若い画家に献身的であった。どんな要求にも応え、衣服を脱ぎ、あらゆるポーズをとった。
また、ある時は幼い少女と関係を持ったと裁判にかけられ、目の前で絵を燃やされ、投獄された若い画家の収監先の窓から、少女はオレンジを投げ入れた。少女は芸術の奉仕者であった。
若い画家と少女は、住処を点々とする。ある時は、アトリエに娼婦が出入りする、と追い出された。ある時は、卑猥な絵を描くと噂され追い出された。庭先で裸の少女を描いている、と追い出された。
それでも少女は若い画家に付き従い、若い画家は少女を描き続けた。その間、死神は大人しくしていた。
師の後押しもあり、画家として成功し始めた若い画家は、少女に紹介された資産家の娘の姉妹に求婚した。少女は、若い画家との生の先に、自分との将来がないことを知った。
立ち去ろうとする少女を、若い画家は抱き竦めた。肩を抱き、頭をかかえ彼は言った。夏には一緒にヴァカンスに行こう。
彼の背中に回していた手を離し、少女は部屋を出て行き、若い画家は黙ってそれを見送った。
若い画家は死である性を憎んでいた。少女が去り、若い画家の傍らからは死神が消えていた。
安息である、背の高い死神は体をたたむように折り曲げて画家の耳元で言った。最後に、ふっと小さく息を吐き画家が死ぬと、若い画家はその顔をスケッチした。本来の画風と違うシンプルな線で、父と慕った画家の死顔を。
夜は更け、画家の部屋には若い画家と、かつて彼が描き、産んだ死神がふたりきりである。
少女と死神が去り、初めて死から開放された若い画家は、少女を愛している事に気がついた。しかし安息が欲しかったのだ。そう言って死神を残し画家の家を去った。
同じ年、若い画家の子を宿したまま妻が流行り病に倒れ、その三日後には同じ病で若い画家も死んだ。二十八歳であった。
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