日本三景でした。
僕が目を覚ますとそこは日本情緒溢れる港町だった。
「目が覚めた?」
そう言って三日月の目で笑う部長を見上げていた。背中には刈り揃えられた芝生のちくちく、とした感触。さざめく波の音と、見上げた部長の後ろの空の青さが、間近の海を連想させる。
小説の取材の名目で、部長とふたり海辺の観光地。寝転がっていた体を起こし背伸びをすると、肘から青い芝生の葉が落ちた。シャツの背中に半ば刺さったような芝生を、部長が被っていたベージュの帽子ではたいてくれる。はたいてくれるのはいいけれど、どうして三三七拍子なんだろう。
その理由を尋ねてみたら「応援?」と部長が首を傾げ、その拍子に耳にかけた部長の黒い髪がさらり、白い頬に流れる。
「さて、どうしようか?」
そう言って、イマジナリー部長はもう一度首を傾げた。
ここは『8時だョ!全員転生』のスタート地点。しかし書き上げた『8時だョ!全員転生』は、白紙に戻っていた。残っていたのはゲームブック、と言う概念だけだ。
純文学生徒会長を『イマジナリー文芸部』の第二稿へ改変時の削除から守る、シェルターとしての役割を持たす以外、部長には書き直す余裕もなかったようだ。
ただ、ゲームブックの概念は今、みざりぃからの追撃をも防いでくれている。ゲームブックはひとり用なのだ。
「どうする? 水族館に行く? それとも遊覧船?」
ここにもゲームブックの概念。
部長に質問されて周りを見渡す。そこには青いリンクのアドレスは見当たらない。つまり正解の選択肢は用意されておらず、自分でその先を描写して行くと言うことだ。
そして「次のエピソード」を押すと混沌の迷宮入り。まあ良い、どの道すでに混沌としている、そう思った。このままこの白紙の『8時だョ!全員転生』に描写を連ねるんだ。
「実は船酔いするんですよ」
「あはっ、そういう事は先に教えてよー」
そう言って先に立ち上がった部長に手を引かれた。白く手細い部長の指は思いのほか力強く、そして少しひんやりした。
水族館の裏手の路地をふたりで歩く。町営駐車場から続くこの裏道の利用者は多く、お昼時には焼きイカの焦げた醤油の匂いが香ばしい。
その屋台と裏道を挟んだ反対側はもう湾内だ。島と言うには小さな緑が、見渡す限り点在する。東北を弟子と歩いたかの俳人も、同じ景色を見たのだろうか。
水族館の入口でチケットを買いゲートをくぐる。最初に出迎えてくれるのは、水中を飛ぶように泳ぐペンギンだ。
「久しぶり。また会いに来たよ!」
そう言って水色のペンキで塗られたコンクリートの床を、手を振りながら部長がペタペタ小走りに水槽に近づく。それを後ろから眺めながら館内を見渡した。
左には、小学生のクラスひとつでギリギリいっぱいくらいの、アシカショーの小さなステージ。右には、美味しくも不味くもないラーメンや、カレーが出てくるフードコートとその奥に、コースから外れ、あまり人も訪れないビーバーの飼育場。
懐かしい、そう思ってこの場所が、本当はもう存在しない事を思い出した。震災の津波のあと、なんとか持ち直したこの水族館も老朽化の為、今は別の場所に移転した。その前に何度も訪れたのは、遠く離れた地元の、寂れた小さな水族館を思わせたからだろうか。
水族館のエントランス、頭の上の館内放送用スピーカーからアナウンスされる、アシカショーの案内に『
「小学校のね、遠足で来たんだ」
ペンギンの水槽のガラスに額がつく程近付いて、部長がぽつり溢した。その横顔が、なぜかみざりぃと重なって見えるのはどうしてだろう。どうして、人は郷愁にいとも容易く溺れるのだろう。
『郷愁とは心の奥底に沈殿し、体を蝕む劇薬なのだ』なんて勢いだけで書いたけれど、今はそれが本当の事みたいに思える。
「次、行こっか」
名残惜しそうに、部長はペンギンの水槽の前から立ち上がった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます