夢(アナザー「附子」)

@Ak_MoriMori

夢(アナザー『附子(ぶす)』)

始めに・・・

 この物語は、狂言『附子』からインスピレーションを受けた作品である。

 附子をベースにし、作者なりに『ひねり』を加えたこの作品は・・・


 『つまらんぞ!』


 さてと・・・伝えるべきことはとりあえず、伝えた。

 この先を読むかどうかは・・・貴方次第である。


・・・・


 昨晩、太郎助は夢を見た。

 どんな夢だったかは思い出せないが、とにかく夢を見た・・・とびっきりの夢を。

 とびきりであればあるほど思い出せない。夢とはそんなものである。

 しかし、そんなものであるとわかっていながらもあきらめきれず、太郎助は必死に見た夢を思い出そう、思い出そうと頭の中をこねくり回していた、そんな矢先のことである。


「太郎助! 太郎助はあるか?」


「はっ、ただ今ッ!」


 お館さまの呼び出しを耳にして、大きな声でひとつ返事をすると、太郎助はいったん夢のことを忘れ、急いで参上した。


「太郎助、ここに! 何の御用でございましょうか?」


 お館さまの書斎には、既に同僚の次郎助が背筋をピンと伸ばして正座していた。

 その隣に太郎助も背筋をピンと伸ばし、正座した。


「うむ、太郎助、次郎助よ。

 わしはこれから山ひとつ向こうに出掛けねばならぬ。

 日が暮れる前には帰ってこよう。

 ひとつ、お前たちに伝えておかねばならぬことがあるのじゃ。」


 そう言うと、お館さまは卓上の風呂敷に包まれたものを手にした扇子で指した。


「あれにはな・・・『附子』という猛毒が入っておるのじゃ。

 木箱の中に小さい茶壷が入っておってな、その茶壷の中に附子が入っておる。

 附子は猛毒ゆえ、その瘴気に当たっただけで死んでしまうのじゃ。

 それゆえに厳重に包んでおるわけじゃな。

 よいか、太郎助、次郎助よ! 決してこれを開けるでないぞ!

 開けるなと言われたら開けたくなるのが人の情けというもの・・・しかしじゃ、開けた瞬間、お主らの命はなくなるのじゃぞ。

 決して開けるでない・・・よいな?」


「はっ!」 


 太郎助と次郎助は同時に返事をし、互いの顔を見合った。

 次郎助は、附子の話によほど怯えたのだろう、青い顔をして震えているように見えた。

 太郎助は、そんな次郎助のことを『この臆病者めッ!』と腹の中でののしりながらも、次郎助に優しく笑いかけた・・・そんなに怯える必要はないと。

 そんな太郎助の薄ら笑いを目にした次郎助は、ぷいっと顔を背けた。


 さて、お館さまが山ひとつ向こうへと出かけていった後、太郎助と次郎助は、それぞれの仕事に取りかかったのだが、太郎助はどうしても仕事に集中できなかった。

 何かが頭の中につかえていたのである・・・つい、先ほど見たものをどこかで見たことがある、そんな思いが頭のなかを駆け巡っていたのである。


 はて・・・どこで見たのじゃろうか?

 あの附子とかいう猛毒の風呂敷の色柄・・・あの色柄、どこかで見覚えが。

 いや・・・お館さまが附子を扇子で指した光景そのものを見たのじゃ。

 はて・・・いったい、どこでいつ見たのやら・・・・あっ!


 太郎助は、右手の握りこぶしを勢いよく左の手の平に打ちつけた。

 ようやく、昨晩見た夢の内容を思い出したのである!


 太郎助は、別の場所で仕事をしていた次郎助に声をかけると、お館さまの書斎へと向かった。


「太郎助殿、どうしたのじゃ? 」


 次郎助は、そう言いながら附子が置いてある卓のそばにでんっと車座に座った。


「むぅ・・・次郎助殿! もぅちぃ附子から離れて座ったほうがよいのでは?」


「すわっ! わしとしたことが・・・これは猛毒。その瘴気に当たっただけで命を落とす代物じゃったな。危ない、危ない。太郎助殿、感謝いたす。」 


 次郎助は、慌てる素振りもなくゆっくりと立ち上がると、卓からわずかに離れたところに再び、でんっと車座に座った。


 太郎助は、妙な気持ちを抱いた。

 附子が猛毒と聞いた時に青ざめていたはずの男が、その附子の近くに怖気つくことなく座っていることに違和感を感じたのである。

 しかし、昨晩の夢を思い出し、興奮している太郎助にとってはどうでもいいことであった。


「して・・・どうなされた? 太郎助殿。」


「うむ、聞いてくだされ。次郎助殿。

 わしは、昨晩、夢を見た・・・この附子の夢じゃ。」


 太郎助は、興奮気味に・・・身振り手振り、放屁も交えて昨晩の夢の話を始めた。


「夢の中でな、わしらは、今朝と同じようにお館さまに呼ばれたのじゃ。

 今朝とまったく同じじゃ。そして、わしらは留守番をすることになったのじゃがな、わしが・・・そのぉ・・・中を見てみたいと言い出したわけじゃ。」


「ほぅ、ほぅ。 して・・・いかに?」


「それでな、扇子を使って附子の瘴気がこちらに来ぬよう、『あおげ、あおげ!』『あおぐぞ、あおぐぞ!』とか言いながら二人で必死にあおいでなぁ。

 ぷぷぷっ(『ぷりっ』と、ここで放屁)。」


「放屁はいらんぞ! して・・・いかに?」


「うむ、結局な、あおぐ必要なぞ・・・なかったのじゃ。

 そこにあるのは、附子ではなく・・・『砂糖』じゃ。

 茶壷の中には、とろーり、あまぁい砂糖が入っておったのじゃ!」 


「むぅ、そうか。 して・・・いかに?」


「うむ、わしらは、それをすべて平らげてしまったのじゃ。

 このままでは、お館さまに叱られてしまうということで一計を案じるのじゃがな。

 これが功を奏し、わしらは叱られずにすんだのじゃ。

 めでたし、めでたしという塩梅じゃ。

 その一計がな、ぷぷぷっ(『ぷりっ』と、ここで再び放屁)。」


「やめられよっ!」 


 突然、次郎助の怒鳴るような大きな声が、部屋中に鳴り響いた。

 太郎助は、びくりっと体を震わせた。

 こんな大声を出す次郎助を見たことがなかった。

 次郎助は、太郎助の後輩にあたるが、年齢は太郎助よりも一つ上である。

 次郎助は温厚な性格であり、太郎助のことを弟のように思っているのだろうか、太郎助の様々な所業を大目に見てくれるし、たまには一緒にいたずらもする仲である。

 そんな次郎助が、今、その眼をらんらんと輝かせ、まるで憎たらしいものを見るかのような目つきで太郎助を睨みつけていたのである。


「・・・。」


 太郎助は、これ以上、話を続けることが出来なくなった。

 そして、次郎助のらんらんと輝く眼から逃れるかのように目を伏せた。

 しばらくの間、沈黙が部屋の中を支配していたが、次郎助はその恐ろしい顔を破顔させると、頭をはたきながら大きな笑い声を上げた。


「はっ、はっはっはッ、あいやっ! わしとしたことが。

 これはすまんのう、太郎助殿・・・急に大声を出してしもうて。

 しかしな、それは太郎助殿の夢の話にすぎぬ。

 まさかとは思うが・・・正夢とでも思うておるのか?」


「むぅ・・・わしは正夢と思うとる。それを確かめるのも一興じゃろう?」 


「太郎助殿・・・それはならんぞ・・・絶対に・・・ならん。」 


 次郎助は、静かに太郎助に言いきかせた。

 口調は静かであれど、激しく煮えたぎる何かを抑えつけているよう口調であった。

 しかし、それでも太郎助は、あきらめることができず、横目で附子を眺めた。


「ならんぞ! 仕事に戻られよ、太郎助殿!」


 次郎助が急に怒り始めた理由が、太郎助にはまったくわからなかった。

 しかし、これ以上怒らせるのは得策ではないと考えた太郎助は、しぶしぶ、自分の仕事に戻ったのであった。


 とはいえ・・・

 夢の中で、とろーりとした砂糖の甘みが口の中いっぱいに広がっていく幸せを味わってしまったからには、やはり、この現実でも味わわなければならぬ!

 えぇいっ、こうなったら・・・わし一人だけでも!


 と、やはり、あきらめがつかぬ太郎助は、どかどかと書斎へと向かった。

 すると、どこからともなく、すぅっと次郎助が目の前に現れた。


「ならぬぞ・・・太郎助殿。」


 先ほどの態度とはうって変わり、次郎助は、にこやかに太郎助を通せんぼした。

 太郎助は安堵した・・・いつもの次郎助がそこにいたからである。

 そして、つい、いつもの軽口が口から飛び出した。


「次郎助殿・・・どうなされた? いつものお主らしくないぞぇ。

 いつものお主であれば、わしと一緒にあの附子の箱を開けるじゃろうに・・・。」


「太郎助殿・・・残念ながらのう、お主の知っておる次郎助は、昨晩・・・死んだのじゃ。」


「死んだ? 何を馬鹿なことを・・・。」


「死んだのじゃ。 とにかく、もう、あきらめよ。

 わしは、ここを絶対にどかん・・・ぞッ!」


「むぅっ・・・。」 


 太郎助は身構えると、通せんぼする次郎助の隙を伺った。

 こうなったら、強行突破を計るまでである・・・太郎助は、相撲には自信があり、事実、一度も次郎助に土をつけられたことはない。

 しかし今、不思議なことに太郎助の体は、ぶるぶると震えていた。

 本能的に察したのである・・・今、なぜか寂しそうに笑う目の前の男に勝つことは出来ないと。何かとてつもなく恐ろしい力が、次郎助から発せられている。

 たしかに次郎助の言う通り、今までの次郎助は死んだのかもしれない・・・なぜだか、そんな気がした。


「はぁ・・・残念、無念じゃ。次郎助殿のご覚悟、あいわかった。ここは退こう。」


「馬鹿なことはもう・・・考えなさるなよ・・・太郎助殿。」 


 太郎助の意気が完全に消沈したのがわかったのであろうか、次郎助から発せられていた恐ろしい力は消え失せ、寂しそうな笑みも消え、いつもの次郎助の笑顔だけが残っていた。


 さて、しばらくして・・・。


 予定通り、日が暮れる前にお館さまが帰って来た。

 お館さまは、卓上の附子を一瞥すると「うむ」と大きく頷き、手にした扇子をばさりと開き、自分の口も開いた。


「むぅっ、どうやら言いつけはきちんと守ったようじゃな・・・ふむっ。

 次郎助よ、お主は扇子を開け。

 太郎助よ、お主は附子の箱を開けよ・・・なぁに、心配無用じゃ。

 お主に附子の瘴気が当たらぬよう、わしと次郎助が扇子であおぐゆえ、お主は安心して、附子の箱を開くが良いぞぇ。」


 次郎助はお館さまの隣に行くと、自分の扇子をばさりと開き、大きくあおげるように身構えた。

 太郎助は附子の箱の前に立ったものの、困惑した面持ちでお館さまと次郎助の顔を代わるがわる眺めた。

 昨晩の夢が正夢であれば、目の前に箱の中に入っているのは砂糖であり、恐れる必要はない・・・しかし、これが正夢であるという根拠はまったくない。

 つい先ほどまで、あれほど正夢だと思いこんでいた自分のことが、『とびっきりの阿呆』のように思えてならなかった。


 そんな太郎助の様子を見ていたお館さまは、意地の悪い笑みを浮かべると、手にした扇子で大きく縦にあおぎ始めた。


「そぉれ・・・あおげ! あおげ!」


「あおぐぞ! あおぐぞ!」


と、次郎助もお館さまに呼応して、手にした扇子で大きく横にあおぎ始めた。 


 太郎助は、妙な気持ちになった・・・夢で見た光景が、今、目の前で繰り広げられているのだ。ただ、太郎助役を演じているのがお館さまであることに不満を抱かざるを得なかった・・・わしゃぁ、もっといい男じゃ!と。


「あおげ! あおげ!

 ほぉれっ、太郎助! 早う、風呂敷を取らんかい!」 


「あおぐぞ! あおぐぞ!

 太郎助殿! わしらがあおいでおるゆえ、安心して風呂敷を取られよ!」 


 太郎助は、自分には、もはや選択肢はないことを悟った。

 そして、『あの阿呆どもがッ!』と腹の中でののしった・・・あんなに遠くから扇子であおいだところで、猛毒の附子から生じる瘴気を払えるはずがなかろうと。

 しかし、人は窮地に追い込まれると、頭の回転が速くなるものである。

 ここでついに、太郎助に妙案が浮かんだのである。


 太郎助は、腰帯に挟み込んでいた扇子を左手で取り出すと、ばさりと開いた。

 そして、左手で小刻みに扇子であおぎつつ、右手で木箱の風呂敷の結び目を四苦八苦しながら解くことに成功した。


 はらり・・・と、附子が入った木箱が現れた。

 ちょうど太郎助の正面にある板を引き上げれば、箱の中身が見れそうだった。


「よぉしっ、ようやった!

 さあ、太郎助よ、このまま、その板を引き上げるのじゃ!

 ほぉれ、ほぉれ、あおげ! あおげ!」


 お館さまは、子供のようにはしゃぎながら、扇子で横に大きくあおぎ始めた。


「さぁさっ、あおぐぞ! あおぐぞ!

 太郎助殿! わしらがあおいでおるゆえ、安心して板を引上げられよ!」


 と、次郎助もお館さまに呼応して、手にした扇子で大きく縦にあおぎ始めた。 


 太郎助は、左手で小刻みに扇子であおぎつつ、体をやや後方にのけぞらせながら、右手の親指と人差し指を正面の板の出っ張りにひっかけた。

 そして、『あの阿呆どもがッ!』と、再び、腹の中でののしった・・・附子の瘴気を払っているのはお主たちではない、このわしじゃ!と。

 

 えいやっ!とばかりに、太郎助が正面の板を引き上げると、箱の中に茶壷がひとつ鎮座していた。

 茶壷は、その蓋を覆うように油紙とひもでしっかりと封印されているようだった。


「よぉしっ、ようやった!

 さあ、太郎助よ、今度は茶壷の蓋を開けるのじゃ!

 そして、中身をとくと見よ!」 


「お館さま! それは無理でございまする。

 この茶壷の蓋は、とても片手で開けることは出来ませぬ。

 そこで、お願いがございまする。もっと近う寄ってあおいでくだされんか?

 さすれば、わしは両手を使うことが出来ますゆえ・・・。」


「あいわかった・・・次郎助よ、聞いたな。

 太郎助の隣で、あおいでやるがよい。」


 お館さまにそう言われた次郎助は、扇子であおぎながら太郎助の隣に立った。

 それを見届けたお館さまは、あおぐのを止め、扇子で自分の顔を隠した。


「あな恐ろしや・・・果たして、どんな惨事が起こるのやら?

 太郎助、早う早う、茶壷を開けるのじゃ。

 開けたら、『開けた』と言うのじゃぞ。」


 太郎助は『この阿呆めッ!』と腹の中でののしった・・・いくら主人とはいえ、不吉なことを口走ったことに強い怒りを感じたのである。

 しかし、それでも太郎助は、両手を使って紐の結び目を解き、蓋を覆っていた油紙をゆっくりと取り外した。

 そして、茶壷の蓋に手をやると・・・次郎助に目で合図を送った。

 次郎助は小さくうなずくと、今まで以上に手早く、小刻みに扇子で縦に横にとあおぎ始めた。


 太郎助は、焦るな、焦るなと一呼吸おき・・・そして、勢いよく茶壷の蓋をすっぽぉーんと取ると、大きな声で叫んだ!


「太郎助ッ、開けたりぃッ!」


「あっ!」


 と、まず声を発したのは、次郎助であった。

 そして、その後に続いて、太郎助も声を上げた。


「『空っぽ』でござる! 茶壷の中身は空っぽでござる!」


 扇子で顔を隠したお館さまは、大きく体を揺り動かした。

 堪えていた笑いは、ついに口元から洩れ始め、大きな大きな笑い声となった。

 そして、満面の笑みのお館さまの顔が、扇子の影からひょっこりと現れた。


「わっはっはぁっ・・・そうじゃ、空っぽじゃ。

 お主らに謝らなければならぬのう・・・わしはな、お主らを試したのじゃ。

 それも・・・昨晩、へんてこりんな夢を見たがゆえ。」


 お館さまは、笑いながら扇子をぱちんと閉じると、どかっと車座に座り、太郎助と次郎助にも座るよう促した。

 二人は、互いに顔を見合わせながら、背筋をピンと伸ばして正座した。


「昨晩、わしは夢を見たのじゃ。

 お主らが、わしの言いつけを破り、附子と偽った砂糖をすべて平らげてしまうという、なんともへんてこりんな夢じゃ。

 わしが空っぽの茶壷を見つけたところで・・・まぁ、目が覚めたわけじゃが。

 それで、わしは気になってしまってのう・・・夢の話とはいえ、それが真かどうか試したくなるのが、人の情けというものじゃからのう。」


 太郎助は、内心どきりとしつつも次郎助の方を伺った。

 次郎助が告げ口をするような男ではないことは重々承知であるものの、わずかながらの不安が頭の片隅をよぎったのである。

 そして・・・その次郎助はというと、何かを決心するかのように軽くうなずくと、その口を開いたのである。


「ところで、お館さま・・・お聞きしたいことがござる。

 なにゆえに・・・茶壷の中身を空っぽになさったのでしょう?」


 それを聞いたお館さまは、扇子をばさりと開くと、それで顔を隠し、しばし間を置いてから重々しく口を開いた。


「むぅっ・・・『念のため』・・・じゃ。」


 一瞬、重苦しい空気があたりを包み込んだ。

 しかし、すぐに扇子の影からお館さまの満面の笑みがひょっこりと現れ、扇子をぱちんと閉じながら口を開いた。


「まあ・・・所詮、夢は夢じゃったというわけじゃ。

 お主たちに褒美をつかわす・・・町で茶菓子をたくさん買うてきた。

 もし、木箱を開けておったら、お主らの前でわしがすべて食うつもりじゃったのだがのう・・・わっはっはぁっ。さぁさっ、茶会の準備をせいっ。」


 さて、しばらくして・・・。


 夕暮れ時、帰りの身支度を整えた太郎助は、先に帰宅の途についた次郎助のことをどかどかと追いかけた。

 茶会の後、次郎助に礼を言おうにも、なかなかその機会に恵まれなかったのである。

 そんな太郎助が館から出た時、目の端に次郎助の姿を捉えた。


「おうっ、これは次郎助殿・・・なぜ、ここに?

 もっと早く帰られたと思ったが・・・。」


「むぅ・・・お主を待っておったのじゃ。」


「わしを? はて・・・わしがお主を待つ道理はあれど、お主がわしを待つ道理はないはず・・・まあ、よい。

 お主にまだ、礼を言ってなかった。今日は、お主のおかげで本当に助かった。」


「むぅ・・・。」


 次郎助は、それだけ発すると夕空を仰いだ。

 

「なあ・・・太郎助殿。

 お主を待っておったのは、話があるからに他ならぬ。

 途中まで・・・一緒に帰らぬか?」


「いや、それは構わんが・・・お主の家は、わしの家とは反対側では?」


「構わぬ・・・どうしても・・・どうしても話をせねばならんと思うてな。」


 太郎助と次郎助は肩を並べて歩き始めたが、次郎助はいつまでたっても話をしようとせず、ただ、地面を見つめながらぶつぶつと呟いていた。


「次郎助殿・・・話とはいったい・・・なんじゃ?」


「ああ・・・世の中には不思議なこともあるもんじゃと思うてなぁ・・・昨晩のお主の夢、そしてお館さまの夢、二人とも似たような夢を見るとはのう。」


「まったくじゃ、不思議なこともあるもんじゃ。

 それにしても・・・まさか、あの茶壷の中身が空っぽじゃったとはのう。

 なぜ、お館さまは空っぽにしたのじゃろうな。

 念のためと言うていたが・・・いったい、何が念のためなんじゃろな?」


 次郎助は、しばらくの間、夕空を仰いだ。そして、静かに口を開いた。


「わしはな、こう思うんじゃ・・・お館さまは、空っぽの茶壷を見つけたところで目が覚めたと言われておったが、本当は・・・本当は、その続きも見られていたのではなかろうかとな。そう思うんじゃ。」


「続き? 続きとはいかに?」


「むぅ・・・わしらには言えない続きじゃな。」


「・・・。」


 次郎助は、再び、夕空を仰いだ。そして、静かに口を開いた。


「太郎助殿よ・・・実はのう、わしも見たんじゃ。」


「何をじゃ?」


「お主とお館さまの夢と似たような夢じゃ。

 いや、お館さまの夢と同じ夢じゃったのかもしれぬ。」


「どういうことじゃ?」


「太郎助殿よ・・・お主の夢でいう一計とは、お館さまの大事なものを壊して、その償いとして附子を食べたが死ねなかったと言い訳することではなかったか?」


「むぅ・・・その通りじゃ! それで、めでたし、めでたしじゃ!

 いや・・・なぜ、お主が知っておるのじゃ?」


「太郎助殿・・・わしの夢ではのう、それで激怒したお館さまが刀を抜いてな、問答無用でお主のことを ちゃん、ばらりん と真っ二つよ。

 そして・・・ああ、夢の中のわしはな、その様を見て、涙と小便をたれ流しながら『お主にそそのかされた』とお館さまに言い訳して、命だけは勘弁してもろうたのじゃ。

 わしゃぁ、卑怯な男じゃ・・・すべて、お主の責任にして、生き永らえたのじゃからな。」


「む・・・むぅ。」


「お館さまに呼び出され、附子の話を聞いた時は、まさか、昨晩見た夢は正夢ではなかろうかと、ひどく恐ろしくなったものじゃ。

 そして、お主から夢の話を聞いた時、これは間違いなく正夢じゃと思うたのじゃ。

 じゃからのう、わしはお主のことを必死に・・・必死に止めたのじゃ。

 わしゃぁ、夢のわしのような卑怯者になんぞ、なりとうなかったのじゃ。」


「む・・・むぅ・・・次郎助殿。

 どうも引っ掛かるのじゃがな・・・わしがお館さまに斬られることよりも、お主が卑怯者扱いされるほうが嫌だと言っているように聞こえるのは、わしの気のせいじゃろうか?」


 夕空を仰ぎながら話し続けていた次郎助を太郎助が睨みつけると、次郎助はちょっと考え込み、自分の頭をはたきながら大声で笑った。


「はっ、はっはっはッ・・・すまん、すまん。

 まあ、気にするでない、太郎助殿。

 とりあえず、良かったではないか。所詮、夢は夢で終わったのじゃから。

 さてと・・・話したかったことはすべて話した・・・では、また明日な。」


 そう言うと、次郎助は一礼して来た道を引き返していった。


 そんな次郎助を見送りながら、太郎助は、先ほどの次郎助の夢の話に妙な違和感を覚えていた。

 というのも、次郎助の夢では、太郎助がお館さまに斬られ、次郎助は懇願して助かったという。それならば、太郎助の一興に乗っても良かったのではなかろうかと思うのだ。

 たしかに卑怯者になりたくないというのは一理あるが、しかし、ただそれだけの理由で、あのような怒り・・・いや、あれは怒り以上のもの、太郎助に対する殺意のようなものを抱くものだろうか?


「あっ!」


 太郎助は、なんとなく腑に落ちたような気がした。


 次郎助は、きっと嘘をついたのだ・・・次郎助の夢で斬られたのは、次郎助のほうであり、懇願して助かったのは太郎助のほうだったに違いない。

 ただ、そのことを正直に打ち明けることが出来ず、次郎助は嘘をついたのだろう。

 そう考えれば、次郎助の態度に納得がいくではないか・・・。


 沈みゆく大きい夕日の中には、まだ次郎助の背中が見えた。


「次郎助殿ォ!」


 太郎助は、大声で次郎助を呼び止めた。

 次郎助が、つっと立ち止まり、なんだ?とばかりに右手を上げるのが見えた。


 しかし、太郎助は、その口から伝えるべき言葉を紡ぎ出すことが出来ず、ただただ、頭を深々と下げた。


 夕日がまぶしすぎて、次郎助の表情はまったくわからなかった。

 ただ、次郎助もまた、こちらにむかって深々と頭を下げると、くるりとその背を向けた。


 そんな次郎助の背中が見えなくなるまで、太郎助は、深々と頭を下げ続けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

夢(アナザー「附子」) @Ak_MoriMori

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ