第5話 もしも私が……
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パフェを食べた帰り道、未だ語り尽くせぬ映画談義に花を咲かせていた二人が銃声を聞いたのは、次の角を曲がれば事務所までもうすぐというところだった。
立て続けに三発の銃声が鳴り響いたかと思うと、目の前を数人のチンピラ然とした男たちが走り去っていくのが見えた。
「早く行きましょう。トオルが危ない」
扉が半分開いたままの玄関をくぐると、事務机の裏側にトオルがへたりこんでいた。二の腕からは血が滲んでいる。
「ちょっと、大丈夫なの?」
「問題ない。ほんの少しかすっただけだ。反対の腕なら問題なかったんだがな」トオルは金属製の左腕を見せながら笑う。「クライアントとの打ち合わせが終わって、戻ってきたところを待ち伏せされた。奴らはどうした?」
「さっき逃げていくのを見た」
リサは傷口を圧迫止血しながら答えた。
「あいつら、電能組の組員だよ。父さんの家に出入りしているのを見たことがある」と言って、リョウコは俯いた。「ごめんなさい。あたしのせいで、二人を危険な目に遭わせちゃった」
「気にするな。危険な目に遭うのは慣れっこだからな。それより、まずは傷の手当てをしないと。手伝ってくれるか」
リサはトオルを寝室まで連れて行き、その間にリョウコが救急箱を取ってきた。傷口を消毒し、包帯を巻きながらリサはリョウコが電能組に捕らわれていた理由について話した。
「なるほど。電能組があれほど執着するのはそういう訳か。にしても、部屋に閉じこめて朝から晩まで組員全員ぶんのボディのメンテと機械の修理とは。子どもの権利ってものを連中は知らないらしいな」
トオルはリョウコの頭を撫でた。
「だが、これからどうする。向こうにはこっちの居場所がバレちまった」
いつかこちらの場所が知られるとは思っていたが、想像していたよりもずっと早い。おそらく、電能組はそうとう躍起になってリョウコの行方を追っていたのだろう。今回は辛うじて追い返せたが、次はもっと大人数で攻めこんでくるはずだ。そうなれば、リサたちだけではなく、近隣にまで被害が及びかねない。
いっそ、遠くへ逃げてしまおうか。いや、たとえどこまで逃げようとも、電能組は追いかけてくるに違いない。ならば、リョウコだけでも別の場所に避難させるか。無理だ。リサもトオルも孤独の身で、信頼できる人間などいない。これは、リサたちだけで解決しなければならない問題なのだ。
「こちらから仕掛けましょう。奴らに手痛い一撃を喰らわせて、諦めさせる」
「本気か? 小規模とはいえ、ボトムの一角を牛耳るヤクザだぞ」
「関係ない。リョウコがあいつらの所有物じゃないんだって、思い知らせてやる」
リサは生まれてからずっと、誰かに所有されて生きてきた。子どものころは母親に、母親がいなくなってからは男たちに。そしていま、十歳の幼い少女が父親に所有されようとしている。そんなことは絶対にあってはならない。彼女の肉体も、精神も、魂も、人生も、ほかならぬ彼女自身のものだと、声を大にして叫ぶべきだ。
「だが、そのあとはどうする。まさかリョウコをずっとここに住まわせるつもりか。おれたちがいるのはボトムの目と鼻の先。おまけにいつ命を落とすかもわからない危険な稼業なんだ。子どもがいていい場所じゃない」
「電能組だってこの子がいるべき場所じゃないわ」
「そりゃあ、もちろんそうだが」
トオルは煙草をくわえて火を点けようとしてやめた。クソッ、と呟いてから、頭を掻く。
選択の余地がないことはリサも、そしておそらくトオルもわかっているはずだ。電能組にリョウコを返さないのであれば、区や民間の養護施設に預けるか、リサたちが引き取るかのどちらかになる。しかし区の養護施設はどこもいっぱいの状態で、民間の施設はボトムのヤクザの関係者というだけで受け入れを拒否するだろう。となれば、残された選択肢はひとつに絞られる。
「怖いんだ」トオルがぽつりと呟いた。「おれの手は汚れてる。いや、手だけじゃない。人生だって。これからも汚れにまみれて生きていくだろう。そこにリョウコを巻きこんでしまうのが怖い」
見ていて痛々しかった。トオルはリサのように直感で行動しない。常に先のことを予測し、可能性を検証して、最善の選択をとろうとする人間だ。おそらく、ここにいる誰よりも早くこうなることを予想していただろう。しかし、自らの辛い過去、そして未来への暗い予感が、選択する勇気を奪っている。親殺しの過去。その過去を背負い、あまつさえ賞金首の命を奪って生きていく未来への不安。それらが彼に子どもと接することへの潜在的な恐怖を植えつけているのではないか。
だが、おそろしいのはリサも同じだった。彼女もまた、破綻した関係性のなかでしか母親と向き合ってこなかった。愛されないまま親に捨てられ、誰も愛さないまま大人になった哀しきサイボーグなのだ。リサは愛というものの脆さや欺瞞ばかりを見つめて生きてきたがゆえに、愛の強さや正しさといったものを信じきれずにいた。
しかし、物事はもっと単純なのではないか。リサたちが複雑な世界で生きてきたから、あらゆるものは複雑なのだと錯覚しているだけで。愛の意味や確かさがわからないとしても、少女を助けたいというこの意志だけは確かなはずだ。その確かな意志に従って行動することは、間違いなのだろうか。
「結局、あんたはどうしたいの?」
「どうしたいって……」
「私はリョウコを助けたい。リョウコはどうしたい?」
リサは強かな視線をリョウコに送った。やや間があって、リョウコが答えた。
「あたしは電能組に戻りたくない。姉さんを探して、一緒に暮らしたい。だから、助けてほしい。お願いします」
「おれだって、リョウコを電能組に渡すなんて論外だと思ってる。だが……」
「不安なのはわかる。きっと大丈夫とか、何とかなるとか、そういう無責任なことを言うつもりはない。でもここでリョウコを助けないと、私はこの先ずっと後悔すると思う」
リサはリョウコの肩を抱き寄せた。
「私ね、これまで後悔なんてしたことなかったんだ。そもそも生き方を選択する自由がなかったから、悪いことが起きても私のせいじゃない、私が選んだんじゃないって、目を背けて生きてきたの。だけど、あんたは私に生き方を選択しろと言ってくれた。選択して、正解したら喜んで、間違えたら後悔する。いまならあんたの抱えている不安が痛いほどよくわかる」
そのとき、トオルの機械眼がかすかに輝いた。夜空に似た深い青色だった。母を負ぶって歩いたかつての少年が、ミサイルの軌道を追いかけたあの空も、きっと同じ色をしていただろう。
「ねえ、トオル。もしも私がミサイルだったら、この街に落ちて、あんたとあんたの母親を馬鹿にする奴ら全員を吹き飛ばしたと思う。それが正しいかどうかわからない。でも、私はそういう生き方を選びたい」
それまで俯きがちに話を聞いていたトオルが、ハッとしてリサを見る。疲れきった中年男の顔に一瞬、少年の面影が映えた気がした。
「それがおまえの選択なんだな。わかった。おれも腹を括ろう」
トオルは事務室に向かうと、パソコンを操作し始めた。
「実は、前々から考えていた作戦がある」
「前々から、ねえ」
「うるさい」
ニヤつくリサをトオルが見咎める。
「とにかく概要をまとめたデータを送る。詳細はあとで説明するから、まずは目を通しておいてくれ」
視界の上部に『新着メッセージあり』の通知がポップアップされる。それを開封しようとするリサのそばを、トオルが足早に通りすぎていった。
「ちょっと、説明は?」
すると、トオルはバルコニーの掃き出し窓を開けながら煙草の箱をこちらに見せつけた。
「とりあえず一本吸わせてくれ。今日のクライアントは嫌煙家でね。朝から一本も吸えてないんだ」
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