せいていのさー鏡堂達哉怪異事件簿その五

六散人

【01】兇殺(1)

それが発見されたのは、初夏を目前に控えた、ある日の早朝だった。

〇山市内の住宅地に住む老夫婦が愛犬の散歩に出た際に、道端に放置されている大きな金属塊を見つけ、警察に通報したのだ。


その塊は、白い乗用車だった。

乗用車であることは前後のトランク部分の形状から分かるのだが、座席部分の形状は最早、車の体を成していなかった。


躯体が何かに圧し潰されたように、ひしゃげていたのだ。

そしてひび割れたフロントガラスに血痕のような赤いシミが広がり、ドア部分の隙間からも大量の血が地面に滴り落ちていた。


やがて通報を受けた警官たちが現着したことで、閑静な住宅街は騒然となった。

しかしその異様な物体を眼にした捜査員たちの方が、さらに騒然となったのだ。


車内には人が取り残されていることが見て取れるが、外から話しかけても反応はない。

この状況では、おそらく生きてはいないと容易に想像出来るが、だからと言って放置する訳にはいかなかった。


結局現場検証は後回しになり、まずは消防隊員がカッターを使って車体を切り剥がし、内部の人を外に出すことになった。

その間、手持無沙汰となった刑事たちは、近隣住民への訊き込みに携わることになったのだった。


〇〇県警捜査一課熊本班の鏡堂達哉きょうどうたつや天宮於兎子てんきゅうおとこも訊き込みに加わり、まずその車両が真ん前に放置されている戸建て住宅を訪ねた。

表札には<横山光一>、<由加里>、<友弘>という名前が並んでいる。


鏡堂は玄関脇のインターフォンを鳴らしたが、中から返事はなかった。

何度か鳴らしても同じだった。

――家族で出かけてるのかな?

車庫にも車がないので、もしかしたら旅行に出かけているのかも知れないと思った。


その時何気なく規制線の外を見ると、こちらを覗っている男性の姿が彼の目に付いた。

少し気になった鏡堂は、その男性に近づき、

「何か気になることでもありますか?」

と、話し掛けて見た。


その男性は刑事に話し掛けられて少し驚いたようだが、やがて意を決したように鏡堂に答える。

「間違ってたらすみません。

あれって横山さんの車じゃないかと思うんですよ」


「横山さんというのは、あれが前に置かれているお宅のことですか?」

鏡堂は今し方訪れた留守宅を指しながら、そう念を押した。

すると、その男性は勢い込んで肯く。


「どうしてそう思われるんですか?」

「車種と色が横山さんの車と同じなんです。

それにナンバーも、はっきり憶えてる訳じゃないんですが、多分同じだと思うんです」


「情報提供ありがとうございます。

因みにもう一点教えて頂きたいのですが、横山さんのお宅はご両親と息子さんの、三人家族で間違いないですか?

表札を見ると、そうなっていますが」


鏡堂の質問にその男性は、少し声のトーンを落とす。

「実は最近お子さんにご不幸があって、今はご夫婦二人なんですよ」

「ご不幸というのは、事故か何かですか?」


すると男性は辺りを憚るように見回しながら、声を潜める。

「ほら、先月初めに富〇町であった、暴力団の発砲事件。

あれに巻き込まれて亡くなったのが、お子さんの友弘君なんですよ」


その事件のことは鏡堂たちの記憶に新しい。

特に天宮は、当日私用で現場のすぐ近くにいて、発砲があった直後に駆け付けていたのだ。


被害者は〇山中学に通う、三年生の男子生徒だった。

偶々友達と富〇町に遊びに来ていて、発砲現場に出くわし、流れ弾を受けて亡くなるという悲惨な事件だったのだ。


そしてその時被害者と一緒にいた友人というのが、4月の組織改編で刑事部長に昇進した高階邦正たかしなくにまさの後任として、捜査一課長となった新藤保しんどうたもつの息子だった。


幸い新藤の息子のゆうは難を免れて、怪我を負うことはなかったのだが、目の前で友人が凶弾に倒れるのを見た彼のショックは計り知れなかったのだろう。

実際天宮も、倒れた友人の傍らで、真っ青な顔で言葉を失っていた新藤優の姿を、昨日のことのように鮮明に憶えている。


そして赴任早々の新藤保が、息子のことでかなり頭を悩ませている姿を、部下である刑事たちは同情の眼差しで見ていたのだ。

そのことは彼が、捜査一課の刑事たちから、好意を持って迎えられていたことを意味する。


新藤は8年前まで捜査一課で班長を務めていた。

鏡堂と、亡くなった上月十和子こうづきとわこ刑事の上司だったのだ。

そして上月殉職に関して、鏡堂が当時の一課長だった谷幹夫たにみきおと衝突した際に、彼を庇ったことが原因で、県西部にある〇郷警察署に左遷されたのだ。


今回捜査一課に復帰したのは、衆院議員朝田正義あさだまさよしの事実上の失脚により、県警内の人事が刷新されたことが理由だと考えられている。

新たに赴任した県警本部長が、組織内の<朝田色>を一掃しようとしていることは、末端の刑事たちの眼にも明らかだったからだ。


「ガイシャが出たぞ」

その時鑑識課の小林誠司こばやしせいじから、周囲に声が掛かった。

鏡堂と天宮は男性に礼を述べると、足早に解体された車両まで移動する。

車両の周囲は、既に鑑識課員たちによって、ブルーシートで囲われていた。


シートを潜った鏡堂たちが眼にしたのは、被害者たちの悲惨な状況だった。

一目見て生きていないことが分かるほど、彼らの遺体は損壊していたのだ。


首や手足がそれぞれあらぬ方向に折れ曲がり、胴体部分も異様な形にねじ曲がっていた。

さらに身に着けた服は血に染まり、口からは臓器の一部がはみ出していたのだ。

それを見た捜査員たちは、一様に顔をしかめた。


恐らく車の躯体ごと圧し潰されたのだろうと、鏡堂はその遺体を見て思ったが、どのような方法を用いればそんなことが出来るのか、彼には想像もつかなかった。


そして彼の脳裏を、あの黒衣の女占い師の言葉が過った。

「この地では南北の封印が解除され、中央で瘴気を押さえていた后土こうどの眷属の力も衰えておるようです。

その結果、湧き出た瘴気に当てられた鬼どもが、活発に動き始めているのです」


「また何か、異常な事件が起こるんでしょうか?」

天宮も同じことを考えていたらしく、不安気な表情を浮かべる。

「この状況を見れば、確実だろうな。

何をすれば、車や人間をこんな風に破壊できるのか、俺には見当もつかん」


「何か超能力でも使ったんじゃないの?

私は最近慣れてきちゃったわ。

この手の事件に」

その時二人の会話に、鑑識課の国松由紀子くにまつゆきこが、諦めたような口ぶりで割り込んできた。


「事故という可能性はないですよね。

大型車があの車の上に乗り上げたとか」

可能性は低いと思いつつ、鏡堂は念のために国松に確認するが、返ってきたのは明確な否定の言葉だった。


「ここであれだけ車を破損するような事故が起きたら、凄い音がして周辺住民が気付いた筈よ。

それ以前にあれは、何かが上に乗り上げたという状況じゃないと思う」

「じゃあ、どんな状況なんですか?」

二人の会話を聞いていた天宮が、国松に質問した。


「そうね。強いて言えば、車体を握り潰したという感じかな」

「握り潰す?」

国松の答えを聞いた鏡堂は、その異常さに、思わず訊き返した。


「驚くの気持ちは分かるけど、それが一番近い答えよ。

機械を使ったのかどうか分からないけど、あれは上から下方向に圧力を加えたというよりは、上下左右から一気に力が加わったのだと思う。


更に言うと、車体が捻じれてるわ。

端的に言えば、雑巾でも絞る感じかな」


それを聞いて絶句する二人を見て、国松も肩を竦める仕草をした。

彼女自身も、自分が言ったことの非常識さに呆れているからだ。


そして国松は、鏡堂にビニール袋に入れた証拠品を手渡しながら続ける。

「それよりこれ、ガイシャの免許証。

それから、ご遺体はすぐに検死に回すわね。

あれを司法解剖する先生に同情しちゃうけど」


袋を受け取った鏡堂は、免許証の記載を確認する。

全体的に血で汚れていたが、辛うじて名前の欄には<横山光一>と書かれていることを確認することが出来た。

先程の男性の証言通り、被害者は車が前に放置された家の住人である可能性が高い。


――犯人は、どこかで何かの機械を使ってガイシャを殺害した後、車ごとここまで運んできたということか?

――それが事実だとすれば、何のために、そんなことをする必要があったんだろう?

鏡堂は、状況の異常さに、混乱を隠し切れないでいる。


その時班長の熊本達夫くまもとたつおが、近くにいる刑事たちを呼び集めた。

行ってみると、彼の傍に立った鑑識課員の小林が、手に金属の板のような物を手にかざしている。

消防隊員が切り取った、車体の一部のようだ。


「これ、あの車の屋根の一部なんだけど、ここに手形がくっきりと残ってるんだよね」

そう言われた刑事たちが覘き込むと、確かに左右二つの手形が、屋根にめり込むように付いていた。

5本の指の形も、はっきりと分かる。


「これは犯人の手形ってことですか?」

熊本班の梶木徹かじきとおるが小林に訊くと、彼は空いた方の手で頭を掻きながら、困った表情を浮かべた。

「犯人の手形かどうかは断定できないけど、それ以前の話として、人間の力でこんな風にへこますのは無理だね」


「力が強くても?」

梶木はそう言って粘るが、小林の答えは否定的だ。

「人間が手で押さえても、こんなはっきりとした手の形でめり込むのは物理的にあり得ないと思う。

必ず周囲もへこむからね。

それは力の強弱とは、別の問題なんだよ」


その答えを聞いた刑事たちは、全員が困惑した表情で沈黙してしまった。

この事件が一筋縄ではいかないことが、容易に想像出来たからだ。


「とにかく指紋は採っとくから」

そう言って小林は、車体周囲の検証に戻っていった。

その後姿を見送る刑事たちの顔には、一様に苦衷の表情が浮かんでいた。

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