魔法士ナナは座りたい

ナタでそこ

はじまり 魔法士ナナと朝焼けの椅子

『居場所がないなら、椅子に座ってみませんか?』


 遠いところで声がして、わたしは目を覚ました。

 重たいまぶたを擦って辺りをきょろきょろと見渡す。ふかふかのベッド、天井に吊るされたまるいライト、白一色のかべ、そして大きなガラス窓が見えた。


「……なんだ、夢か」


 この部屋には、わたしだけだった。それもそのはず、わたしはひとりでここにきて、宿には昨日チェックインをして、やっと目的地に着いた〜って満足してベッドに倒れ込んで、そのまま寝ちゃったんだ。

 わたしをやさしくつつみ込んでくれる、あの人の声が隣にあるはずがなかった。


(……わたし、さみしくないのに)


 勝手に期待して、勝手に裏切られたむなしさでベッドに潜る。


「ってだめだめ!行くところがあるんだから!」


 ギュッと掛け布団をにぎって、えいやっ!とマットに叩きつけた。

 からだを起こして、両手で頬をたたいて、ベッドから立ち上がる。

 窓のそとを眺めると、おだやかな波をたてる海が暗い空の下に薄っすらと見えた。まだ、朝日も顔を出していない。夜のような朝のような、ふしぎな時間だ。


 いつもなら二度寝をするわたしだけど、今日は朝がくる前に行かないといけない場所があって……。あの人との約束だから、叶えないといけないんだ。

 わたしはしわになった旅用の服から、くつろいだ衣装に着がえた。着がえるといっても、ぬいだり、たたんだりはしない。

 杖をちょちょいと一振りすれば、いいだけなんだよね~!


「おねがいだから着せかえてぇ――」


 いつも通りのなさけない呪文で、魔法が発動する。着ていた服がひとりでに脱げて、足もとに転がっているバッグからは新しい服が飛び出してくる。

 空中をまるで魚のように泳ぐ服たちが交わると、キラッと辺りが輝いて、わたしは新しい服を着ていた。もともと着ていた旅用の服は、洗いたての甘い匂いがして、しわひとつなく、きれいにたたまれてベッドの上に積まれていた。


(さすが、べんりな魔法だよね~っ)


 備えつけられていた姿見には、袖なしの黒のTシャツと薄紫のギャザースカートに身を包んだわたしが映っていた。

 お母さんゆずりの白い髪は、肩まで伸びていてボサボサ。お父さんゆずりのながいまつげとそら色の瞳は、しおれた草のようにうるおいをもとめている。


(寝起きのわたしって、かわいくない……?)


 ぼんやりと鏡の自分をながめて、人生で何度目かの衝撃を受けた。

 そして、耳の上から伸びている、黒くて、かたくて、内がわにねじれた二本の角をさわって、手ぐしで髪を整えた。

 もういちど杖を振ってベッドを元どおりにした後、出口のかぎを開けた。近くに立てかけていたホウキに手を伸ばしかけて、いやいやと首を振る。


(ホウキで飛ぶ距離ではないよね、歩こう)


 わたしは他のお客さんを起こさないようにそ~っととびらを閉めて、そとに出た。




 わたし、ナナっていうの。

 年は十三で、角が生えているけど、れっきとした人間だよ。

 特技は魔法で、数少ない魔法士のひとりなんだ~。すごいでしょ?


 わたしが魔法を自在にあやつれるのは、わたしがからだの一部が人間とはちがっている“はずれびと”だからなんだけど、わたしはこの角のせいで、たっくさん嫌がらせされて、家族にも迷惑かけちゃったんだ。

 だからわたし、誰になにもいわれない、誰にも迷惑をかけない、自分らしくいられる場所を見つけたくて、旅に出ることにしたの。


 あいにく、そんな場所はまだ見つかってないんだけどね……。




 海岸沿いは芝生の広がる公園になっていて、ところどころ、でこぼこと地面がもり上がっていた。遠くには白くて先のまるっこい灯台が立っている。


 ――こぽこぽ、ざぶざぶ、ちゃぽん。


 波はまだ眠たそうなのに、意外にもたくさんの音をつくってごちゃまぜにして、海という舞台に響かせていた。

 まるで、夜明けにたったひとつだけ鳴らすのをゆるされた楽器みたい。薄暗いせかいに流れる海の音楽に耳をかたむけて、わたしは歩く。


 芝生を刈ってつくられた細い小道をすすむと、岩場についた。足のふみ場に困るほど凹凸があったので、手をついてバランスをとりながら、岩の上を歩く。

 岩はかたいし、まわりは海だから、足もとには気をつけないとね。


 岩のつき出ているところに足をのせて、次に足がのせられるところをさがす。なんだか岩肌がはっきり見えるなと思って、顔を上げてみると、水平線がほのかなピンク色に染まって、朝日が――小さな点にしか見えないんだけど――頭を出していた。夜空は光に浄化されたようにうすい青色になって、沈みかけの三日月がぽつりと取り残されている。


(もうそんな時間⁉ひ~っ、ゆっくり歩きすぎた~!)


 わたしは照らされた岩の起伏を目で追って、跳びうつるように先へと急いだ。


 岩場の行きついた先は、人の手が入ったわけでもなさそうだけど、道中にくらべて平らになっていた。平らななかでも、いちばん高いところ、いちばん見晴らしのいいところに、白いベンチが取りつけられていた。


(ま、間にあった……)


 かがんで息を整えながら、わたしは水平線に向けていた視線を隣に動かした。


「へえー、これが朝焼けの椅子か」


 そこにあったのは、あの人が語っていたほど、うつくしい椅子ではなかった。金属でできたフレームも間にかけられた板材も白く塗装されているけど、潮風にさらされたフレームはサビて黄ばんでいて、板の表面もボロボロに剥げていた。


(想像してたより、ふつう。もっと羽が生えたりとか、してそうなイメージだったんだけど……)


 というのも、朝焼けの椅子には、「ふたりで座って朝日をお目にかければ、ずっと幸せになれる」っていうめでたいジンクスがあるんだ。だから勝手に、女神さまが座っていそうな、ぴかぴかで装飾の凝った椅子だと思っていたんだよね。


(まあ、座るのわたしだから、これくらい気取らないのがいいかも)


 わたしはひとりなので、幸せは運ばれてこないかもしれないけど、約束のベンチに座ってみることにした。

金属のフレームがつめたくて気持ちいい。ベンチの右がわによいしょと腰をおろして、空を見上げる。


「わっ!澄んでてきれい」


 気づけば、もうそれが太陽だとわかるほど、まるい光はオレンジ色の輝きをはなって西の空に浮かんでいた。海には一本の光の筋が通って、岩場のすぐ近くまでのびている。時折大きな波ができて、水面に映る光の筋はゆらゆらっと曲がって見えた。


 手をつないだ家族のような、友達のような雲が、オレンジ色の空を横切っていった。


(どこに行くんだろ。行きたいところとかあるのかな)


 朝日の光を浴びた雲たちは立体的で、浮かんでいるって感じ。朝日が「行ってらっしゃい!」って声をかけて、雲たちが「行ってきます!」ってどこかに出発しているみたいだったから、わたしは雲がゆっくり動くのを、まちがい探しの絵をジッと睨むみたいに目で追いかけていた。


 雲がどこを目指しているかなんて考えたことなかったけど、たぶん雲もいろんな空を旅して、次はどこに行こうかなって行き先をかえて、風に流されて、ときに涙を流して、進んで、そして、流れるのをやめるんだと思う。


 「わたしはこの空が好き!だからここで生きる!」って、居場所を見つけて、空の主人公になるんだ。


 まったく動かないように見える雲って、たまに見かけるでしょ?

 あの雲たちも居場所、見つけられたらいいな――っ。


「見つけられたらいいな、わたしも…………」


――居場所がないなら、椅子に座ってみませんか?


あの人の言葉がよみがえって、胸がチクリと痛んだ。


「わたしの居場所は、どこにあるんだろ」


 あの人が行きたがっていたから、わたしはこの椅子に答えがあるかもしれないと思ったんだ。あの人があんな言葉をかけるから、わたしは椅子に座ったんだ。


(……だけど、ここはわたしの居場所じゃない)


 朝焼けの椅子はきっと、大切なだれかと、大切な未来の幸せを、朝日に願うところだ。ふたりの背中を支えるベンチはきっと、ふたりの居場所になるんだ。


 空っぽの左がわを手のひらでさすって、わたしは思い返した。


 わたしの“居場所をさがす”旅が、どうして始まったのかを。

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