お天道様の弟子
がみ
風の息吹
第壱話 微風
雲ひとつない快晴の下、爽やかな風が庭を駆け抜けた。
松が並び、石畳の通路、鯉が泳ぐ池がある広大な庭園。その端にある稽古場にその男はいた。
二十歳なったばかりの
憧れの人を真似て刀の扱いを練習してきたが、その人はほとんど刀を振るうことはない。実力があるが故、無意味に力を誇示することはしないのだ。
その人はいつも着物を身に付けるので伊吹もそうしたいのだが、どうしても動きにくくて甚平を選んでしまう。無論、今も動きやすい甚平で修練に励んでいる。
目を瞑り、見えない相手を想像して刀を構える。そして、目を開ける刹那に刀を振り下ろした。
刀から放たれた風の斬撃が空を斬る。
「なんだか思うようにいかないんだよな」
伊吹は首を捻って快晴の空を見上げた。
「何事もそう簡単にはいかないものだ」
声の方に振り返ると、灰色の着物に身を包んだ長身細身の男が立っていた。
この男こそ、伊吹が目指す天道であり、暦法隊の
天道は序列一位の暦法隊長大天道から睦月、如月、弥生、卯月までの五名が選定される。
伊吹はいずれ暦法隊を束ねる大天道になることを目標にして、李穏の弟子として日々鍛錬に励んでいる。
「何が駄目なんでしょうか?」
「それは自分で見つけることだ」
「なら、少しだけお相手を」
「たまにはいいだろう」
李穏は右手を挙げて天に向けると、拳を握った。それをゆっくりと振り下ろすと、彼の愛刀が現れた。
李穏の刀は刀身が長く、彼の身長とほぼ同じ長さを持つ。それだけの長さがある刀を華麗に扱うことが、伊吹の憧れに拍車をかけた。
暦法隊は隊士のほとんどが自分自身の武器を持つが、それは必要なときのみ呼び出せる。その能力を身に付けることが最初の試練となる。
「さて、どこからでも来るといい。手加減は必要ない」
「行きます」
李穏の実力はいまだに未知数であるが、それに怯んでいると彼は飽きてやめてしまう。
伊吹は踏み込んだ足で地面を蹴り、李穏に正面から飛びかかった。小手先の技は通用しない。力をぶつけて押し込む。それだけが唯一可能性のある戦法だ。
しかし、甘かった。
李穏は目にも止まらぬ速さで刀を振ると、視界が歪んだように刀身が曲がり、伊吹の刀は弾き返された。
再び斬りかかるために構えたときには、李穏の大太刀の
「伊吹の力に負けるほど
そう言って背を向けたとき、すでに李穏の手に刀はなかった。着物を一切着崩すことなく、彼は久城亭へと歩き去った。
いつもこうだ。せっかく稽古をつけてもらえると思っても、ほんの数秒で終わってしまう。おそらく伊吹の実力が李穏の期待に遠く及ばないということだろう。
伊吹が気を取り直して素振りを再開すると、石畳の通路を綺麗な女が通りかかった。どこかへ出かけるところらしい。
妖艶な容姿の着物姿の女は、この久城亭の看板娘だと言われる。年齢は三十前後らしいが、そう感じさせない魅力がある人。
「あら、熱心ね」
伊吹に気付いた彼女はこちらに手を振る。
彼女に微笑まれるといつも心臓が止まりそうになる。
「師匠に返り討ちにあったところです」
「見てた。旦那様も伊達にお天道様じゃないってことよ。いつもふわふわしてるけどね。お天道様目指して頑張って」
「励みます」
「ちょっと出て来るわね」
「お気を付けて!」
比奈子は最後にとびっきり美しい微笑みを残して久城亭の敷地を後にした。
伊吹は止まりそうな心臓を強引に動かして、目を瞑る。普段滅多に見ることのない李穏の動きを見ることができた。忘れないうちにその動きを反復して選択肢のひとつにしておくことが成長への最短経路だ。
そう考えてはみたものの、目にも留まらぬ速さで振られた刀がどう動いたのかをわかるはずもなく。
「こうか? いや、こっちか?」
いくつか型を試してみたが、どれもしっくりこない。
伊吹は大きくため息をついて、諦めた。
休憩したら今夜もまた見回りをしよう。
毎晩久城亭の付近で不審な点はないか見回ること。それが、師匠より与えられた弟子としての務めであった。
暦法隊なるもの、治安維持のためにできることをする。
本来は他の隊士と同じように任務にあたるべきなのだが、天道を目指すためには天道の弟子になることが必要だと考えた伊吹は無理を言って李穏のもとに置いてもらっている身だ。
師匠の指示に背くことは許されない。
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