イヴの子供たち

神海みなも

第1章 小さな侵入者

1-1 王家の庭

 満月の光を浴びてほのかに明るい王家の庭。一歩足を踏み入れた私 (*1) は、殺気を感じ取り立ち止まってしまった。あー、クソッ、何なの、この感覚……。


 まるで剣の切っ先を向けられているような鋭い視線に、私は思わず後ずさってしまった。身にまとっていた漆黒のローブが不気味な風にあおられ、白銀の短髪がかすかになびく。私はフードをさらに深く被りなおし、紺碧こんぺきの瞳であたりを注意深く見渡した。


 ふと気付けば、首に掛けていた『お守りアミュレット』が私の胸元を仄かに赤く灯していた。これは近くに敵がいるという警告。中に宿る炎の大きさや明るさで敵との距離、数が分かる。


 私は早速アミュレットを手に取ってみる。炎の大きさは小さく、灯っているのは一つだけ。つまり、私を中心にして半径五十メートル以内に敵意がある何者かがひとり潜んでいることになる。私は短く溜息を吐くと、そっとアミュレットから手を離した。


 これは元々お母さんのモノだった。大きなルビーがはめ込まれ、豪華な金の装飾が施されたネックレス型のお守り (*2) 。本当はお母さんが亡くなったとき一緒に棺桶に入れるはずだったんだ。


 けれど、お婆ちゃんが「これはあなたが持っていなさい、その方がアンネも喜ぶわ」と言って、私が念願の国家魔術師になった日に手直しして渡してくれたのだ。いまでは一番の大切な『宝物 (*3) 』だ。


 ……やっぱり近くに『何か』がいるんだ。まさかこんな形でこのお守りを使う事になるなんて……。いつ敵が現れてもいいように、私は腰に下げていたダガーを逆手に取ると顎の横で構えた。


 姿は見えないが、アミュレットはずっと『何か』に反応している。それが陰から様子をうかがう衛兵なのか、それとも眠りを邪魔された小鳥なのか、私には分からない。けれどアミュレットは依然と私の胸元を照らし続けていた。


 どんな小さな風の動きにも意識を集中させ、闇の中の影を見るように目を見張る。


「ひぃっ! そ、そこにいるのは分かっているのよ? で、出てきなさいよ!」


 何か影が動いた気がして、思わず情けない声を上げてしまった。けれど私の声に反応するモノはいない。再び私はこの広い中庭を見渡した。


「い、一人前の魔術師になったのよ、モニカ。何も怖がることはないわ」


 そう自分に言い聞かせる。


 ――その時だった、鈴を転がしたかのような少女の笑い声が私を包み込んだ。


「……うっ。また、なの……?」


 私は両手で耳を塞ぎ、その場に座り込んでしまった。彼女の声が甘く切なく心に響く。何千何万という声が心を満たしたかと思うと、突然、ロウソクの炎のようにフッと消えてしまった。まただ、これでもう何度目になるだろう?


 半年前から同じ幻聴がずっと続いている。最初は耳鳴りかな、くらいにしか思っていなかった。けれど、三回目ぐらいから「あれ? おかしい」と気付き始める。そうか、これが『声 (*4) 』なのか、とその時私は悟った。


 私たち魔法使いはある儀式を取り行う決まりとなっている。そしてその儀式により魔術師と認められ、過酷な運命をも背負うことになるのだ。


 その儀式とは『魔物の血を飲む (*5) 』というもの。


 この世界には『イヴ』と呼ばれる絶対的存在がいる。そしてそのイヴは『魔王』とも呼ばれ、自分の分身である魔物をこの世界にばら撒き、浸食を始めた。いつ生まれたのか、目的は何なのか、いまだに詳しくは分かっていない。


 私も独自に調査したり、学校の図書館で調べたりはしたけれど、明確な答えは何一つ見つからなかった。古い文献もダメ、それらしい記載が驚くほど一切ない。似たような記載が少しくらいあってもいいのに。


 ん? それとも誰かが意図的に隠している? 何のために? あーもう、わけわかんない。はぁ、考えていてもだめね、明日は校長先生に許可をもらって地下の書房も調べさせてもらおう。


 それにしても昔の人間はすごいと思う。人の力ではイヴに敵う手段はなく神にも等しい存在だった。そこで太古の人間は何を思ったのか魔物の血を飲んだのだ。イヴの分身である魔物の血を取り込むことで、同じ力を手に入れようとしたのだと思う。


 思惑は見事に成功し人間はイヴの力『魔法』を手に入れた。それと同時にイヴの声も聞こえるようになってしまう。その声に耳を貸してしまうと心も体も支配されてしまい、最後には魔物として服従してしまうという。


 しかしそんな逆境にも負けず、彼らはイヴを倒すことは叶わなかったが封印することはできたのだ。そこで更なる力を手に入れるため、最初に魔法を手に入れた人たちはマジックマスターと自らをそう呼称し、彼らを中心に小さなサークルを創った。


 そのサークルはしだいに規模を大きくしていき、今では魔術師協会と呼ばれるまでになった。さらには国の政治家や貴族、有権者などを取り込み、今では世界の中心とまで言われる存在となる。


 もちろん、この儀式のことは一般人に打ち明けてはいけない。それは、協会が定めた秘密保持契約に触れる事にもなるし、国家機密違反になるからだ。


 本当は家族であっても絶対に話してはいけないが、私の家系はみんな魔術師だからそれは承知の事実だ。


 けれど私を赤ん坊のころから育ててくれた大好きなお婆ちゃんや、大切なパートナーであるリア (*6) にそんなことで一々迷惑をかけたくなかった。


 いつも十分すぎるほど心配させているのに、「声が聞こえる」とか「歌が聞こえる」なんて言えるはずもない。


 特に私は聖女と言われたお母さんの血を濃く受け継いでいるのか、魔力が強く「声」がよりはっきり聞こえるのだ。疲れがたまっているのかと思われかねない。


 まあ、実際疲れがたまっているのは事実だし、最近仕事がおろそかになってきている実感はある。けれど身体をゆっくり休めている時間は私にはない。


 足が不自由なお婆ちゃんのためにも店 (*7) の手伝いをしないといけないし、魔術師ギルドや王宮からの依頼も片付けないといけない。仕事は山ほどあるのだ。


 けれど今回ばかりは明らかに様子がおかしい。これ程、彼女の声に心が持って行かれそうになったのは初めてだからだ。


「……もう、なんだって言うのよ」


 私は月を仰いだ。危険を感じたのも、少女の笑い声が聞こえたのも、きっと疲れているせいね。アミュレットが光ったのだって小鳥を起こしてしまったからに違いない、帰ったら今夜だけは十分に休まないと。仕事中に倒れてしまっては、またお婆ちゃんとリアに迷惑をかけてしまう。


 特に今夜は慎重に行動しないといけない。二人に内緒で家を飛び出し来たのだから。それに王家の庭に侵入したことが知られたら、私どころか二人にも迷惑がかかってしまう。それだけは絶対に避けないと……。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

*1 私の名前はモニカ。まだ十五歳だけど、これでも数の少ない一級魔術師なの。それで去年念願の国家魔術師のひとりになれたんだ。

*2 しずく型の大きなルビーがはめ込まれている。大きさは手のひらの半分くらいだけど、その周りの装飾などで結構重みがある。

*3 ずっと大好きだよ……お母さん。

*4 ???「あははは」 モニカ「黙って!」

*5 臭くて赤黒くドロドロしている液体なんてすすんで飲めると思う? ミルクと混ぜてカプチーノにしたら美味しいよって言ってた監視官の先輩がいまだに信じられない。思い出すとあの味が……うげ。

*6 リアについてはまた後で詳しく説明するわ。ここじゃあ彼女の魅力を説明しきれないからね。

*7 魔法薬の材料や手作りのアクセサリー。そして日用品なども取り扱っているわ。まあ、ざっくりいうと雑貨屋さんね。小高い丘に佇むおばあちゃんの素敵なお店よ。

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