第85話:遊牧民の牙(11)
「──なあ。訊いてもいいのか?」
鍛冶職人にひと言を残し、早足で追いかけた。それで何十歩かのところで追いついたアリサへ、ウミドは問う。
胸に抱えたものの正体が知れなければ、もうなにを言っていいやら分からない。
「言わない」
歩くほうを見たまま、アリサは首を横に振った。
「恥ずかしくて言えないんだよ。訊くならリーディアに。昔から闘技場へいた連中なら知ってるはずだから」
「そうか……」
昔から。
たしかにウミドは、リーディアやレオニスより何年もあとに闘技場へやってきた。アリサは、その二人よりも前からいるようだとも思う。
なんで同じときにいてやれなかったんだ。
闘技場での時間が短かったことを、悔しいと感じるとは思いもしなかった。
誰も続く言葉を発さぬまま、次の革職人のところへ辿り着いた。リーディアから目配せのような、迷う視線は感じたが。ウミドのほうが
「今年の雪は何色かな」
決まった言葉を繰り返す。
どんなことも慣れるものだ。慣れて、おざなりになるようではいけないものもあるけれど。
アリサのことを、常に考えていようとウミドは誓う。
革職人の用はおよそできあがった衣服のようなものを、上着を脱いだアリサに当ててみることだった。細かな寸法の違いをすぐに直し、最後にはアリサへ着せる。
腹の上のほうと胸を覆う、半端な丈の
「綿が入ってるんだね、暖かい」
なにに使うものか、アリサも知っている。革職人に薄く笑むのが本心か、気を遣った作り物かは見分けられない。
支払いがどうなっているかまでは聞いていなかったが、「持ってっていいよ」と言う革職人に従う。脱いだ上着を重ねて着れば、特徴的な形はまるで見えなくなった。
そのまま、次は仕立て職人のところへ。頼んだ品物は、やはり形になっていた。
陽に当たらなくとも艶々と輝く、上下でひと続きになった
「こんなの、レオナードでも着たことがないわ」
纏うリーディアが、どたどたと足音をさせて回る。と大きく、ゆったりとした裾が大輪のごとく広がった。
「どこからどう見ても、どこぞのお嬢さまですなあ」
豊かな髭を貯えた仕立て職人は脇へ膝を突き、もう少しだけ調整をと針を刺した。
言われたのはリーディアだ。それなのにアリサを見れば、視線に
だが抗えない。幸いなことに彼女は、「よく似合うよ」とリーディアへ話しかけていたが。
「どうぞ持っていってくださいな」
やはり支払いの必要はない。さすがに目立って、着たままとはいかないけれども。
別の布へ包み、リーディアが背に負う。それで次に向かう先が、当面の用の最後。
薬草採りと聞いた男の作業場は、完全に板で塞がれていた。それでも、何度も板を動かした跡のある箇所を叩いてみる。
三度。四度。
訪ねる場所を間違えたか。リーディアは辺りを見回し、やはり間違いないと言う。
では、と五度目──を叩く前に。隙間からこちらを覗く眼に気づいた。
「うわっ!」
「やかましいな。さっきから待ってるのに、なんだあんたらは」
「あ、いや。今年の雪は」
暗がりに、血走った目玉がぐりぐりと動く。開いた口から胸の高鳴りが、どっどっと聴こえるのでないかとウミドは気にした。
そんなことに構わず、薬草採りは「ああ、あんたらが」と決められた言葉を遮った。
「さっさと消えてくれ」
ひと抱えもある壺が突き出された。ぴったり必要なだけ開いた板は、直ちに閉じられる。
胸に押しつけられた恰好のウミドは、危ういところで抱えた。滑って飛んでいきそうな壺を、生きた動物でも追うように引き留める。
「なんだあいつ」
しゃがみ込み、壺を抱え直してウミドは立った。腹が立つより、変な奴だと笑いながら。
「まあ、それで揃ったんでしょ」
引き起こす手が伸びた。その主に笑みの一つもなく、視線もウミドに向かなかったが。
「揃ったけど」
「けど?」
「いや、なんでもない」
握って立つのを、軽々と支えてくれる。ながらもアリサの睨む方向には、闘技場があった。
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