第69話:新生のとき(9)

 甘い匂いがする。

 それらしい元は、マーチの掻き混ぜる鉄鍋しかなかった。あの硬そうな枝は、匂いをさせるためかもしれない。


「レオナードの戦い方は、崖上から弓を射かける。それとも茂みへ潜んで、斬りつけて逃げる。ねちねちと繰り返せば、西方領の兵は押し返された。しかし北の、皇帝の兵はそうならなかった」

「北も山が多いの?」

「いや、そういうことでなくな。ほかに邪魔者が出た」


 どうもバツの悪そうに、頭を掻くアテツ。「邪魔者?」と首を傾げたアリサも、聞いていたウミドも「ああ」と納得の声を上げる。


「うむ、邪魔者ってのは儂らのこと。西の兵と北の兵と、レオナードの兵はそれぞれに人数を分けた。すると食料を置く場所も分かれるが、監視の人数には限りがある」

「盗んだんだ?」


 このときだけ、アテツの首肯はリーディアに見えぬほうを向いた。「だがな」と続ける声も、頼りなげに。


「盗んだだけだ。レオナードの兵は一人だって殺しちゃいねえ」

「そりゃ、殺すよりは殺さないのがいいけど」

「まあ──腹を空かせて力が出ずに、戦場でやられたって奴はいたかもしれねえ」


 もう一度、「だが」とアテツは言った。今度はリーディアを真正面に。


「その手腕が見事、と国王さまは褒めてくれた。儂らみたいな盗っ人の集まりをだ。言葉だけじゃない、この山も正式に儂らのもんにしてくれた」

「代わりに、敵と戦えってことにならない?」


 現に話しているこの山は、町の北西に当たる。アリサが言って、初めてウミドは気づいた。


「その狙いもあったろうな。しかし儂らも、自分で選んで居座ったところだ。くれるってんなら、その気にもなる。真っ向から斬りあうってわけでもねえし」

「そういうもの?」


 二重の車座の中心へ、鍋のかかった火がある。それだけでは、外側へ座る者らの顔は見えにくかった。

 頷く一人へ、ウミドは目を凝らした。

 やはり、と思う。その一人はリーディアとアテツを交互に眺め、哀しげに笑む。


「でも死ぬだろ」


 相槌はアリサの役目のようになっていた。それを突然、ウミドが奪う。

 わざわざ今、言わなくて良かったのかもしれない。けれども戦とは、攻め込む者と攻め込まれる者とは、そんな生易しいものでないと言わずにおれなかった。


「……ええと、坊主。名前はなんだったかな」

「ウミドだ。オレの仲間は、ニコライ卿の兵に皆殺しにされた」

「そいつは──いやウミド、お前さんの言うとおりだ」


 アテツの眼は、ウミドの折れた脚へ向く。スベグを直に滅ぼしたのが誰で、脚を折ったのが誰か。教える必要のないことだ。


「最初こそ『兵なんぞ恰好だけ』って息巻いてた。でも連中が皇帝の兵と名乗り始めて、ニコライ卿の加わったあたりで仲間が次々と死んでいった」

「レオニスも戦ったのか」

「もちろんだ。むしろ途中から、レオニスと若い奴らだけで出ていくようになった。年寄りは後ろで罠でも仕掛けてろってな」


 たしかレオニスは、三十一と言っていた。あらためて見回しても、この場に同じ年代はいない。どう若く見積もっても、四十を遥か超えた者ばかりだ。


「誰が教えたってこともないが、あれは盗みの天才というんだろう。ニコライ卿の兵は食料を盗られ、武器を盗られ、命も盗られた」

「あのバカだけが天才じゃ、着いてく奴はたまったもんじゃない」

「うん。お前さんの言うことは、まるで見てきたようだ。しかし世の中、ウミドみたいに賢いのは少ないらしい」


 レオニスをあえて貶そうとも思わなかった。

 闘技場で見せたという百人殺しのすべを使えば、さぞ戦場でも強かったと想像できる。

 ただ、ほかの誰にも真似はできない。たまたまボルムイールのような者が紛れていれば、限られたその数人だけだ。

 あの二人が戦うところへ首を突っ込めとなれば、冗談でも嫌だとウミドは恐れる。


「ニコライ卿の兵からは、将軍と呼ばれた。国王さまも、敵の言うとおりに将軍になれと言われた」

「将軍ってなんだ?」

「兵を百も千も使って、敵の将軍や皇帝を殺す役だ」

「強い山羊がいたって、その山羊だけだ。群れがハイエナに襲われない、なんてことはない」


 そのために備えが要るのだ。たとえば一つの群れが滅びても、ほかの仲間の群れは生き残るというような。


「レオナードの王宮に必要だったのは、ウミドかもしれんな。国王さまは、強い山羊のところへ宝を預けた。女の子と、男の子だ」

「ここに?」


 女の子と言うアテツは、分かりやすくリーディアを見つめた。すると男の子とは、リーディアの弟かなにかだ。

 何度たしかめたところで、若者の姿はないけれど。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る