第8話:闘技場の街(3)
平原というものの、緩やかな隆起や細かな凹凸が無数にあった。ただの板の上へ寝転ぶ恰好のウミドに、その揺れや衝撃は逐一に染み込む。
胃袋が喉元まで持ち上がったような吐き気は、自身の袖を噛むことで堪えた。
重なった天幕の隙間から覗く景色が、せめてもの気分転換となった。どうやらスベグの山々と平行に、西へ向かっている様子。見たことはないものの、海があるという方角。
どこまで行くにしろ、歩いてでは今日じゅうに辿り着ける場所はない。ならば野営をするはずで、それはレオニスを殺す絶好の機会となる。
それまで、吐き気ごときに敗北してはいられなかった。
だがしばらくすると、合わせて寒気を感じ始めた。北が寒いとは聞いたが、どれだけ見ても山を越えていない。
山が逆さに、草原が天と地で行き来する。見るものすべてが揺れ動いては、ますます気持ちが悪い。
ほんの少し。気休めのつもりで、ウミドはまぶたを閉じた。
──おそらく眠った。しかしほんの一瞬だ、とウミドの感覚は訴える。証拠に、荷車はあいもかわらず進み続けた。
誘惑に負けたのは、むしろ良かった。まだ腹の底が落ち着かないものの、およそ吐き気が失せていた。
逆に腹が減って、鳴く虫を抑えるのが新たな苦労だ。
「んん?」
また隙間を作り、気分転換を試みる。途端、思わずの声が漏れた。慌てて口を噤み、息も止める。
誰も気づいた様子はない。
安堵の息を呑み込み、辺りを窺う。疑問の声は、見たことのない景色に向けて。
けれどもそれらを含む視界は、どう考えてもウミドの記憶になかった。
なんで?
どんなまやかしかと疑い、心の底から悩んだ。挙句に導かれた答えは、至極単純なもの。
寝過ごした。
ウミドの睡眠は一瞬でなかったとしか考えられない。問題は、どれだけが過ぎたのか。まさかひと晩以上も、と唾を飲む。
いくら眺めても、知らぬ風景から距離を察することはできなかった。ただ、やがて鼻に触れた臭いが解答を示す。
普段の平原で嗅ぐよりも、風の密度が増した気がした。生ぐさいような、ツンと衝くような、ウミドには初めてのにおい。
「海……」
荷車が方向を変え、目にも知れた。
ざざと白く寄せる波、どこまで続くか見通せぬ水面。話に聞いた海の特徴と合致する。
スベグの集落からは、二日を歩いた距離とも聴いていた。
どうする。どうする?
考えたところで、このまま潜む以外の選択肢は思いつかない。
二日を歩いた場所ならば二度目の夜が近いはず、と自分に言い聞かせる。陽の位置を見ると、まだ幾分もありそうだったが。
そして悪いこととは、連れ添って訪れるものだ。
「着いたぞ!」
一行の誰かが叫び、「おおっ」と歓声が返る。
着いた。どこに。
海まで至ったとて、街があるとは知らない。ウミドが知らぬだけかもしれないが、少なくとも偽りを放る理由はなかろう。
荷車の脇、立ったままの男が通り過ぎる。間を置いて、歩調の異なる男らを荷車が追い越す。
ご苦労さん、といった声もほうぼうから。明らかに、集落を襲った男らの仲間と合流したと思える。
じきに荷車が止まり、いよいよと身を固くした。こうなっては機会を見て突然に飛び出し、何者かと理解する前のレオニスを襲うしかない。
驚きおののく男らの間抜け顔を、ウミドは何度も思い浮かべた。
「襲撃隊の帰還!」
一行の先頭辺りだろう。ひときわの大声が聴こえ、同じ声が遠ざかっていった。
と、荷車も再び動く。そこから二、三十歩のところで、垂直にだけ張られて屋根のない天幕を行き過ぎた。
かなり広い面積を、それで囲っているらしい。広いといってどれだけかと言えば、次に荷車が止まるのには百歩近くもあった。
「襲撃隊に命ずる! ニコライ卿の御前に、戦利品を披露せよ!」
ごくり。ざわめく男らのただ中、ウミドは己の喉の音をやかましいと思う。
戦利品を披露とは。自分がどういう立場にあるかも解さぬ愚鈍ではなかった。
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