巡夏

匿名希望

追憶のレンタルビデオショップ

「あんた、受験勉強もせんといつまで遊び歩いてるつもりや。大体な、」

「はいはい、分かった分かった!俺が出ていけばええんやろ?」

売り言葉に買い言葉で実家を飛び出し、高校を卒業してからは半ば逃げるように東京へ引っ越してから早数ヶ月。通う大学は夏季休暇を迎え、今俺は─その"ど田舎"へ帰省していた。あの時はついカッとなったものの、今思えば自分が悪かったのだろう。そう思っても尚重くなっていく足を引きずり、実家最寄りの駅─と言っても、歩きで優に1時間はかかるのだが─で電車を降りる。一歩駅を出れば、広がる景色は見渡す限りの緑と田んぼ、まばらに聳える街灯程度のものだ。去年、家を飛び出す時に見かけた工事中の某大型ショッピングモールも、未だ全容がシートに包まれて工事中の看板を掲げたままである。出ていく間際に見たのと何一つ変わらない風景に、思わず溜息が漏れた。

「…うわ…相変わらず全然変わってへんな、ここ。」

目線の先にある田んぼに屈んで作業をしている老人は、恐らく─近所に住んでいる佐藤さんだ。子供の頃に見た姿よりも白髪が増えているように思える。吹き抜ける生温い風に眉を顰めつつ、佐藤さんを横目に、実家へ続く道のりを歩き始めた。と、ふと思い出す。確かこの辺りには、個人経営のレンタルビデオショップがあったはず─こんな田舎には当然映画館など無いし、Am◯zonプライムを始めとした、所謂サブスクに加入している人間だって少ない。故に、映画やら何やらを見る手段と言えば─そのレンタルビデオショップくらいのものだった。自分も良く、暇な時には寄り付いていたものだ─なんてぼんやり思っていると、無意識の内にレンタルビデオショップがあった方へと足を進めていた。暫く歩いたところで、一軒の建物─『近藤レンタルビデオ』の看板を掲げた、子供の頃の記憶より少々小さく見える店舗が目に入る。

「え、嘘やろ…」

薄々分かってはいたが、やはり潰れていなかったらしい。おっかなびっくり引き戸に手を掛け、少しだけ開いて店内の様子を覗く。所狭しと並べられた棚に詰め込まれたDVDにブルーレイ、奥の方には店名通りのビデオテープが見える。木製のカウンターには誰か店員が立っているようだが、ここからでは良く見えない。思い切って扉を開き、店内に足を踏み入れた。カウンターに立っていた女性店員がこちらを向き、声を掛けてくる。

「いらっしゃいま…って、もしかして君…恩田おんだくん?」

─よく知っている顔だった。口元の黒子、長い黒髪。そして胸元に揺れる『井原いはら』の名札─間違いない。目の前にいる女性店員は、自分が中学生くらいの頃に良く見かけた店員さんだった。驚きのあまり何も言えずにいると、彼女はにこやかに微笑んでカウンターから身を乗り出す。

「ふふ、やっぱり。なんだか久しぶりだねえ、元気してた?」

他人を揶揄うような上がり気味の語尾も、どことなく気が抜けるようなのんびりとした喋り方も、昔と変わらない。あまりの変化の無さが少しばかり不気味だったが、ようやく平常心を取り戻してきた。

「まあ、それなりには。お姉さんの方こそ元気でした?」

彼女が体を動かす度、長い黒髪がさらさらと揺れる。

「うん、元気だよ〜。そういえば、東京の大学に行ったんじゃなかったっけ〜?」

「ああ、今夏休みなんです。」

そう答えた瞬間、彼女の言葉が一瞬止まったような気がしたが─きっと気のせいだろう。

「…ふうん、そっかあ。」

「…それにしても…お姉さん、昔と全然変わんないですね。」

本心からの言葉だった。思わずそんな言葉が出てしまうくらい、彼女は自分の記憶の中にある姿と、一片たりとも変わらない。少し不健康にも思える白さの肌も、笑うと糸みたいにきゅっと細まる瞳も、極めつけには─肩口まである髪の長さすらも変わっていない。が、当の彼女はきょとんとしたような表情を浮かべて首を捻った後、どこか満更でもなさそうに微笑むだけだった。

「えー、そお?ふふ、ありがと。それにしても…」

ふと、彼女の手が俺の頭に伸びる。もう片方の手を彼女自身の頭に乗せ、俺との身長差を測っているようだった─丁度、頭一つ分くらいの差だろうか。

「随分大っきくなったねえ。もうお姉さんより身長高いんじゃない?」

「はは、確かにそうかもですね。」

店内を見回してみる。今のところ俺と彼女以外、この店には来客も従業員もいないようで─一昔前のキャッチーなBGMが不釣り合いに鳴り響いていた。棚の一つに据えられた、手書きらしい『洋画』のポップに何となしに目が行き、彼女に聞いてみる。

「あー…その、あーいうDVDとかって、借りられてたりします?」

途端に彼女は肩を竦め、困ったように笑いながら、カウンターから乗り出していた身をひょいと引っ込めた。

「ううん。それがねえ、ぜーんぜん。最近は皆…ほら、あの『サブスク』?とか言うやつで見てるのかなあ。だからねえ、ヒマで仕方ないの。」

「あー…確かに、俺も最近DVDとか借りないです。そういうのって今時、ネトフリとかで気軽に見れちゃいますしね。」

「そうでしょお?だからねえ、お察しの通りお客さんはほぼゼロ。しいて言うなら〜…恩田くんが久しぶりのお客さん!って感じかな〜。」

─そんな経営状況でよく潰れないな、この店。

「それは…何と言うか、大変ですね。」

彼女は俺の相槌に乾いた笑い声を返し、ふと自分の業務を思い出したように俺を見た。

「あはは、もう慣れちゃったけどねえ。…あ、そうだ。せっかく来てくれたんだし、何か借りてく?恩田くんになら、『特別価格』で何でも貸しちゃうよ〜。」

「そうですか?じゃあ…」

お言葉に甘えて、店内を探索してみることにする。洋画、邦画、アニメ、終いにはビデオテープ─様々な棚を回ったが、結局レジ前に置かれている『店員オススメ』のドラマDVDを手に取ることにした。

「これにします。」

カウンターにそのDVDを置いた途端、彼女の目が目に見えてきらきらと輝き始める。

「お、ドラマ版『ハンニバル』の全シーズン収録セット!それを選ぶとはお目が高いねえ。それ、お姉さんのイチオシ。何と言ってもレクター博士役のマッツ・ミケルセンの演技がいいよねえ、色気も狂気もバランスよく兼ね備えてる感じでさあ…さっすが『北欧の至宝』って感じだよねえ。お姉さんはあのシーンが特に好きだな~。ほら、あの人肉…」

このひとは、本当に映画が好きなんだろう。子供のように純粋な表情でつらつらと映画のことを語る─まあ、話している内容自体はろくでもないものだが─彼女はとても楽しそうに見えて、何故か胸の奥がざわついた。─が、それはそれとして、このままだと彼女の映画語りに延々と付き合う羽目になるだろう。彼女の目前に手を突き出し、一旦映画談義を中断してもらうことにした。

「あ、その話は一旦それくらいで。」

「…えー、まだ話し足りないのに〜。」

俺にお喋りを遮られた彼女は一瞬だけ拗ねたような表情を浮かべるものの、すぐにいつもの笑顔に戻る。─それにしても。

「ホントにこういうの好きなんですね。…ホンマ、全然昔と変わってへん…」

ぼそりと漏らした呟きを聞かれたらしい。彼女はどこか困ったようにも見える笑顔を浮かべつつ、またカウンターから身を乗り出してきた。

「あはは、そりゃあねえ。好きじゃなきゃ、こういう仕事してないよ。」

俺を指差し、普段よりも相手を揶揄うような雰囲気の強い語尾と口調で笑う。

「というか…そういう恩田くんも!昔の話し方に戻ってるじゃ~ん。」

言われて初めて気付く。確かに、東京で矯正した筈の関西弁に戻っていた。それを意識した途端─妙な照れ臭さに襲われて苦笑いし、頰を掻く。

「…あ、ホンマや。やっぱお姉さんの前やとイマイチカッコつかへんな…」

俺の様子を見た彼女は楽しそうに笑い、カウンターに頬杖をついた。

「ふふ。私ねえ、恩田くんのそういうところ好きだよ?一回は都会に行っちゃったけど…こうやってまた戻ってきてくれたところも含めて、ね?」

彼女の細くなった瞳が俺をじっと見据える。先程感じたざわめきが一層激しくなり、心臓が痛い。

「っ…それって、どういう意味…」

必死に問いを口から絞り出したものの、彼女は曖昧な笑みのまま首を傾げてしまう。

「ふふっ、どういう意味だろうね?」

─このままだと、自分にとって都合の良い方に勘違いしてしまいそうだ。訪れた沈黙が気まずくて、必死に脳内で今日の予定を思い出した。数秒黙った後、思い当たった予定を口に出す。

「…あ!そや。そろそろ実家戻らんと…今日、親戚一同でメシ食うんですよ。」

「お、ご飯〜?いいじゃん。」

今だけは、あの口うるさくて過保護な両親に感謝した。彼女は特に疑ったり引き留めたりするような様子も見せず、俺がカウンターに置いたDVDのパッケージをスキャンする。

「はい、どうぞ〜。」

ピッ、と小気味良いスキャン音が響き、DVDが差し出された。

「ほな、また来ますね。」

DVDを受け取り─これ以上余計なことを口走る前に、そそくさと店を後にする。

「うん。じゃあ、またね。観終わったら感想聞かせて?」

俺の背中に呼び掛ける彼女の声は、いつの間にか入店した時と同じトーンに戻っていた。

「もちろんです。じゃあ、また。」

「うん、またね。」

手を振る彼女に応えつつ─がらがら、と音を立てて引き戸を閉める。DVDのパッケージに目線を落とした時、一番重要な案件を思い出した。

「…ビデオデッキ、ちゃんと動くやつやったかな…」

何せほぼ使ったことがないのだから、仮に壊れていても分かったものではない。食事の前に動作確認だけするか、と一人で納得した後、友人に電話を掛けた。

「…あ、塚本つかもと?急に電話してごめんな。明日さあ、俺の家でDVDの鑑賞会しねえ?…や、久しぶりにドラマのDVD借りてさ。うん、そう…」

電話の向こうの友人、もとい塚本は─最初こそ眠そうな声で応対していたものの、俺が『DVD』という単語を出した途端に声のトーンが変わる。自分の友人ながら、なんとも現金なやつだ。二つ返事で了承をもぎ取り、明日の待ち合わせ場所を確認してから電話を切る。そして、俺はそのまま実家に向けて歩き始めた。

──

がらんとしたレンタルビデオショップの中、一人の店員が呟く。

「…意外。お姉さんのこと、覚えてくれてたんだ~。」

そう呟く店員の顔は、まるで悪戯を思い付いた子供のように楽しげであった。その後彼女は何かを思い付いたのかバックヤードに引っ込み、何本かのビデオテープを両手に抱えて帰ってきた。がしゃがしゃ、と音を立てて、カウンターには『ヤヤコサマ』、『サヨコさんの噂』と題名から分かる、いかにもチープなB級ジャパニーズホラーの中に紛れ─ラベルの貼られていない、黒いビデオテープが無造作に放り出される。店員はその中から『ヤヤコサマ』のビデオテープを掴み、カウンター裏のビデオデッキに突っ込んで再生した。画面に細かなノイズが走る。彼女はそのままビデオを鑑賞しつつ、ふと─小さな呟きを漏らした。興味のなさそうな声色とは対照的に、その表情は妙に楽しげに見える。

「…ん〜…ま、いっかあ。たまにはこういうのも面白いよね〜。」

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巡夏 匿名希望 @YAMAOKA563

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