第20話 告発者の影

内部告発の情報が漏れかけているという神谷の報告を受けた後、奈緒美は研究室に戻り、告発者の正体を突き止めるための調査に取り掛かった。彼女の目には焦りと不安が交錯していたが、科学者として冷静さを保とうと必死だった。今やNDSラボ全体の未来がかかっているというプレッシャーが、彼女の肩に重くのしかかっていた。


「高橋さん、どこから手を付けるべきでしょうか?」奈緒美は、デジタルフォレンジックの専門家である高橋に助言を求めた。彼の専門知識が、今回の状況を打開するための鍵となる。


「まずは、ラボ内の通信ログとシステムアクセス履歴を確認しましょう。」高橋は冷静な表情で答えた。「もし内部告発者がシステムにアクセスしていたなら、その痕跡が必ず残っているはずです。」


二人はすぐにコンピュータの前に座り、膨大なデータの解析を開始した。奈緒美は、何か手がかりが見つかるまで、ひたすらにデータを洗い出す作業に没頭した。彼女の目は、画面に映し出される数字と文字列を一つ一つ丁寧に追っていたが、内心では焦りが募っていた。


「何か見つかりましたか?」奈緒美が不安げに尋ねると、高橋はわずかに眉をひそめながら答えた。「まだ特定の人物までは絞り込めていませんが、怪しい動きがいくつかあります。特定の時間帯に、同じIPアドレスから繰り返しシステムにアクセスされている形跡があります。」


「その時間帯は?」奈緒美は急いで詳細を確認しようと画面に顔を近づけた。


「通常の勤務時間外です。深夜の時間帯が多いですね。しかも、アクセスされているデータが『Project Mortem』に関するものばかりです。」高橋はスクリーンに表示されたログを指し示しながら説明した。


奈緒美の胸に冷たい感覚が広がった。内部告発者は、プロジェクトに深く関与している人物であり、しかも長い間慎重に行動していた可能性が高い。だが、これだけの証拠があれば、次の一手を打つことができる。


「このログをもう少し詳しく解析してください。アクセスしていた人物が特定できれば、その人物が告発者である可能性が非常に高いです。」奈緒美は高橋に指示を出し、自分もデータの検証を続けた。


「了解です。すぐに調査を進めます。」高橋は短く答え、再び作業に没頭した。


奈緒美は画面を見つめながら、告発者の動機について考えを巡らせた。なぜこのタイミングで内部告発をしようとしているのか?この行動が、ラボ全体にどれほどの影響を及ぼすかを理解しているのだろうか。彼女は、告発者の正体が判明した時、その人物とどのように向き合うべきかを考えざるを得なかった。


「奈緒美さん、もう少しで特定できそうです。」高橋が突然声をかけた。奈緒美は画面に目をやり、その結果を注視した。


「ここです。アクセスしていた人物の端末を特定しました。」高橋が画面に表示された情報を指し示す。そこには、NDSラボ内の特定の端末が表示されていた。


奈緒美はその端末の位置を確認し、驚きを隠せなかった。「これは…彼の端末じゃないですか?」


その端末は、ラボ内でも比較的高い地位にある人物のものであった。奈緒美の頭の中で、さまざまな疑問が一気に沸き上がる。なぜ彼が?一体何を意図しているのか?


「この人物を直接問い詰めるべきでしょうか?」高橋が問いかけた。


奈緒美はしばし考えた後、深く息をついて答えた。「まずは、彼の行動をもう少し調べましょう。告発の意図が分からないままでは、ただ追及するだけでは足りません。私たちが理解すべきなのは、彼が何をしようとしているのか、そしてその理由です。」


高橋は頷き、再びデータの解析に戻った。奈緒美もまた、冷静さを取り戻しつつ、次の行動を計画するための思考を巡らせた。彼女は、これがラボ全体を守るための戦いであることを自覚し、全てを把握するまで決して諦めない覚悟を固めた。


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奈緒美と高橋は、内部告発者の正体が森田正隆であることを突き止めた。森田は「Project Mortem」のリーダーであり、ラボの未来を左右する重要な役職に就いている人物だ。奈緒美は驚きを隠しきれず、深い衝撃を感じたが、今は森田と向き合い、その意図を確認する必要があると考えた。


森田との対話の場として選ばれたのは、ラボ内の小さな会議室だった。部屋の中は静寂に包まれ、緊張感が漂っていた。奈緒美は、彼が現れるまでの間、自分の感情を整理し、冷静さを保とうと努めていた。プロジェクトリーダーが告発者であるという事実は、彼女にとって予想外の展開だった。


森田が部屋に入ってきた瞬間、彼の顔にはいつもの冷静さがなく、疲労の色が浮かんでいた。奈緒美は彼を席に促し、落ち着いた声で話を切り出した。


「森田さん、私たちはすべてを確認しました。あなたがシステムにアクセスしていたこと、そしてその結果として何をしようとしていたのかを把握しています。」奈緒美は彼の目を見つめ、冷静さを保ちながらも、内心では緊張が高まっていた。


森田はその言葉に反応し、肩を落としながら息を吐いた。「やはり、気づかれてしまったか…。私は、このプロジェクトの未来を考えたとき、これ以上黙っていることができなかった。」


「なぜ、こんなことを?」奈緒美は真剣に問いかけた。「あなたはプロジェクトリーダーです。誰よりもこのプロジェクトの成功を重視していたはず。それなのに、なぜ告発を選んだのですか?」


森田はしばらく沈黙した後、重い口調で話し始めた。「私は、初期の段階からこのシステムに重大な欠陥があることに気づいていました。しかし、それを公にすれば、プロジェクト全体が崩壊する恐れがあると思い、黙っていました。プロジェクトが進むにつれて、その欠陥がもたらすリスクが現実味を帯びてきたとき、私は恐怖を感じました。それでも、プロジェクトを止める勇気がなかったのです。」


奈緒美はその言葉を静かに受け止めた。彼の言葉には、プロジェクトに対する深い愛着と、それを抱えたまま進むことへの恐怖が含まれていた。


「森田さん、その恐怖があなたを告発へと駆り立てたのですね?」奈緒美は、彼の内面にある葛藤を理解しようと努めた。


森田は頷き、苦しそうに顔を歪めた。「そうです。私は、自分が責任を持つべきプロジェクトが、逆にラボ全体を危機に陥れるかもしれないという恐れに押しつぶされそうになりました。真実を隠して進むことが、正しい選択だとは思えなくなったのです。しかし、あなたがシステムの修正に取り組んでいると聞いて、心が揺らいでいます。」


奈緒美は深く息をつき、慎重に言葉を選びながら答えた。「森田さん、私たちに時間をください。システムを修正するための時間があれば、あなたが恐れている問題を解決し、プロジェクトとラボを守ることができます。告発は最終手段として取っておいてほしいんです。」


森田は沈黙を保ち、奈緒美の言葉に耳を傾けていた。彼の顔には、深い葛藤と決断を迫られる苦悩が浮かんでいた。そして、やがて重い口調で言った。「分かりました。しかし、私があなたを信じるのはこれが最後です。もしシステムの修正が失敗した場合、私は再び告発を考えます。それでも良いですか?」


奈緒美は力強く頷いた。「もちろんです。それがあなたの信念ならば、私はそれを尊重します。しかし、私たちが全力を尽くして修正を完了させるまで、どうか見守ってください。」


森田は静かに頷き、奈緒美に対して感謝の意を込めた視線を送った。彼の心の中での葛藤は完全に解決されていないが、今は奈緒美の提案を受け入れるしかないという結論に達していた。


その後、森田は静かに部屋を後にし、奈緒美は一人残された。彼女の心には、森田との対話を通じて得た新たな決意が強く刻まれていた。システムの修正が成功し、ラボ全体を守るために、奈緒美は全力を尽くす覚悟を新たにした。


告発という最終手段を回避しつつ、科学者としての使命を全うするために、奈緒美は再び歩みを進めるのであった。彼女にはもう迷いはなかった。全ての重圧を背負いながらも、奈緒美は自分自身の信念を貫く決意を固めたのだった。

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