妖精の祭り

天然王水

妖精の祭り

『妖精が居るぞ』と、誰かが云う。

『妖精が居るぞ』と、皆が云う。

『妖精が来たぞ』と、誰かが云う。

『妖精が来たぞ』と、皆が云う。

『妖精よ、我等の記憶を抜き取るな』

 長らしき男が、自身の眼前にある祭壇に置かれている物を両手で持つ。

『我等の記憶よりも、この光を喰らうが良い』

 それは球形の物であるらしい。

 男が手に持ったそれを空へと押し上げると、それはゆっくりと、天高く昇っていく。

 男を取り囲む様にしてその有様を見守っていた人々も、一人、また一人と、手に持っていた球を空へと放り投げていく。

 その内部は、空洞になっていた。

 穴の空いた底部に取り付けられた小さな台に、獣脂で作られた蝋燭が固定されているのが下から見えた。

 森の木々に縁取られた夜闇の只中で淡い光を放つそれは、宛ら人の手で作られた星。

 無数の光球が小さな星屑を形成する有様は美しく、確かに、これならば僕達の眼には人間の記憶よりも魅力的に映るかも知れないと思わせる。

 人間達が十年に一度、村を上げて行う祭り。

 森の樹木、その枝の一つに腰掛けて、僕はそれを眺めていた。


 ◇


「昨日のお祭り、楽しかったなぁ」

 僕の隣で丸太に腰掛ける、僕よりも何倍も大きい男の子が云った。

 アシリという名を持つこの子は、自身で云った通り、昨日祭りに参加していた村の子供の一人だ。

 そうして、僕の密かな友人でもある。

「そうだね。綺麗だった」

「キヤイも見たの?」

 丸太に両手を突き、アシリが僕に近付く。

 彼が、真っ直ぐに僕を見る。

 黒々と煌めくその瞳は、逆巻く渦の様に、長く見詰めていると吸い込まれてしまいそうだ。

「うん。離れた所、樹の枝の上でね」

「なぁんだ来てたんだぁ~……一緒に見たかったなぁ……」

 僕が頷くと、アシリは丸太に腰掛けた体勢から草地に倒れ込み、溜息交じりに云った。

 幼子らしい落胆に、少し申し訳無くなってくる。

「あはは……御免ね」

 僕が苦笑しながら謝罪すると、アシリは「ううん」と首を振った。

「キヤイは、村の皆に見られちゃいけないんでしょ? なら、仕方無いよ」

「……有難う」

 思わず、笑みが零れる。

 この子は、賢い子だ。

「でも、お祭りはいつか一緒に見ようよ! 僕も樹の上から見てみたい!」

 反動を付けて起き上がった彼は、満面の笑みで僕に提案する。

「うん、良いよ。約束する」

 その提案を、僕は承諾した。

「やったぁ! 絶対一緒に見ようね!」

 一気に立ち上がり、燥いで喜ぶ彼の姿は、無邪気で、底抜けに明るかった。

 そうして、どこまでも遠かった。

「……見られると、良いね」

 口の中で呟いた言葉は、彼には聞こえない。

 僕は、彼がバランスを崩して倒れ込むまで、微笑み続けた。


 ◇


 一頻り燥いだ後、アシリは村の手伝いに行った。

 少しでも越冬を楽にする為に、中秋の今から保存食の為の狩りをしたり、木を樵って薪を蓄えたり等、色々と準備をしておくのだと云っていた。

 普段は連れて行ってくれないが、今回は特別に父親が狩りを見せてくれるのだ、とも。

 彼曰く父親は村で一番の狩人であるらしいが、心配していないと云えば嘘になる。

「村の手伝い、大変そうだなぁ」

 丸太の上で、何とは無しに空を見上げる。

 仄暗い中に遠くで白み始めた空は、独特の神秘を感じさせる。

 今回の祭りで、あの光球はどこまで飛んだのだろうか。

「だからこそ、張り合いがあるって事なのかな」

 僕達とアシリ達の間には、大きな差が幾つもある。

 大きさが違う、過ごす時の流れが違う、不思議な力がある、ちょっとやそっとの事では死なない。

 列挙していけば、切りが無いだろう。

 しかし、少なくとも一つだけ、共通している事はある。

 そこを、どうにか出来れば……

「僕も、手伝えたりとか……」

「そんな事にはならないわ」

 背後から、低めの少女の声がした。

 気の強そうなその声には、聞き覚えがある。

 後ろを振り向けば、いつも通りの彼女が居た。

「やあコンル。相も変わらず、不貞腐れた様な顔をしてるね。疲れないの?」

 笑顔で、そう云ってやる。

 僕の言葉に、彼女が眉間に寄せていた皺が深まった。

 それを見て、僕の笑みも深まる。

 僕と彼女との間では、これは『いつもの事』だ。

 だって、僕と彼女は『仲良し小好しのお友達』だから。

「貴方があの子と友達でいなければ、今直ぐにでも蹴飛ばしてやるのに」

 アシリと同じ色を帯びる瞳は、しかしアシリと同じ純粋な光を宿してはいない。

 彼女の瞳は、僕を観察……いや、監視している様で、虎視眈々と好機を狙う獣にも似ている。

 それでも敵愾の気配を感じない辺りは、自身の感情を上手く抑制してもいるのだろう。

 監視、または警戒……だろうか。

 アシリとたった二歳違う姉であるだけでここまで老成するものなのかと、感心する。

「やっても良いよ? まだ何も悪い事をしていない、清廉潔白な妖精を蹴飛ばす事になっても良いのなら、だけど」

「……いいえ、ただの冗談よ。本気にしないで」

 僕の煽りを受けても、彼女は揺らがない。

 努めて冷静に振る舞う彼女が面白くて、僕がまた煽り立てる。それが普通だった。

 しかし、今回は何だか雰囲気が違う。

「貴方の云った通り、貴方はまだ何も悪い事はしていない」

 云いながら、彼女は僕の隣に腰掛ける。

 今まで、ここまで近付いてくる様な事は無かったというのに。

「今貴方を足蹴にしても、私が悪者になるだけだから……」

 言葉にも、何だか覇気が無い。

 萎れ始めた花の様な気配は、どこか、覚えがある気がする。

「それに……貴方は、あの子の友達だもの」

「……ああ、そういう事か」

 その言葉で、納得が行った。

「君、僕を心配してるんだ」

 彼女が僕を心配する。

 天地が引っ繰り返っても起こり得ないだろうと思っていた事が、よもや現実になろうとは。

 そして、それが解ったのと同時に、原因が何であるかも解った。

「確かに、今回の祭りは規模が大きいからね」

 あの村の祭りには、続きがある。

 光球を昇らせた次の日には、猟師達が実際に森に踏み入り、妖精を狩りに来るのだ。

 勿論、本当に妖精が居ると信じている者は稀で、所謂厄除け祈願、兼狩猟、という認識が為されている。僕達妖精も馬鹿ではないから、祭りの後は一週間程度隠れて過ごす。

 そうして、今まで成り立ってきた。

 祭りの後はそう過ごすのだと、僕達妖精の間でも風習になっている。

「見ていたのね。余計なお世話かも知れないけれど、念の為伝えておくわ」

 彼女の話によると、いつまで経っても妖精を仕留められない事に業を煮やしたのか、村長は今回の祭りで趣向を変えた様だ。

 今までは大人達、それも男子だけでやる事だったが、村の子供達にも祭りを見せる事で妖精は悪者であると認識させ、更に狩りにも同行させる事で、子供を狙って現れる妖精を仕留めようという魂胆らしい。

「へぇ、だからアシリが父親の狩りに同行するって云ってたんだ」

 妖精殺しに強く執着する村長らしいやり方だ。

 あいつならば、妖精一匹を殺す為だけに自身の村すらも犠牲にすると云う確信がある。

「同行するのがあの子だけであればまだ良かったのだけれど、お生憎様。村の子供は全員同行するらしいわ」

「となると、コンルも行くのかい?」

「そうなるわね。引っ掛かるとは思えないけれど、貴方達が本当に私達に誘き寄せられたのなら、頑張って気を逸らすから、その間に逃げなさい」

 僕の言葉に頷いても、彼女は空を見上げるばかりで、僕の方を向く事は無い。

 それは彼女の意志の表れか、或いはただの照れ隠しか。

 何となく、その両方だと思った。

「珍しい。君がここまで僕達妖精に肩入れしてくるなんて」

「もう二年も会い続けていれば、情も移るわ。それとも、貴方達には要らない世話だったかしら」

 彼女が、目線を寄越す。

 澄ました顔は、成程何とも冷静らしい。

「いいや? 大方そうかも知れないと当たりを付けてはいたけれど、確信してはいなかったからね」

 彼女に、屈託の無い笑みを向ける。

 彼女は、僕達の完全な味方では無い。

 かと云って、村の側に傾倒し切ってもいない。

 僕とコンルに至っては、そちらの方がやりやすい。

「有難う」

「ええ……」

 素っ気無く返し、彼女は顔を背けた。

 揺れた長い髪の隙間から見えた彼女の耳が赤かった事は、気の所為では無いだろう。

「ほら、そろそろ行きなよ。村に居ないと怪しまれるよ」

 空はまだ早朝に白んでいたが、妖精狩りは残り二時間程で始まってしまうだろう。

「……そうね。そうさせて貰うわ」

 彼女が立ち上がり、村の方へと歩み去る。

 まだ何か云いたげではあったが、それは事が終わった後で話せば良い事だ。

 祭りが終わった後に、煽る様な口調だとか、密かに懐から拝借していた菓子の事だとか、今まで彼女にしてきた事を謝ろう。

 彼女を見送った後、僕はまた空を見上げた。

 以降は、仲間達に祭りの事を触れ回り、まだ生まれたての妖精達に釘を刺したり等、中々疲れる事が多かった。

 しかし、その甲斐もあって、猟師達に見付かった仲間達は居なかった。

 そうして、安心して眠れる日が続いた。

 それが、良くなかったのかも知れない。

 見付かってしまったのだ。

 仲間が見付かった訳では無い。

『僕が』見付かったのだ。


 ◇


 仲間達に触れ回ったりと駆け回っていた時に溜まった疲労が、抜け切っていなかったのだろう。

 眠くなり木陰で一眠りをしていた所に声が聞こえた時には、もう遅かった。

 瞼を開けば、此方に猟銃を向ける二人の男。

 片方は、下卑た笑いを浮かべながら此方に罵詈雑言を飛ばしている。

 血走った眼とそこに宿る妄執の炎から、その男が村長だと直ぐに解った。

 隣に居る男が誰かは知らないが、猟銃を向けてはいながらも、少しばかり驚いた様な顔で村長を見ていた。

 どうやら、こいつの本性を知らずに参加していた様だ。

 僕達は村の中に立ち入る事は出来ない為、こいつが普段どの様な顔をして彼等に接しているのかは解らないが、何とも可哀想な奴だ。

 そして、ここまで来て漸く、今までに無い程冷静である事に気が付いた。

 今直ぐにでも銃弾に貫かれて、一気に瀕死になってしまいそうな状況だと云うのに。

 もしかしたら、疾うに僕は生きる事を諦めていたのかも知れない。

 確かに、僕は長く生きた。外身は変わらなくても、時間を経るにつれて中身が変われば、そういう事もあるだろう。

 別に、僕一人が死んだところで妖精が死滅する訳では無い。祭りに出てくる妖精も、記憶が正しければ一人だけだ。

 ここで僕が仕留められてやれば、こいつの中にある妖精は死ぬ。

 そうなれば、これ以上祭りを行う意義も消え、徐々に廃れていくだろう。

 瞼を閉じて、傍の樹木に身を預ける。

 殺したいなら、殺せば良い。

 届かない願いに打ち拉がれて、精々絶望して逝けば良い。

 銃声が鳴り響く。

 しかし、痛みは襲ってこない。

 瞼を開けると、何者かが僕の前に立ち塞がっているのが見えた。

 それが誰かなんて、云うまでも無い。

 雷に打たれた様な気分だった。

 そうだ。

 付いて来ていると、云っていたのに。

 たっぷり十秒も硬直してから慌てて駆け寄ると、彼は腹部を両手で押さえ蹲っていた。

 その両手から滲み出す様に、赤黒い物が広がり続けている。

 傍目にも、尋常の術で助からない事は明白だった。

 妖精の僕達でも瀕死の重傷を負う代物だ。

 それを、脆い人間が受ければどうなるか。

 そして僕は……彼に死んで貰いたくはない。

 幸い、彼の意識は無い様だ。

 今はただ、それが有難かった。

 彼の両手を軽く退かし、傷痕に手を置いて……

 その日、僕は初めて、他者の記憶を奪った。

 あの時に交わした約束は、もう果たせそうに無い。


 ◇


 そして、妖精は男の子の傷を治して、その代わりに彼の記憶を持って行きました。

 眼を覚ました男の子は、猟師に撃たれた傷がまるで夢の出来事であったかの様に治っている事に驚きます。

 傷跡一つ残っていないお腹を見て、男の子は云いました。

『あれはきっと、悪い夢だったのだろう』

 そう云って、彼は寝床から立ち上がり、村の皆へ挨拶に行きました。

 めでたし、めでたし。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

妖精の祭り 天然王水 @natureacid

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ